184万6千500円!
同時刻。FORUM会場、西側外周。
第二退避の開始と同時に、アオイは記録官の退避口へ向かっていた。
会場西側の通用門から細い路地へ入り、石壁に沿って北へ進む。前方にはフィンがいた。路肩に停まっていた車両を避け、第二退避路へ接続する交差点を見ている。
ユキナガの声が来た。
『ヴィクトル応答なし。最後に取れた位置は一階の奥。位置情報も止まった』
『ヴィクトル、応答して』リヴァが言った。
ノイズも返らなかった。
「人を回しますか」アオイが聞いた。
『撤収開始後です。全員、逆行禁止を維持してください』
先ほど西側へ入った黒いセダンが、路地の奥から出てきた。北アフリカ代表の車両だった。前後を警護車両に挟まれ、停止せず交差点を抜けていく。
フィンは車列を見送った。
「北アフリカ代表、退避完了」
『了解』アルノが言った。
代表の車両が角を曲がっても、路地には人間が残っていた。
仕立ての揃った黒いスーツ。ジャケットの前を開けた男が二人、建物の入口に立っている。向かいの窓にも人影があり、交差点の奥では別の男が駐車車両の陰へ入った。
『待って』ユキナガが言った。『西側の車両管理に経路変更申請が入ってる。申請元は――ハクスリー』
アオイがフィンを見た。
フィンの表情は見えなかった。
『何だそれ』ジュリオの声が割り込んだ。館内の銃声が、その後ろに重なっていた。『どういうことだ』
アオイは第二退避口までの距離を見た。目の前の路地を抜けなければ、記録官側へ寄れない。
フィンはジャケットのボタンを外した。
左腕を胸の前へ横切らせ、右腕で抱えて肩を伸ばした。
『フィン、西側の処理を』
「了解」
低い声で言った。
向かいの窓で、男が銃を構えた。
銃口はフィンではなく、東側から走ってきた東欧側の警護担当へ向いていた。
発砲音が路地へ響いた。
警護担当の肩から血が散り、石壁へ倒れた。
入口にいた二人もジャケットの内側へ手を入れた。駐車車両の陰から、短機関銃の銃身が出る。
フィンはHK45を抜いた。
窓の男を見上げた。
人差し指で、そこにあるはずの右のフレームを下から押し上げる仕草をした。
「ハクスリーをそう使う。それが君たちの答えでいいんだね?」
窓から二発目が撃たれた。
フィンは斜め上へ二発返した。
「よく覚えておくように」
銃は右手で持っていた。
窓枠から男の腕が落ち、拳銃が路地へ落下した。
入口の一人がフィンへ銃口を向ける。
フィンは相手の右肩と胸へ続けて撃った。男が扉へ背中を打ちつけ、もう一人の射線を塞いだ。
アオイは路肩の車両へ身を寄せた。
眼鏡越しに、向かいの窓と入口、奥の車両を順に確認する。
「代表逃がして、こっちは残るんですね……」
車両の陰にいた男が短機関銃を撃った。
弾が石柱と車体を横に走った。フィンは身を低くして路地を横切り、停車車両の後部へ入る。短機関銃の発砲が止まった瞬間に車体の反対側から出て、男の脚を撃った。
男の膝が落ちた。
フィンは間を置かず、胸へもう一発入れた。
フィンが車体の陰から出た。
『見えた』リヴァの声がした。
入口の奥で、もう一人がフィンへ銃口を向けた。
男の身体が横へ飛び、壁際へ崩れた。
乾いた音が一つした。
フィンが笑った。
持っている銃を左手に持ち替えた。
右手でイヤーピースに触れた。
「いいね」
『そこだけね、見える』
「じゃあ、通るようにするよ」
入口で倒れた男の下から、もう一人が拳銃を出した。
アオイがボンネットへ左手をつき、身体を滑らせるように前へ出た。拳銃を持つ手首を車体へ打ちつけ、そのまま肘を逆へ返す。銃が落ちた。
アオイは男の襟を掴み、車両の陰へ引き倒した。
男が起き上がる前に拳銃を拾い、弾倉を抜いた。薬室の弾も落とし、銃本体を車体の下へ蹴り込む。
フィンが路地の奥を見た。
「アオイ、そのまま道開けてて」
「分かりました……」
『西から追加』ユキナガが言った。『二台。会場登録なし。東欧側の搬入経路を使ってる』
交差点の向こうで、白いバンが急停止した。
後ろに続いた古いセダンが歩道へ乗り上げる。バンの側面扉が開き、男たちが降りてきた。
服装は揃っていなかった。革のジャケット、軍用の上着、フード付きのスウェット。防弾装備の上から安いコートを着た者もいる。拳銃、短機関銃、鉄棒。武器の規格も携行方法もばらばらだった。
『西、何人?』リヴァが聞いた。
『今降りたので十人くらい』ユキナガが答えた。『東欧側?寄せ集めっぽいな』
「もう東欧の代表は退避完了してますよね?」アオイが言った。
