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リヴァ・アルカ ―特殊部隊は、一人のアンカーを檻に乞う―  作者: Ilir Noct
第十二章「閉鎖系の外乱 ― Disturbance in a Closed System」

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エレナ・コンティ





 ローマ、資料室。午後三時四十六分。



 二階の狭い資料室にヴィクトルがいた。


 壁の棚に会場周辺の資料が積まれ、小さな机には会合関係者の一覧が開いてあった。Sobranieが一本、灰皿の縁で灰になりかけていた。


 部屋は沢山の棚に囲まれ二畳ほどで窓がなく、小さな電球が一つ、ついているだけだった。


 薄く開けていた扉が、大きく開いた。


「ヴィクトル」


 ジュリオが入ってきた。手に、薄い書類の束を持っていた。


「悪いな、突然」


「突然来るときに、悪いと思ったことがあるか」


「ない。礼儀として言った」


 ジュリオはいつものように机の角へ腰を預けた。灰皿の横に置かれたSobranieの箱へ手を伸ばし、ヴィクトルに指先を払われた。


「触るな」


「相変わらず心が狭いなあ」


「お前に一本やると、箱ごと持っていくだろ」


 ジュリオは持っていた書類を、ヴィクトルの前に置いた。


「ちょっと見てくれ」


「確認ならこんな狭いところじゃなく共用スペースでいいだろ」


「俺だってお前と密室は嫌だよ、けど相談があって」


 ヴィクトルは書類を手に取った。


 ジュリオをこの会合の現地実働へ回す派遣命令と、欧州支部からの増援回答だった。日付も、署名も、経路も正しかった。


「これがどうしたんだ」ヴィクトルは言った。「変なところはない」


「ああ」ジュリオは言った。「それが気持ち悪い」


「……今さら細かいところ気にするのか。お前が?」


「アルノは、四人で申請を出してたと聞いた」


「…ああ」


「全部、正規の手続きで通ってる」ジュリオは言った。「ただ、交代要員なし。負傷、離脱時の補充なし。追加派遣の予定もなし、と」


 ヴィクトルは書類を持ったまま、回答書をもう一度見た。


「……なるほどな」


「お前の見立てだとどうだ」ジュリオは言った。


 ジュリオはポケットからMS Biondeの箱を出して、一本抜いた。


 火をつけた。


「なあ」ジュリオが煙を吐いた。「……俺は、アルカに切られたと思う?」


 ヴィクトルが止まった。


「煙草、持ってたなら最初から自分のを吸え」


 もう一度書類を見て、眉間に皺を寄せた。


「何を根拠に言ってる」


「日本側のコアが、ヤクザ(ジャパニーズマフィア)だったんだろ」


「……それで?」


「欧州側も同じなら、元カラビニエリの俺は邪魔になる」


「お前がマフィアを摘発していたからか」


「しまくってたからな。恨まれる覚えはある」


「それで、欧州支部のコアがマフィア側なら、この派遣でお前を処分する、と?」


「処分命令なんかいらない」ジュリオは書類を指した。「追加人員は俺だけ。欠けても補わない。追加も出さない。それで充分だろ」


「馬鹿馬鹿しい。何年アルカにいるんだよ、お前。粛清ならもっと前にできた。アルノたちまで巻き込む理由もない」


「……じゃあ、任務ごと切る形なら?」


 灰皿の縁で、ヴィクトルの煙草の灰が落ちた。


 ジュリオは机から腰を上げなかった。


「前にもあったか」ジュリオが言った。「帰る手段だけ消えてる仕事」


 ヴィクトルは、灰皿の煙草を消した。


「エレナ・コンティ」ジュリオが言った。


 ヴィクトルが顔を上げた。


「……」


「六年前に消えた。財団の周りに入り込んでた女だ」


「……どういう関係だ」


「俺が聞いてる」


 ヴィクトルは答えなかった。


「……やっぱ知ってるのか、ヴィクトル」


 ヴィクトルは新しい煙草を一本出し、火をつけた。


「最後の退避担当は、俺だった」


 ジュリオの身体から、動きが消えた。


「……何だって」


