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リヴァ・アルカ ―特殊部隊は、一人のアンカーを檻に乞う―  作者: Ilir Noct
第十二章「閉鎖系の外乱 ― Disturbance in a Closed System」

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ランチア テージス




 館の前に、ランチア テージスが止まっていた。


 レナートが降りてきて門の内側に入り、門が閉まった。


 最初にルカを見た。


 片方だけ崩れた袖。頬に残った硝子の粉。手。靴。


 それから、アルノの脇腹へ視線を移した。


「君は誰だい?」


「アルノ・ヴァルツです。責任者です」


「責任者」レナートは人差し指を唇に当てた。「君は先日、大学には来なかったね」


「ご挨拶が遅れて、失礼しました。レナート・モランディ教授」


 ルカが一歩前へ出た。


「教授、ごめんなさい。あの時は俺がユキを大学へ連れてきたかっただけで、この人は関係なくて」


 レナートはルカを一度見てから、視線をアルノに戻した。


 ルカが下を向いた。呼吸が早くなった。


 ユキナガが顔を顰めた。


 レナートはアルノの脇腹を見た。


「その傷は?」


「館内で襲撃を受けました」


「襲撃?一体普段は何をしている場所なんだい?」


「ここは俺の持ち家だ」ヴィクトルが言った。


「持ち家にしては随分大きいね。君は誰?」


「ヴィクトルだ」


「何をしてる人?」


「……色々だな」


「色々、ね?」


 ルカが縋るように、ユキナガの腕に手を回した。


 レナートがそれを見た。


「離れなさい、ルカ」


 ルカが手を離し、一歩下がって下を向いた。


 レナートは眼鏡をかけて、腕を組んだ。視線がアルノへ向いた。


「君が責任者だと言ったね」


「はい」


「それで、君は負傷し、私の研究員を退避させられなかった」


「その通りです」


 アルノは眉一つ動かさなかった。


「あなたの研究員を危険に晒しました。すべての責任は私にあります。申し訳ありません」


 ルカはアルノを見て、何か言おうとして止まった。


 レナートは少し首を傾けた。


「それで終わりかな」


「…いいえ」


「では、何が足りないと思う?」


「危険を予測し、退避させるべきでした」


「判断を誤った?」


「はい」


「君の判断で?」


「はい」


「では、もう一度」


 ルカが一瞬レナートを見て、目を伏せた。


 アルノの左手が、脇腹の布を押さえた。


「私が判断を誤り、あなたの研究員を危険に晒しました。すべての責任は私にあります。申し訳ありません」


「君が謝れば、ルカが危険に晒された事実は変わるのかい?」


「変わりません」


「なら、何のために謝っている?」


「私が負うべき責任を明確にするためです」


「明確にした後は?」


「再発を防ぎます」


「どうやって」


「本番当日の解析に限り、大学研究室から協力を依頼します。それ以外の現場参加は認めません。移動先の拠点の場所も知らせません」


 ルカが顔を上げた。


「え…?」


 ルカが一歩出た。瞳に涙が溜まっていた。


「教授、ごめんなさい。俺が来たんです。ユキに会いたくて、手伝うって言って、この人は止めようとしてたし、銃を撃ったことも自分で。だからー」


 レナートが止まった。眼鏡を押し下げて、ルカを見た。


「……何て?」


 ルカが止まった。


「あ……」


 レナートが眼鏡をかけなおし、右手でルカの二の腕を掴んだ。


「今、何と言ったんだい?」


「……銃を撃ちました」


 煙草を胸ポケットにしまい、左手でルカの頬を包んだ。


「人を撃った?」


「敵が二階に行こうとして」


「敵?」


 レナートの指が、ルカの腕に食い込んでいた。


「殺したのかい?」


「殺してない、教授、ごめんなさい、俺が勝手に」


「誰が撃たせた」


 アルノが言った。


「責任は私にあります」


 レナートがアルノへ顔を戻した。


「護身用に予備拳銃を持たせていました」


「撃つ可能性も分かっていた?」


「はい」


「では、発砲した責任も君にある」


「はい。すべて私にあります」


