開かないファイル
ローマ拠点、監視室 午後十時二十分。
モニターの光だけが、部屋を青く染めていた。
ユキナガは端末の前に座り、回収した二台の解析を回していた。煙草を咥えたまま、片手でログを送っている。瞳だけが素早く動いていた。
ヴィクトルは少し離れた席で、別の画面を見ていた。翌日の会合関係者一覧と、ノルドハウン側の連絡記録が並んでいた。煙草を一本、指に挟んでいた。
ユキナガが、画面を止めた。
「雇い主は別っぽい」ユキナガは言った。「実働同士で連絡してる形跡も、アルノの見立て通りない」
ヴィクトルは画面から目を上げなかった。
「でも地図だけ、同じ原図から切られてる」ユキナガは続けた。「切り分け方が一緒。使い回しっぽくて気持ち悪い」
「他は」
ユキナガは三回、人差し指でキーを押した。力強かった。
「今んとこそれだけ。目的も、誰が仕切ってんのかも出ない」
椅子の背もたれに体を傾けた。椅子が鳴った。
ヴィクトルは会合関係者一覧の一つを開いた。別の窓に、ノルドハウンの内部資料と、自分の照会先を重ねた。しばらく、三つの画面を行き来していた。
「ユキナガ」ヴィクトルは言った。
「ん?」
「この代表」
ユキナガが顔を上げた。
「誰。ノルドハウン?」
「登録されてるのは代理人だ」ヴィクトルは画面を指で送った。「参加資格が、代表の権限から発行されてる。委任も、署名も、先月更新されてる」
「それで?」
ヴィクトルが煙草を一度吸った。
ゆっくり吐いた。
「…こいつは三年前に死んでる」
ユキナガの手が、ログの上で止まった。
「……は?」
ユキナガは一覧をもう一度見た。
「死亡、公式に出てんの?」
「出てない」
「じゃあ、なんでヴィクトルは知ってんの」
「遺体を見た」
ヴィクトルは煙をもう一度、長く吐いた。
ユキナガが椅子を少し揺らした。
「今日の五人と、外の射手と、死人の権限。ぜんぶ繋がってるとみてる?」
「同じ人間とは限らん」ヴィクトルは言った。
「でも」ユキナガは画面を見た。「同じ盤面には、置かれてる…?」
語尾が、疑問のように上がった。
「そうだ」
一拍あって、ヴィクトルが笑った。
「別々の人間に、別々の仕事をさせてるとみるのが素直だろうな」
ユキナガが、報告文を打ち始めた。
「その情報を出したら、誰が動く」
「誰って……敵でしょ。死人の署名使ってる奴」
「味方だ」
ユキナガの手が、キーの上で浮いた。
「アルノは参加者確認をやり直す。ジュリオは現地の導線を洗い直す。カイは記録官の警護を固める。フィンは外周の配置を変える」ヴィクトルは煙を吐いた。「一つの情報で、俺たちの盤面も動く」
「……」
「情報は、正しいかどうかだけじゃない」ヴィクトルは言った。「出したあと、誰が動くかまで見ろ」
ユキナガは、打ちかけた文を見ていた。
しばらくして、また打ち始めた。
背もたれに体を預けた。
ヴィクトルが端末を操作した。ユキナガの画面に、一つのファイルが届いた。鍵のかかった、名前のないファイルだった。
「何これ」ユキナガは言った。
「消すな」
「いや、何これって聞いてんだけど」
「条件が揃えば、勝手に開く」ヴィクトルは言った。「俺の認証が、72時間止まったら」
「…は?」
ユキナガが、ヴィクトルを見た。
「……縁起悪いって」
「まあ、50年後かもな」
「アルノに渡せよ」
「あいつにこの情報はいらん」
机の端に、ローマ大学の来訪者証が置かれていた。
ヴィクトルがそれを目に留めた。
「弟はどうだった」
「あいつ、なんも変わってない」
ヴィクトルは灰を落とした。
「家は」
「知らない。ルカも継がないんじゃね?」
「本人に聞いたのか」
「聞いてない」
「なら、明日聞いとけ。あの城は持ってて損はないだろ」
「……城じゃないけど」
「門を抜けてから玄関まで車で走る家は、城だろ」
「……調べんなよ」
「Googleマップで見ただけだ」
「見んな」
ユキナガは届いたファイルを、もう一度見た。
「ヴィクトルも、誰かにこういうの渡されたの」ユキナガは言った。
「いや」
「じゃあ、なんで作ったの」
「……前に、間に合わなかった」
ヴィクトルの指が、止まった。
ユキナガが顔を上げた。
「誰に」
ヴィクトルは答えなかった。
Sobranieの煙が、モニターの光の中をまっすぐ上がって、崩れた。
ヴィクトルが、端末を閉じた。
立ち上がって、椅子の背から上着を取った。
「飲み行くぞ」ヴィクトルは言った。
「……この流れで?」
「ローマで夜遊びしないでどうする」
ユキナガは少しの間、ヴィクトルを見ていた。それから、煙草を消して立った。
ヴィクトルが、上着の内側から一枚のカードキーを出した。ユキナガの手に押しつけた。
「これ使え。ここには連れてくるな」ヴィクトルは言った。
「……なにこれ、ホテル?」
「雰囲気が最高だ」
ユキナガが笑った。
ヴィクトルは先に扉を開けた。廊下の灯りが差し込んだ。
「見せてみろ、アジア代表」
「規模でけえ」
ユキナガはカードキーをポケットに入れた。端末を閉じた。
ヴィクトルの後を追った。