「国外へ出すための身分と経路を作った。最後に迎えへ行くのも、俺だった」


「お前が?」


「ああ」


「じゃあ、なんでエレナはいなくなった」


「……」


 ジュリオはヴィクトルを見たまま、短く息を吐いた。


「……一緒に暮らしてたんだ」ジュリオが言った。


 ヴィクトルは何も言わなかった。


「俺の部屋の鍵を持ってた。勝手に冷蔵庫の中身を捨てて、俺の煙草も捨てる女だった」


 ヴィクトルの目が、わずかに動いた。


「煙草を窓から投げる女か」


 ジュリオが止まった。


「覚えてたんだな」


「名前は聞いてなかった」


「俺が何年、誰の話をしてたと思ってた」


「確証がなかった」


 間があった。


「……途中で何があった」ジュリオが言った。


「中止命令が来た」


「誰が決めた」


「コアだ」


「どの」


「惣一」


「……実行は」


「俺だ」


 ジュリオの拳が、ヴィクトルの頬へ入った。


 椅子が横へずれ、机の上の一覧が揺れた。一枚が床へ落ちた。


 ヴィクトルは避けなかった。


 ジュリオはヴィクトルの胸倉を掴み、引き起こした。


 ヴィクトルはジュリオの手を外さなかった。


「なんで行かなかった」ジュリオがヴィクトルの顔に近づいて言った。


「……」


「命令が来たら、あいつはどうでもよくなったのか」


「違う」


「じゃあ、なんで行かなかった」


「俺が動けば、セーフハウスも協力者も、全部割れた」


「関係ない」


 ジュリオの手に力が入った。


「迎えを待ってたかもしれない」ジュリオの目から涙が伝った。


「そうかもしれない」


「お前が来ると思ってたかもしれない」


「ああ」


「それでも行かなかった」ジュリオは声を荒げた。


「……そうだ」


 ジュリオの呼吸が、そこで崩れた。


 胸倉を掴んだまま顔を伏せた。涙がヴィクトルのシャツへ落ちた。


「俺があいつの話をしてたとき、お前は何を考えてた」


「名前を知らなかった」


「途中で気づいたんだろ」


「疑っただけだ」


「それで友達の顔をして、俺の話を聞いてた?」


「友達だったから聞いた」


 ジュリオの目から、もう一度涙が落ちた。


「今、それを言うな」


「……」


「じゃあなんで、またアルカに関わってる」


「離れても、同じ命令は止まらなかった」


「今度は止められると思ってる?」


「思ってなきゃ、ここにはいない」


 胸倉を掴む手が緩んだ。


 ジュリオはヴィクトルを離した。


 二人の荒い息が部屋に響いていた。


 ジュリオは上着の内側から、折れた紙を取り出した。


「エレナの荷物に残ってた。財団のなにかの番号だ」


 紙には、古い番号が一つ記されていた。


「何を調べてたのかは、分からない」


「……」


「お前なら何かわかるかもしれない」


 ヴィクトルが手を伸ばすと、ジュリオは紙を引いた。


「原本は渡さない」


「仕事はさせるのか」


「いいから調べてくれ」


 ジュリオは番号だけを読み上げた。ヴィクトルは端末へ入力した。


 ジュリオは紙を上着の内側へ戻した。


「……あの半地下で、俺はリヴァに守られた」


 ヴィクトルは口元の血を拭った。手についた血を確認した。


「……エレナも、そういう女だった」ジュリオは言った。「俺より先に危険へ入って、俺だけを後ろへ押す」


「リヴァをエレナにするな」


 ジュリオの目が上がった。


「お前が言うのか」


「あいつは、お前のやり直しじゃない」


「お前も同じだろうが」ジュリオの声が響いた。


 ヴィクトルが黙った。


 ジュリオが机に置かれた派遣関係の書類も取り上げ、折って内ポケットへしまった。


 ヴィクトルに背を向けて、大きく息を吸った。


 袖で雑に目を拭いた。


 扉のところまで歩いてから、振り返った。


 口元にだけ、いつもの笑みを戻した。


「じゃあ俺、今からリヴァとデートだから」


「その顔で行くのか」


「弱ってる男には、女も少し優しいだろ」


「あいつは優しくないぞ」


 ジュリオが扉を開けた。


