俺が取る
数分前 会場、一階。
アルノは、会場奥から退避口へ続く廊下に立っていた。
アルノの端末から、ユキナガの回線が消えた。
「ユキナガ、応答してください」
返らなかった。
「……」
アルノは端末を閉じた。一度脇腹を押さえた。
会場側から、海運側の代表と警護が来た。二人が後ろを何度も振り返っている。
「そのまま進んでください」
「車両の位置が確認できていない」
「外で確認してください。戦闘をしている人員を早く戻して下さい」
「知らん。勝手にやってるだけだろ」
アルノが眼鏡を上げた。
「……移動してください」
男が口を閉じた。
アルノは退避口へ続く扉を開けた。
「こちらです」
警護が代表を先へ通した。
また銃声がした。
東欧側の代表はすでに独自退避へ入り、北アフリカ側の車両も西へ抜けている。それでも館内と外周の発砲は続いていた。
アルノは廊下の壁際へ寄った。
退避路の角から、ジュリオが戻ってきた。
「東側、抜ける。海運の代表も行った」
「そのまま前を開けてください」
ジュリオはアルノを見た。
「ユキナガは?俺戻るか」
「行かないでください」
ジュリオが眉を動かした。
「でも、あいつ一人だろ」
会場側で三発続けて鳴った。
ジュリオが少し屈んでそちらを見た。
「前をお願いします」アルノが言った。
ジュリオは何も言わず、退避口へ向かって走った。
階段から、記録官が先に上がってきた。すぐ後ろにカイがつき、財団側の警護責任者が最後に続いた。
カイのスーツの肩には、石粉が白く付いていた。
アルノは記録官を確認し、カイに尋ねた。
「負傷は」
「ない」カイが答えた。
「原本は」
記録官が書類ケースを持ち上げた。
「そのまま退避してください」
カイは動かなかった。
「ユキナガの所に行く」
「駄目です」
短い沈黙が落ちた。
アルノの右手が、端末を強く持っていた。
「昨日、確認しましたね」
カイが黙った。
それから記録官へ向いた。
「行くぞ」
三人が先へ進んだ。アルノも後方を警戒しながら、そのあとに続いた。
会場側で発砲音がした。さっきより近い。
石壁の角に弾が当たり、粉が散った。
アルノが身を引いた。
退避路の前方でジュリオが足を止め、アルノを待った。
「会場側から来てる。見えたのは四人、海運っぽい。訓練されてる」
「あなたは前へ」
「俺が殿をやる。まだいるかもしれない」
「駄目です」
ジュリオがアルノの肩に手を置いて、首を振った。
「アルノ、俺でいい」
「……」
ジュリオの指がアルノの肩に食い込んだ。
「俺でいいんだ」
一瞬アルノの目が揺れた。すぐに戻った。
「……私が殿を指定すると言いました」
アルノはPPKを抜いた。
ジュリオが目を閉じ、息を吐いた。
肩の手を置きなおした。
「……お前はリヴァと幸せになれ」
「は?」
間があった。
アルノが右下を向いた。
「……前を、開けてください」
ジュリオは少ししてようやく手を外した。
「……わかった」
ジュリオが背を向け、走った。
アルノがPPKのセーフティーを外した。
「勝手なこと言いやがって」
眼鏡を上げた。
アルノは一人になった。
石造りの回廊の会場側から、複数の足音が近づいてくる。
柱の陰から半身だけ出した。先頭に拳銃を持った男、その後ろに二人いる。もう一人は角の奥に残っていた。
アルノは一発撃った。
先頭の男が壁際へ退いたのを見て、すぐに退避口側の次の柱まで下がった。
腕時計を見た。
「カイ、状況を。フィンと連携してください」
通信は返ってこなかった。
敵が角から出る。アルノは二発撃ち、男たちが遮蔽へ戻った間にさらに下がった。
脇腹に痛みが走った。
「……っ」
足が一度止まった。
右手を当てる。掌に血がついた。
そのまま眼鏡を押し上げると、レンズの端に赤い跡が残った。
イヤーピースに手を当てた。
「アオイ、東欧の人員に出ている指示を確認してください」
アルノは一発撃って相手を戻し、次の角へ入った。
防火扉が見えた。
閉鎖区画の最後だった。扉の先には、記録官たちが進んだ退避路が続いていた。
アルノはイヤーピースへ触れた。
「ユキナガ、防火扉を――」
言葉が止まった。
「……」
アルノは扉脇の非常盤へ向かい、透明なカバーを開けた。通常制御は落ちている。
手動へ切り替えた。
警報灯が点き、低いブザーとともに防火扉が横へ動き始める。
回廊の会場側から男が走ってきた。
アルノが撃った。
男の身体が柱へ隠れる。
扉は、人ひとりが通れる幅まで閉じていた。
もう一人が出た。
アルノは一発撃った。
スライドが後退したまま止まった。
アルノは空になったPPKを握ったまま、防火扉の隙間へ向かって下がった。
敵のいる回廊側から銃声がした。石が砕ける。
アルノは扉の隙間へ身体を滑り込ませ、退避路側へ抜けようとした。
脇腹が縁へ当たった。
「っ――」
一瞬、動きが止まった。
回廊側から腕が伸びた。
アルノはPPKのグリップで手首を叩き、身体を捻って隙間を抜けた。
重い音を立てて防火扉が閉まり、ロックが落ちた。
アルノは壁へ片手をついた。
「……ヴィクトル、応答を」
息が切れていた。