「教授、違います。俺が自分で撃ったんです」


「君には聞いていないよ」


 ルカの肩が縮んだ。


「ごめんなさい」


「何に対して?言ってごらん」


「銃を撃ったことと、教授に心配かけたことと、位置情報切ったことと、」


「まだある?」


 ルカの呼吸が浅くなった。下を向いて、シャツの裾を掴んだ。


「こっちを見て言いなさい」


 レナートが頬に添えた手を一度離して、もう一度当てた。


 ルカが顔を上げた。目が揺れていた。


 アルノがレナートを見た。


「……忘れ物したことと、昨日、いいって言われるまで我慢できなかったことと、アルノを庇ったことと」


 レナートは表情を変えなかった。


「今も庇っているね」


「……ごめんなさい」


 ルカの目から一滴地面に落ちた。


 ユキナガが唇を噛んで、目を伏せた。


 ヴィクトルが小さく息を吐いて、誰もいない中庭を見た。


 レナートがルカから手を離した。眼鏡を掛け直し、胸ポケットから煙草を取り出して指に挟んだ。


 ユキナガが左手の親指の爪を噛んだ。


「……父さんみたいなことすんなよ」


 アルノの視線がユキナガへ動いた。


 ユキナガの呟きに、ヴィクトルの口元から、笑いが消えた。


「もういいだろ。今後は立ち入らせない。一旦帰れ」ヴィクトルが言った。


 レナートがヴィクトルを見た。


「自分が何者か説明できない男が、指図する権利があると?」


 ヴィクトルはユキナガを指した。


「お前がそいつの保護者面すんなら、俺はユキナガの保護者だ」


 ユキナガがヴィクトルを見た。


 アルノが一歩前へ出た。


「私がユキナガの監督責任を持っています」アルノが言った。「ヴィクトルは外部協力者の立場です」


 レナートはアルノを見た。


「では君は、私の研究員へ銃を使わせ、その兄を監督し、正体を説明できない男まで管理している」


「はい」


「できているのかい?」


「十分ではありません。申し訳ありません」


「そりゃ大変だな」ヴィクトルが言った。「一人で全員の親をやらされてる」


「ヴィクトル、黙ってろ」アルノがヴィクトルを睨んだ。


 レナートがヴィクトルを見る。


 ヴィクトルが腕を組んだ。


「イタリア人にしては、随分印象が違うな」


「ヴィクトル」アルノが目頭を抑えた。


「私はトリエステ生まれだよ」


「ああ。スロベニア人か」


「母がね」


「期待していたイタリア人より陰気なわけだ」


 レナートがヴィクトルを見た。


「君は、どこの人なんだい」


「モルドバだ」


「……ああ。ルーマニアの忘れ物か」


「オーストリアの置き土産が言うな」


「……これも、君の言う管理かい?」レナートがアルノに言う。


「空気を変えてやってんだろ」ヴィクトルが言った。


 レナートはルカへ向き直った。


「帰るよ」


「教授、ごめんなさい。でも当日までは」


「君はもう関わらない」


「俺、必要です」


「必要かどうかを決めるのは君ではない」


「俺の研究です」


「私の研究室のね」


 ルカの目元から涙が落ちた。


「ごめんなさい。研究もちゃんとやります。連絡も返します。帰ります。だから、ユキに会うのは止めないで」


 レナートは答えなかった。


「教授、お願いします」


 ルカは深々と頭を下げた。


「そういう日本式の頼み方は、私には通用しないよ。顔を上げなさい」


「九年を…ユキを取り上げないで」


 ユキナガの手が強く握られた。


「いい加減にしろよオッサン」ユキナガが言った。


「今度は君かい?」レナートが薄く笑ってユキナガを見た。


「俺になにか言う権利は、ないけど、でもさ、」


「君は一度ルカを捨てただろう?」


 ルカが目を伏せてしゃがんだ。


「違う、ユキは」


「九年もだ。ルカから愛されていると知りながら放置した」


「家族との連絡を遮断するのは規則です」アルノが言った。


「だから、そんな規則が必要な組織は一体何なのかと聞いている」


「ごめんなさい教授、ユキは悪くない」


「君たちと関わるようになってから、ルカは以前より判断を乱している」


 ヴィクトルはレナートを見たまま、煙草を咥えた。火はつけなかった。


「普段からそうやって謝らせてるのか」


「君よりは、彼の生活を把握している」


「そりゃ全部決めてりゃ把握もできる」


「ヴィクトル」アルノが言った。


