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リヴァ・アルカ ―特殊部隊は、一人のアンカーを檻に乞う―  作者: Ilir Noct
第十二章「閉鎖系の外乱 ― Disturbance in a Closed System」

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資料室




 一階、大階段の踊り場。


 リヴァはルカの横へ入った。


 右手首を取り、腕を引く力に逆らわず半歩ついていく。肘が伸びたところで向きを変え、そのまま腕を背中側へ送った。


「っ、え」


 ルカの肩が上がった。


 前へ出ようとした身体だけが残り、足が一歩遅れて止まる。


 リヴァはルカの斜め後ろへ立ち、手首を持ったまま重心を落とした。


「離して」ルカが言った。「ユキが」


「だめ」


 フィンが横を通って、無言で二階へ上がった。


 ルカが一瞬それを見て、腕を引いた。


 肘と肩が同時に詰まり、膝が折れた。


「痛っ。何これ」


「動かないで。フィンに任せよう」


 ルカは左手でリヴァの腕を外そうとした。


 リヴァは手首の角度を少し変えた。


「っ、待って。いでででで」


 左手が止まった。


 ルカは肩越しにリヴァを見ようとしたが、首だけしか動かなかった。


「みんな、こんなのできるの?ユキも?」


「うん。前に組み手した」


 ルカの動きが一瞬止まった。


「あんたが勝った?」


 リヴァが横を向いた。


「ユキナガがズルして…今のところ、一対一で引き分けてる…はず」


 ルカが少し笑った。下を向いた。


 腕を取られたまま、呼吸が少し落ち着いた。


「……こういうのって、習ったらできるもんなの」


 リヴァが少し考えた。


「これは前にヴィクトルにされたやつ」


「…あの胡散臭いやつか」


「そういう認識なんだ」リヴァが笑った。


 リヴァが手を離した。


 二階から銃声が二発した。


 リヴァがルカの肩に静かに手を置いた。


「キッチンに戻ってて。私は先に地下にーー」


「地下は施錠されているようです。まず復旧させないと開きません」敵の拘束を終えたアルノが言った。


 リヴァがアルノを見た。


「あとわかってないのは、アオイとジュリオ?と、ヴィクトルは?」


「二人は外です。ヴィクトルは…資料室から位置情報が出てますが、全く動いていません」


「わかった。確認する」


「声をかけるまで一緒に隠れていてください」


「…わかった」


「俺もいく」


「行かせません。先ほど拘束した男を、キッチン奥まで運ぶのを手伝ってください」


「今?」


「今です。足側を持ってください。私が頭側を持ちます」


 アルノは脇腹を押さえたまま、拘束した男を示した。


「終わったら、扉を閉めて待っていてください」


 ルカはアルノの脇腹の血を一瞬見て、階段を降りた。


 リヴァは階段を上がった。




 資料室の扉は、人一人が身体を横にすれば通れそうなところまで開いていた。


 ヴィクトルが内側から倒れた棚を押さえているのが見えた。


「ヴィクトル、いた」


 リヴァは空いた隙間から声をかけた。


「来るな」


 ヴィクトルの額から汗が落ちた。


 呼吸が少し浅い。


「……接敵した?」


「してない。いいから向こうへ――」


 リヴァは返事をせず、身体を横にした。


 肩が隙間を抜ける。


「おい」


 頭と胸が入り、腰まで通った。


「いけそう」


 その瞬間、倒れていた棚が軋んだ。


 ヴィクトルの顔色が変わった。


「止まれ」


 棚がずれた。


 扉がゆっくり戻り始める。


 リヴァの腰が、扉と枠の間に残った。


「やばい」


「引くぞ」


 ヴィクトルはリヴァの腕を掴んだ。


 一気に引くと、リヴァの身体が資料室へ倒れ込んだ。


 ほぼ同時に扉が閉まった。


 重い音が響く。


 錠が噛み合う音が、一度響いた。


「……」


 リヴァを正面から抱いたまま、ヴィクトルが小さく息を吐く。


「あーあ」


 リヴァがヴィクトルを見上げた。動く隙間がなかった。


 窓がなく、二人の頭の上には、裸電球が一つぶら下がっているだけだった。


「ヴィクトルが棚たおしてぐちゃぐちゃにするからじゃん」


「苦労して少しずつ開いてたんだが」


 ドアノブを確認するが、全く動かない。


「また施錠されたの?」


「そのようだ」