次の瞬間、防火扉の向こう、敵のいる回廊側で爆発が起きた。
扉脇の壁材が弾け、破片と白い埃が吹き込んだ。
アルノの身体が横へ吹き飛ばされ、そのまま壁へ打ちつけられた。
PPKが床を滑り、イヤーピースが耳から飛んだ。
音が消えた。
白い埃がアルノのいる退避路へ広がっていた。
アルノは床に手をついた。一度滑り、もう一度つく。
「っ……」
呼吸をした瞬間、脇腹が裂けるように痛んだ。シャツの下を血が流れている。
少し離れた床にイヤーピースが転がっている。
アルノはイヤーピースを拾って耳へ戻した。
何も聞こえなかった。ノイズもなかった。
「……Scheiße」
壁へ背中を預けたまま、防火扉を見る。
扉は閉じていた。
爆発と同時刻。北西交差点。
爆発の煙が交差点まで来ていた。
フィンがイヤーピースへ触れた。
「アルノ」
返事がなかった。
アオイのいる西側の路地から、怒鳴り声と何かが倒れる音がした。
『フィン、何——』
リヴァの声だけが薄く入った。
フィンは煙の上がる会場を見た。
「アルノ落ちた」
一拍置いた。
「俺が取る」
フィンは会場から視線を外した。
「アオイ、聞こえる?」
呼吸と咳が最初に聞こえた。
『聞こえてます。まだ生きてます』
「西、そのまま維持して。車両一本通すよ」
『了解、くっそ――』息の合間に悪態が無線に入った。
「リヴァ」
『いる、アルノが見えない』
「わかった。射点そのまま。絶対動かないで」
『……了解』
フィンは交差点へ出た。
北アフリカ側が残した警護車両は、まだ斜めに道を塞いでいた。運転席へ身体を入れ、シフトをニュートラルに入れてパーキングブレーキを外した。ドア枠へ肩を入れ、車体を路肩へ押し出した。
石畳の向こうから、黒い車両が一台入ってきた。
記録官の退避車両だった。
「カイ、通せるよ」
返事がなかった。
フィンはイヤーピースへ触れた。
「カイ」
ノイズが走った。
黒い車両が交差点へ入り、速度を落とした。
アオイが路地から出てきた。ジャケットの肩が裂けていた。
銃声が一発した。
アオイが車体の陰へ入った。
「はいはい、まだいるんですね……」
フィンが車両の反対側へ回った。
「リヴァ、カイ見える?」
『見えない』
「了解」
フィンは拳銃を上げた。窓際に出た人影が引っ込む。
記録官の車両が、そのまま交差点を抜けた。
「記録官車両、交差点通過」
『カイは?』
「射点を維持して」
フィンは画面を見た。
記録官の車両が西へ進む一方で、カイの位置は車両から離れ、南へ動いていた。
「カイ」
返事はなかった。
位置が数メートル動いた。
止まった。
「カイ、応答して」
数秒間があった。
カイの位置表示が一度点滅した。
消えた。
フィンは端末を閉じた。
「アオイ、俺たちはここを維持」
アオイが黙った。
フィンは会場を見た。
「まだ記録官が抜け切ってない」
西の通りへ出た黒い車両は、もう見えなくなっていた。
遠くで銃声が二発続いた。
アオイが息を吐いた。裂けたジャケットの肩を一度引き上げた。
「カイ、は…位置まで消えてますけど」
「うん」
「……行かない、んですよね」
フィンは端末をもう一度出した。
通知を確認して、イヤーピースに手を置いた。
「みんなへ。記録官車両、西側安全区画へ入った」
『了解』リヴァの声。
『よかった』ジュリオの声がした。
フィンは画面を見た。
「一旦状況整理しよう」
画面には更新時刻の違う表示が並んでいた。
「まず味方。カイは今、位置情報もロスト。アルノは会場一階に残ってる。応答無し。ヴィクトルもロスト。最後は一階奥…だけどもう情報が古い。ユキナガもロスト。拠点がどうなってるかもわからない」
「保護対象は、記録官、東欧、北アフリカ、海運まで退避完了。ノルドハウンの代表は未退避。ここを探さないと任務が終わらない」
「敵側。海運側と思われる武装員は中でアルノと交戦中、北アフリカ側も俺らと交戦中、東欧は俺らに報奨金だして殺しにきてて、ユキナガ側は原因不明」
アオイが東欧側の人間の端末を片手に取っていた。
「自分らの顔も割れてます。リヴァについては狙撃手の女と出ていて、優先的に探させています」
「…多分この後も、報酬目当ての人員は増える。警戒しよう」
ジュリオの回線が戻った。
『ノルドハウンについて報告。代表がいない。警護も一人いるが、足撃たれて動けない』
「ジュリオ、先にノルドハウンの代表を探して。その人を逃さないと任務が終わらない」
『分かった』
「他は?」
『ノルドばかり負傷多数だ。随行も人数足りない。救護依頼して搬送回す』
「頼んだ」
遠くで車のエンジン音が上がった。
アオイがフィンを見た。
フィンは一度、会場の方を見た。
煙が屋根の高さまで上がっていた。
銃声が一発した。
フィンが顔を上げる。
『フィン』
ジュリオだった。
今度は息が近かった。
『さっきの警護とは別だ。ノルドハウンの奴を、また一人見つけた』
「状態は?」
『生きてる。歩けない』
「東欧側の懸賞一覧にありました。ノルドハウンの人員を行動不能にしろと言う指令です」アオイが端末を見ながら言った。
鐘の音が、煙の向こうへ消えていった。




