メソッドアクター
館の東側外周で、アオイは男を見つけた。
「……だれですか」
男は壁沿いを歩いていた。銃声のする館を見たまま、足を止めなかった。
背丈は覚えがある。姿勢が違う。
「……フィン?」
反応がなかった。
大股、肩を動かして歩く。金髪。うっすらと香る煙草の匂いも違う。右利きに見える。フィンにしては重心が低い。
「フィン、ですか」
二度目で、ようやく振り返った。
それから、笑った。
振り返ってから作った笑顔だった。
「よかった。アオイも戻ったんだね」
「…フィンに見えませんでした」
二人は東側通用口へ向かって歩いた。
数歩進んだところで、フィンが止まった。
「アオイ」
「はい」
「俺、変?」
アオイはフィンの顔を見た。
「かなり」
「そっか」
フィンはまた歩き出した。
アオイが隣へ並んだ。
「それで終わりですか」
「確認できたから」
「何を」
「自分じゃ判断できてないこと」
館内で、銃声が続けて鳴った。
フィンが通用口の方を見た。
アオイはフィンを見た。
アオイは一度、何かを飲み込んだ。
「先に入ってください。リヴァも中で危ないかもしれない」
「アオイは」
「外を確認してから入ります」
フィンは通用口へ向かった。
アオイは足を止め、来た道を振り返った。
東側通用口の上で、カメラがフィンの方を向いた。
その少し前、ユキナガは六枚のモニターの前にいた。
足を揺らして、机の脚を蹴っていた。
一階のカメラに、リヴァとアルノが映っていた。二人はキッチンの入口まで押されていた。アルノの左脇腹が、黒く濡れていた。
「何でドア閉まんねえんだよクソ」
一度だけ吸った煙草が灰皿で灰になっていた。
「おい、カイ!カイ!何してんだよ早く上がれ!」
いくら呼びかけても反応は無い。
東側通用口のカメラに、人影が入った。
「アオイ?……いや、誰」
黒いスーツ。肩の下に、防弾の厚み。
ユキナガは位置情報を開いた。フィンの表示は、数分前から館の北西九百メートルで止まっていた。
カメラの中の男は、東側の壁に背をつけていた。
ユキナガの指が、解錠キーの手前で止まった。
顔認証が、フィンを返した。歩き方も、フィンだった。
「……なんでそこにいるの」
返事はない。フィンへの回線も、雑音だった。
その時、別の回線が入った。
『誰か聞いてるか?フィンが居ねえ』ジュリオの声だった。
銃声。
『館側でこっちも接敵した。外周、俺が押さえ--』
通信が切れた。
受信だけが断続的に入っていた。こちらからの送信は弾かれていた。
ユキナガは送信キーを押した。
「ジュリオ、そっち何人」
送信表示が赤くなった。
もう一度押した。
また赤くなった。
ユキナガは通用口を解錠した。男が中へ入った。すぐ施錠を戻した。
東側通用口の錠が、一度だけ外れた。
小さな機械音だった。
東側通用口が、開いた。
リヴァは銃口をそちらへ振ろうとして、止めた。
「アオイ、――」
入ってきたのは、黒いスーツの男だった。上着の下に、防弾の厚みがあった。
「誰?」
男は答えなかった。
非常灯の外から、リヴァの肩越しへ銃口を向けた。
一発鳴った。
弾が、硝子戸側の壁にいた三人目の背の装備で止まった。男は壁へ肩を打ちつけ、大階段の方へ退がった。
黒いスーツの男が、非常灯の下へ出た。
フィンだった。
黒いジャケットの前は、留められたままだった。袖口も、襟も崩れていなかった。
フィンがアルノの脇腹を見た。
「リヴァ狙撃地点に上げる?」フィンは言った。