 ヴィクトルの呼吸が浅い。リヴァの頬に手のひらを添えた。


「怖くないか」


「何」


 上からヴィクトルがリヴァの目を覗き込んだ。


 ヴィクトルの汗が、リヴァの頬に落ちた。


「狭いところは」


 また顔に汗が落ちた。リヴァが手でぬぐった。


「……平気だよ」


「よし」


 ヴィクトルが手を外した。リヴァの両腰にいつのまにか手が回っていた。


 身を捩っても、狭くて方向転換できないまま向き合っているしかなかった。


「ヴィクトル。近い」


「仕方ないだろ」ヴィクトルは言った。「なんでここにきた」


 ヴィクトルがシャツの袖で自分の額をぬぐった。


 上げた腕が裸電球に触れて、二人の影が揺れた。


「アルノが終わるまで一緒に隠れてろって」


「……それはラッキーだな」


 ヴィクトルが笑った。笑ってはいたが、ボルドーのシャツが汗で胸板に張り付いていた。


「……全然ラッキーそうには見えないけど」


 その時、銃声がした。


 ヴィクトルが通信室の受話器を取る。


「ユキ」


 しばらくして、受話器を外した。


「ユキナガの部屋の前の敵はフィンが片付けたらしい」


 リヴァは息をついた。


 その直後、照明が消えた。


「うわ」リヴァが言った。


 ヴィクトルの手が、リヴァの背に回った。力が入った。


「…大丈夫だ」


「……ヴィクトル?」


 その手が震えていた。震えを感じた直後、ヴィクトルの手が離れた。


「……」


「……もしかして、怖い?」


「いや。そんなことはない」


「ヴィクトル」


 リヴァがヴィクトルの顔を見上げた。リヴァの呼吸がヴィクトルの顎に当たった。真っ暗で何も見えない、完全な暗闇だった。


 ヴィクトルがドアノブを回した。開かなかった。


「……くそ」


 もう一度回した。


 リヴァは暗闇の中で手を探し、手首を掴んだ。


 その手を、自分の背中へ戻した。


「ここなら誰にも見えないよ」


 ヴィクトルの指が、シャツの上で止まった。


「…どういうつもりだ」


「隠してあげてる。震えてるの」


「口塞ぐぞ」


「できるなら」


 ヴィクトルの腕が、強く回った。


「…悪い」


 リヴァがヴィクトルの背中に片手を回した。軽く撫でた。


 ヴィクトルのシャツはもう、乾いているところを探してもほとんどなかった。


「クソ、こんな状況じゃなきゃ襲う」


「ちょっと黙ったら?」


 リヴァがヴィクトルの胸に頭を預けた。


 ヴィクトルがリヴァの方に傾いて、肩を壁に預けた。息が上がっていた。


 二人でしばらくそのままでいた。外に足音が聞こえる度、息を殺した。


「…昔から苦手?暗いとこ」


「……暗い所は平気だ」


「狭いとこ?」


「いや……」


 ヴィクトルがリヴァの頭を撫でた。


「それ落ち着く?」


「多少」


「じゃあ、いいよ」


「……悪い」


 ヴィクトルが小さく笑った。息が髪にかかった。


「…子供の頃、地下から誰にも出してもらえなかった」


「何があったの」


「…金持ちの家の使用人をしてた。母親と姉と住み込みで」


「モルドバの時?」


「ああ。扉の前を何人も通った。上で食事もしていた」


「……開けてくれなかったの」


「開ける理由がなかったんだろ」


 リヴァの手が、シャツを掴んだ。


「声、出した?」


「最初は」


「最初は?」


「途中からやめた」


 ヴィクトルが一度、深く息を吸った。


 途中で止まった。


 もう一度吸った。


 今度も、最後まで入らなかった。


「……忘れろ」


「ん」


 ヴィクトルはリヴァの頭を自分の胸へ押しつけた。そのあと、髪に顔を埋めて唇を押し付けた。少しして唇が離れた。


 そのまま、膝が折れた。


 壁伝いに体が下がり、ヴィクトルの膝が床についた。


 リヴァも一緒に膝立ちになった。


「……悪い」


 ヴィクトルがリヴァの胸に顔を埋めた。腰に回された腕が強くなった。


「……苦しい」


 リヴァがそう言っても、ヴィクトルは動かなかった。


「リヴァ」


「…うん」


「好きだ」


「……」


 数秒して、ヴィクトルの腕が緩んだ。少しだけ顔を離した。


「……クソ」


「ヴィクトル」


「……悪い、今じゃなかった」


 リヴァの口元が、少しだけ緩んだ。


 何も言わず、ヴィクトルの頭を撫でた。

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