「黙れって?」


「今は」


「無理だな」




 足音がした。


 リヴァが玄関から出てきた。


 並んでいる全員を見て、ルカで止まった。


「泣いてるの」


 駆け寄ってルカを立たせた。ルカがリヴァに抱きついた。


 レナートの表情が僅かに緩んだ。


「君は?怪我はなかったのかい?」


「ない」


「……よかった」


 ユキナガとヴィクトルが同時にレナートを見た。


 リヴァはルカの頭が肩に乗ったまま、話した。


「ルカが危なかったから怒ってるんだよね」リヴァは言った。


「ああ。そうだよ」


 リヴァは一度ルカを見た。


「私が弱かったから、そうなった」


「……どういうことだい?」レナートが言った。


「リヴァ」アルノが言った。


「私が弱かったから、ルカが撃たないといけなくなった」


 レナートがリヴァを見る。


「君も戦っていたってこと?」


「うん。私、狙撃手だから」


 レナートが止まった。アルノが目を閉じた。


「……君が?」


「うん」


「人を撃ったのかい?」


「今日は殺してない」


 レナートは眼鏡越しに、リヴァを上から下まで目線で追った。


「そういう仕事をしているようには見えなかった」


「よく言われる」


「ルカが撃たなければ、どうなっていた?」


「ユキナガが死んでたと思う。ユキナガ以外の誰かも、死んでたかも知れなかった」


「……」


 レナートが目を細めた。リヴァに抱きついているルカの後頭部を見た。


「ルカが止めた。助かった」


「なるほどね」


「ルカのおかげで、みんな生きてここにいる」


 ルカが止まった。


 レナートはリヴァを見た。


「でもね。危険に晒された事実は変わらないよ」


「うん。だから今日は安全な場所に連れて帰ってあげて欲しい」


 アルノが脇腹へ手を当てた。


「…はい。私からもお願いします」


「連絡はもうさせない」レナートが言った。


 ユキナガが目を上げずに言った。


「……それがいい」


 ルカがリヴァから離れて、振り返った。


「待って、教授。ユキ、嫌だ、」


「帰るよ、ルカ」


 リヴァが首を傾けた。


「……ユキナガと双子ってことは、ルカも二十四だよね?」


 間があった。


 車のクラクションの音が遠くで聞こえた。


「……ユキナガとルカで決めたら良くない?」


「生活に支障が出れば、私が止める」


「その時ルカに言えばいい」


「君は何でも本人へ返すんだね」


「本人のことだから」


 レナートはリヴァを見たまま黙った。


 アルノが言った。


「当日まで。解析は大学からのみ。設備への接続は事前にモランディ教授へ通知します」


「現場には出さない?」


「はい」


 間があった。レナートがルカを見て、リヴァを見た。


「契約書を明日の朝九時までに」


 アルノの端末が震えた。


 アルノは端末を取り出さなかった。電話はなかなかきれなかった。


「移転作業があります。正午までに」


 レナートが一度ヴィクトルを見た。


「九時までだ」


 ヴィクトルが煙草を咥えた。


「こいつは今から、連中の処理と、負傷者の移送と、館の封鎖と、次の拠点への移転をやる」


「ヴィクトル」


「その脇腹でな」


「いい、黙ってろ」アルノがヴィクトルに声を荒げた。


「契約書も君がやるのかい?」レナートが言った。


「はい」アルノがすぐに言った。


 ヴィクトルは一度アルノを見た。


「…問題ありません」


 アルノは顔を顰めて、脇腹を押さえて黙った。頬に汗が伝って落ちた。


 リヴァがレナートにかけ寄った。


「教授」


「レナートでいいよ」


「レナート教授、」


「教授はいらないよ」


「レナート、アルノ最近全然寝てないの」リヴァが言った。


 レナートはリヴァを見た。


 肩がルカの涙で濡れていた。


 口角が上がった。


「君は本当にかわいいね。いいよ、正午で」


 レナートはルカへ向き直った。


「帰ろうか」


 レナートはルカの崩れた袖を取り、手首が出るところまで二度折った。反対側も同じ幅に揃えた。


 レナートがルカの腰を支えた。


 ルカは一度だけユキナガを見て、歩き出した。

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