「いえ、屋上の状況を確認できていません」アルノは言った。
「これ通信妨害?」
「おそらく」
フィンの視線が、リヴァへ戻った。
そのまま近づいてきた。
「フィン?」
フィンは左手でリヴァの右手首を掴んだ。Glockの銃口を床へ向けさせ、石柱へ押しつけた。
背中が石に当たった。
「っ、フィン?」
フィンがリヴァに顔を寄せた。
「……戻して」
フィンが口づけた。
唇を塞ぎ、息を継ぐ間も与えず、角度を変えた。
煙草と、甘く冷えたミントの味がした。
いつものフィンのものではなかった。
「は?」アルノがそれを見て言った。
リヴァの左手が、フィンの胸に触れた。指が黒いジャケットの襟を握った。離そうにもびくともしない。
硝子戸側で、靴底が石を擦った。
三人目が身体を起こし、銃口を戻した。
フィンは口を離さなかった。
リヴァの右手首を押さえたまま、顔だけを僅かに傾けた。右手の拳銃を、リヴァの肩越しへ向けた。
一発撃った。
発砲音が、石柱のすぐ脇で鳴った。
三人目の肩が跳ねた。拳銃が壁へ当たり、床へ落ちた。男は欄干の陰へ転がり込んだ。
フィンはすぐリヴァへ顔を戻した。
口づけが、さらに深くなった。
リヴァの息が詰まった。
背中が石柱をずるずると滑った。膝から力が抜けた。
フィンは拳銃を持った右腕をリヴァの腰へ回した。
落ちていく身体を支えながら、離れなかった。
リヴァの銃を持つ手が下がった。左手だけが、フィンの襟を握ったまま残った。
アルノは床に落とした男の腕を踏み、手首を返して肩を極めた。男が身を捩った。アルノは頸へ腕を回し、さらに締めた。
フィンの指が、リヴァの首の後ろへ深く入った。
リヴァは息を吸おうとして、フィンの唇の間で小さく喉を鳴らした。
アルノの銃口が、階段側の敵へ向いた。
一発。
欄干の石が欠けた。
フィンが、ようやく口を離した。
リヴァはフィンの腕に支えられたまま、浅く息を吸った。
唇に、煙草とミントの味が残っていた。
目の前のフィンは、まだ笑っていなかった。
「フィンじゃないみたい」
フィンの目が、僅かに動いた。
腰に回っていた腕へ、力が入った。
「ちゃんと見て」
リヴァは、至近距離にある顔を見た。
整った襟。崩れていない髪。普段より遅い呼吸。
「……フィン?」
フィンは数秒、リヴァを見ていた。
それから、短く息を吐いた。
「わかんなくなっちゃったかも」
フィンがリヴァを立たせた。
腰から腕を外した。首の後ろからも手を離した。
リヴァは石柱へ手をついた。
フィンがリヴァの横へ入った。
リヴァは何も言わず、左へ銃口を戻した。弾倉を抜いて、新しいものを入れた。
アルノは床の男の抵抗が落ちるまで頸を締めた。呼吸を確かめ、拳銃を足で蹴り離した。
「アルノ、残りは」フィンは言った。
「……今は活動可能二名。左側と、階段です」
アルノは荒い息も整えずに言った。
脇腹から落ちた血が、シャツの裾を伝っていた。
硝子戸側へ退がった三人目が、欄干の陰で肩を押さえていた。そこにいた四人目は片腕をかばい、拳銃を左手に持ち替えていた。
フィンが左へ銃口を向けた。
アルノが階段側を取った。
リヴァは石柱へ背を預けたまま、一度だけ息を整えた。
唇に残った味は、まだ消えなかった。
硝子戸側の男が、床に落ちた拳銃へ手を伸ばした。
フィンが一歩出た。
男の手首を踏み、襟を掴んで身体を伏せさせた。肩を撃たれた男が呻いた。フィンは背中へ膝を置き、拳銃を足で蹴り離した。
階段側で、四人目が欄干から左手の拳銃を上げた。