「ジュリオ」


 足が止まった。


「帰ってこい」


 ジュリオは振り返らなかった。


「……六年前に言えよ」


 ジュリオは出ていった。





 資料室に、ヴィクトル一人になった。


 閉まった扉を見て、少しだけ開けた状態に戻した。床に適当にまとめられた紙をドアに挟んだ。


 机の上には、ジュリオの煙草の灰と、床へ落ちた会合関係者の一覧が残っていた。


 ヴィクトルは紙を拾い、机へ戻した。


 口元へ触れると、指に血がついた。


 ヴィクトルは作戦記録の保留案件を開いた。


 二件あった。


 作戦編成除外に関する医学的勧告。


 どちらにも、オラヴルの署名が入っていた。対象はリヴァ。能力使用後の意識喪失、記憶障害、急性症状を理由に、今回の作戦編成から外すことを求めていた。


 二件とも、アルノのところで「上申保留」になっていた。


 惣一には届いていない。


 ヴィクトルは時計を見た。


 午後四時八分。


 東京は、午後十一時八分。


 端末から、オラヴルを呼び出した。


 二回で出た。


「…リヴァは」


「生きてる」ヴィクトルは言った。「挨拶くらいしろ、オリ」


「歩けている?」


「歩いてた。普通だよ」


「今は」


「当日の安全地帯の選定をしに行ってる」


 オラヴルは黙った。


「お前の勧告を見た」ヴィクトルは言った。「リヴァの編成除外。二度出してるな」


「出したよ」


「二件とも、アルノで止まってる」


「……惣一には」


「届いてない」


 返事がなかった。


 オラヴルは短く息を吐いた。


 ヴィクトルは、指についた血を親指で拭った。


「却下されると思って止めたんだろうな」


「……そうだろうね」


「お前の過去も、これ以上掘らせたくなかったんだろ」


「分かっているよ」


 オラヴルの声は変わらなかった。


「止めようと思えば、お前なら出来た」ヴィクトルが言った。


「リヴァは大人しくしてるような子じゃないよ」


「薬でも何でも使えただろ、お前なら」


「物騒なこと言わないでくれるかい」


「準備してただろ」


 オラヴルが止まった。


 そして、いつもより小さな声で言った。


「……彼女が、帰ってくると言ったから」


 ヴィクトルは何も言わなかった。


 机の端に置かれたSobranieの箱へ手を伸ばし、一本抜いた。


「アルノに連絡してやれ」ヴィクトルは言った。「あいつも限界だ」


「アルノが待っているのは、僕じゃないだろう」


「俺も余裕がない」


「…そうか」


「お前もだ」


 少し間があった。


「……そうだね」


 ヴィクトルは煙草を口に咥えたまま、火をつけなかった。


「例の……君に頼んでいた件は」オラヴルが言った。


「マニラ行きならできてる」


「最初から、そこへ?」


「まさか。消えた後の場所だ」


「彼女には」


「まだ話してない」


「…何故」


「そのうち伝えるさ」


 電話の向こうが静かになった。


「……誰が?」


「何だ」


「誰が生き残ったら、話すんだい」


 間があった。


 ヴィクトルが息を吐いた。


「いかん、疲れてるらしい」


「ヴィクトル」


 ヴィクトルは止まった。そしてライターで煙草に火をつけた。


「……ユキナガには、もう渡した」ヴィクトルは言った。「俺の認証が七十二時間止まれば、ファイルが開く」


「それは、リヴァの帰還計画ではないね」


 ヴィクトルが煙を吐いた。


「君の死亡処理だろ」


 しばらく、どちらも話さなかった。


「明日も、電話しなさい」オラヴルが言った。


「おやすみ、オリ」


「ヴィクトル」


 通話を切ろうとした指が止まった。


「何だ。しつこいぞ」


「リヴァを、帰してくれ」


「……分かってる」


「君もね」


 ヴィクトルは返事をしなかった。


 通話が切れた。


 机の上で、リヴァの勧告書と、会合関係者の一覧が並んで開いていた。

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