「だから心置きなくドンパチできるんじゃない」フィンが言った。
『……あと、二十メートル動けば見える』リヴァが言った。
『だめだよ』ユキナガの声。
『……』
『だめです』アルノの声が来た。
先頭の男が端末とフィンの顔を見比べた。
「金髪だ。あれが一万」
周囲の男たちがフィンを見た。
「殺していい方か?」
「そう。奥のも…いや、眼鏡だから違うか?」
男たちが路地へ入ってきた。
フィンは残弾を確認し、第二退避路の北西側を見た。北アフリカ側の警護車両が一台、交差点の途中に残されている。記録官の退避車両が来れば、そこで動線が塞がる。
『記録官、地上階へ到達』カイが言った。
『西側車両、まだ入れない』ユキナガが続けた。『北西の交差点を空けないと第二退避が止まる』
フィンは東欧側の男たちを見た。次に、アオイが立っている接続路を見た。
「俺は北西を開ける」
「この人たちは…どうするんですか……?」
東欧側の一人が走り出した。アオイの横を抜け、フィンを追うつもりだった。
アオイは一歩だけ左へ出た。
路地はそこで狭くなっていた。片側は石壁、反対側には配送車両が停まり、人間が二人並んで通れる幅はない。
フィンが北西へ走り始めた。
「アオイ、左頼んだ」
「……人数見ました?」
フィンはもういなかった。
「……あのイギリス人」
フィンが車体に近づいた。男が銃口を上げていた。
「リヴァ、そこ」
男が地面に叩きつけられた。遅れて音がした。
フィンが倒れた男を見た。
「愛してる」
左手に持った銃をリロードしながら言った。
『愛……え、』リヴァが固まった。
先頭の男が拳銃を上げた。
アオイは配送車両の後部扉を引いた。開いた扉が男の腕へ当たり、銃口が石壁へ逸れる。発砲音と同時に石片が散った。
扉を押し戻し、男の腕を車体との間に挟む。拳銃が落ちる前に手首を取り、身体を回して男の肩を石壁へ打ちつけた。
「ああ邪魔!」
アオイは黒縁の眼鏡を外し、放り投げた。
後ろから来た二人目が鉄棒を振った。
アオイは最初の男の身体を引き寄せ、鉄棒を背中で受けさせた。そのまま前へ押し返す。二人が衝突し、狭い路地で後続の足が止まった。
「前詰まってんぞ!」
「押せ!」
後ろから押された男が、倒れた二人を跨いで進んできた。
アオイは拳銃を蹴り飛ばし、相手の右手を見た。ナイフだった。
刃が腹へ来る前に手首を外から押さえ、肘の内側へ肩を入れる。男の身体が前へ崩れた。アオイは腕を背中側へ送り、顔から石壁へ当てた。
刃が落ちた。
男の襟を掴んで足元へ引き倒し、後続の進路に置く。
「一人ずつ来いよおおお」アオイが日本語で叫んだ。
「おい、あいつ眼鏡のやつじゃねえの?」
「眼鏡してねえだろ」
「今外したんだよ!」
「じゃあ一万じゃん!」
「横から行け!」
「横ねえだろ!」
「行け行け行け!」
倒れた人間を踏んで、次の男が入ってきた。短機関銃を持っていたが、銃身を上げるだけの幅がない。
アオイは銃身を下へ押し、相手の膝を蹴った。
「俺殺したら…一万…」
膝が曲がったところで銃床を奪い、顎へ押し上げる。男の頭が後ろへ反り、身体が配送車両へ当たった。
「ユーロ、今いくらですか!」
『…184.65円だねー』ユキナガの声がした。『そんな上がってんだ』
「184万6千500円!」
安全装置を確認する余裕はなかった。短機関銃を男ごと地面へ押し込み、足で手首を踏んだ。
後ろから伸びた腕がアオイの髪を掴んだ。
「っ、触んな馬鹿!」
身体を沈め、掴んだ腕の下を抜ける。肘を胸へ入れ、相手が息を詰めたところで足首を払った。
「184万6千500円……」
男が倒れた。
「拠点にいるでっかい人は?!」
『5億弱じゃない?300万ドルでしょ』
後頭部が石床へ当たった。
アオイは男の頭を一度蹴った。
「俺、安うーーーーーーーー!」
残った男たちは、前に倒れた人間を避けて進めなくなっていた。後ろから押す力だけが前へ伝わり、先頭の一人が無理に身体をねじ込んでくる。
アオイはその手首を取った。
「…いや、180万ならそんな安くもないか……?」
刃物を持った腕を石壁へ打ちつけ、一度で落ちなかったため、もう一度打った。手首の向きが変わり、ナイフが落ちる。
『258倍くらいだよ』
『はあああああ』
男の腰へ腕を回し、持ち上げた。
「あああどいつもこいつも、馬鹿!」
身体ごと横へ振り、後ろの男へ投げた。
二人が重なって石床へ落ちた。
上に載っている男のわき腹を蹴った。
「死にてえーーーーーー」
執筆時点のユーロ円:1ユーロ=184.65円(2026年8月)




