コロッセオ
ローマ拠点、一階の共用スペース。午後三時。
中庭側の硝子戸から西日が差し込み、床に長い格子を落としていた。
リヴァは大学から戻ったばかりで、テーブルの端に座っていた。ジュリオが向かいから身を乗り出していた。
「街を見に行こう」ジュリオは言った。「ローマまで来て、研究棟しか見てないだろ」
「お仕事は?」リヴァは言った。
「日が暮れる前のローマを、君に見せたい」
ジュリオは少し離れた席のアオイを指した。
「こいつも来る」
「それお仕事じゃないの」
「狙撃に使える高所を見に行くんですよ」
「お願いします」アルノが端末から目を上げずに言った。
「俺も行く」カイが言った。
フィンが紅茶のカップを置いた。
「カイは今から俺と、バチカンの記録官に会いに行くんだよ」
カイはリヴァを一度見た。
眉間に皺を寄せた。
「何かあったら、すぐ連絡しろ」
リヴァは頷いた。
ヴィクトルとユキナガは、奥の通信室から出てこなかった。
ジュリオが立ち上がり、上着の内側を軽く開いた。黒いホルスターがのぞき、すぐ上着の内側へ隠れた。
「じゃあ行くか。デートだ」ジュリオは言った。
「お仕事だよ」
リヴァは上着の下、腰の後ろに手をやった。拳銃の重さが服の内側に収まっている。
ジュリオがリヴァへ手を差し出した。
「自分で歩ける」リヴァはその手を見て、立ち上がった。
「今日の失恋、一つ目」
西日が三人の影を、床の格子に重ねて伸ばした。
コロッセオ。
石畳の先に、コロッセオが西日を受けて立っていた。
外壁のアーチが、段ごとに影を深くしている。
入り口には、金属探知機へ続く列ができていた。
「本当は中を見せたかったが」ジュリオは言った。「残念だ」
リヴァは足を止め、アーチの連なりを見上げた。
「その顔が見たかった」ジュリオは言った。
「でかい」リヴァは言った。
「なんて綺麗な横顔なんだ」
アオイは二人から数歩離れ、広場の出入り口と、脇へ抜ける細い階段を順に見ていた。
「昔の連中は、あそこで戦いを眺めてた」ジュリオがリヴァの隣に並んだ。「ローマは美しいものと残酷なものを、いつも同じ場所に置く。君みたいに」
「意味わかんない」リヴァは言った。
ジュリオが口角を上げたまま空を見上げ、それから北を指した。
「上も見ておこう。君の仕事の方だ」
石造りの建物が肩を寄せて並んでいた。ジュリオが一軒の管理人に声をかけて鍵の束を借り、屋上へ続く扉の錠を開けさせた。
屋上に出ると、会場の北の屋根が正面に見えた。リヴァは胸壁の際に立ち、搬出口までの距離を目で引いた。直線で120メートル、西日は斜め後ろから差していた。身を伏せれば胸壁の影に入る。だが胸壁が低く、銃口とスコープが縁から抜ける。
「撃てる。でも見える」リヴァは言った。
アオイは屋上の出入り口に立ち、そこへ上がる階段の幅と、非常梯子の位置を見ていた。
「梯子一本ですね……」アオイは言った。
ジュリオが次の建物の管理人と短く話し、鐘楼の狭い扉を開けさせた。窓は高く、会場の正面が抜けて見えたが、リヴァは窓枠に手をかけて、すぐ離した。首を振った。
三つ目は、最上階だけが空室になっている建物だった。空室に入ると、窓が会場の裏口へまっすぐ向いていた。リヴァは窓辺に立ってから部屋を振り返り、入ってきた扉を見た。
「ここは使えない」リヴァは言った。
「なんで。射線は一番いいだろ」ジュリオは言った。
「撃ったあと、下りるまでに見つかる。階段が一本しかない」
ジュリオの目が、リヴァの顔から扉へ移っていた。
「……君は、本当に撃つ側なんだな」ジュリオは言った。
「……なんだと思ってたの」リヴァは言った。
「俺のお嫁さん」
リヴァが目を細めて無言でジュリオを見ていた。
しばらくそのままだった。
間があった。
「……ごめんな、機嫌直してくれ」
「違う」
リヴァはジュリオの肩越しに、窓の外を見ていた。
向かいの建物の、窓を板で塞がれた上階。その外廊下に人影があった。さっき管理人が、あの階は閉鎖中だと言っていた。
ジュリオが振り返って確認した。
人影はこちらに気づいていないようだった。
「…見てくる」ジュリオが言い、廊下の奥にある隣棟への非常通路へ消えた。
「一旦、降りましょう」アオイは言った。
「うん」
二人は階段を下り、建物の半地下にある細い整備通路へ入った。片側は配管の壁、片側に施錠された扉が並び、突き当たりに外へ抜ける鉄扉があった。
通路の両端と途中の扉から、私服の男が現れた。観光客の服だったが、歩き方に隙がなかった。
「五」リヴァは言った。
アオイが片耳のイヤホンに指を当てた。
「こちらアオイ。半地下整備通路。対象五、私服、武装不明。リヴァ同行。ジュリオと分断」
『配置』
アオイは五人の位置を一度に見た。
「鉄扉側に二、階段側に二、側面に一。退路なし」
『了解。狭窄部を保持。リヴァは側面警戒。接触した対象のみ制圧。逃走者は追わない。ジュリオを戻します』
「了解」
アオイはリヴァを配管の壁際へ下げ、自分は通路のいちばん狭い場所に立った。
人がすれ違うのにギリギリの幅だった。リヴァは壁に背をつけた。アオイの背と五人全員が同じ視界に入る角度を取った。
男たちはまだ銃を抜かなかった。両端から、距離だけを詰めてくる。
リヴァは腰に手を動かした。
「抜かないでください」
アオイが背後にいるリヴァに視線を向けずに言った。リヴァが止まった。
アオイが息を一つ吐き、先頭の男の腕へ手を伸ばした。




