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リヴァ・アルカ ―特殊部隊は、一人のアンカーを檻に乞う―  作者: Ilir Noct
第十一章「情熱の死角 ― Blind Spot of Desire」

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ローマ大学




 研究棟の管理受付に、男が立っていた。


 自動扉の内側、白いカウンターの手前。セピアがかった黒髪を後ろへ撫でつけ、暗いオリーブ色の目でこちらを見ていた。背はユキナガより少しだけ低い。


 細く巻かれた手巻き煙草から、乾いた葉の匂いがしていた。その奥に、アンバーと香木を思わせる、整った香水の匂いが混じっていた。


「外まで来なくてよかったのに。教授」ルカが言った。


「遅かったね」


「ちょうどに着きました」


「君はいつも予定より三分は早いよ」


「……そういうこともあります」


 男は街路のゴミ箱、その上部の灰皿で煙草を消した。カウンターの端末に指を滑らせ、受付の職員に何か短く告げた。


「レナート・モランディ教授。俺の指導教員」ルカが男を指して、ユキナガとリヴァに言った。


 レナートの言葉に大学の受付職員が頷いた。来訪者の記録票は出てこなかった。


「ありがとうございます」ルカがレナートを見た。「助かります」


 レナートは頷いてから、目線をリヴァへ向けた。


 細められた。


「……?」


 間があった。


「かわいいね」


 リヴァは眉間に皺を寄せた。


 やがて視線が外れた。ユキナガへ移った。


 レナートは自分の唇に二回、人差し指を当てて、首を傾げた。


「……ルカと全然似ていないね」


 ユキナガは一拍止まった。


「…弟が、お世話になってます」


 レナートは表情を変えなかった。


 ルカの腰にレナートは一度手を添え、先へ促した。手はすぐに離れた。ユキナガはその手を見ていた。


「何かあったら呼びなさい」


 レナートはそのまま奥の会議棟の方へ歩いていった。


 ルカの研究室は、廊下の突き当たりにあった。


 室内にはルカの端末が並び、観測機材と解析用のモニターが壁際に据えられていた。私物が机の端に寄せてある。英語の論文が、画面に開いたままになっていた。


「ここ。解析室なんだけど、実質俺の専用部屋になってる」


「すげえ好待遇じゃん」


「まあね」


 三人は作業に入った。ユキナガが通信ログを、ルカが行動観測データを開いていた。


 旧鍵の痕跡を追い、リヴァは必要な箇所だけ確認する。数字が合わなければ、やり直した。会話は仕事の範囲を出なかった。


 しばらくして、リヴァは席を立った。




 研究室を出て、廊下を歩いた。


 窓際に人が立っていた。


 白に近い髪が、窓からの光を透かしていた。 


 通話を終えたところらしく、端末を下ろすところだった。


 光が輪郭の縁に溜まって、後ろから射しているように見えた。中性的な、作りものめいた美しさだった。線の細さがどこかルカに似ていた。


 目が合った。


 相手は一瞬だけリヴァを見た。


「こんにちは」


 リヴァの肩が動いた。


「……こんにちは」リヴァは言った。


 研究室の扉が開いた。ルカが出てきた。男とあいさつを交わした。


「あの人、セオドール神父。バチカン系の文化財保護財団にいて、レナートの元教え子。今は共同研究で、研究室に出入りしてる」


「セオドール・カイン」セオドールはリヴァに手を出した。


 リヴァが手を握った。


「……」


「こっちは兄の友達。リヴァ」


「……リヴァ」


 相手はそれだけ言って、手を離した。


 踵を返した。


「……」


 二人は研究室へ戻った。

 



 作業がある程度進んだ頃、扉が叩かれた。金髪の白衣の女が顔を出した。


 そばかすがあって、快活な笑顔だった。


「ルカ、教授が呼んでたよ」


 ルカの顔が、一瞬だけ歪んだ。


「わかった」


「急いであげて。この後教授、神父と会議入ってる」


「わかったよ」


 女が出て行こうとして、ユキナガを見て動きを止めた。


「……待って。同じ顔。もしかしてお兄さん?」女は英語に切り替えた。


「あー…はい」ユキナガが首に手を当てた。


「嘘でしょ!?…よかったね、ルカ」


 それだけ言って女は部屋を出た。


「今の、同期?」ユキナガが言った。


「元カノ」


 ルカは立ち上がりながら、頭をかいた。


「ちょっと行ってくる」


 ルカが足早に出て行った。


 扉が閉まった。


「頭かいてるの、ユキナガとおんなじ動きだね」リヴァが笑った。「ちょっとめんどくさい時」


「やめろよ」ユキナガが頭をかこうとして、上がりかけた手を止めた。


「……ほら」


 二人で目を合わせて、吹き出した。

 



 ルカは扉を叩いてから開けた。


 レナートは机に向かっていた。顔を上げなかった。


「ドアを閉めて」


 ルカは無言で扉を閉めた。鍵もかけた。


 机の前まで寄った。レナートとは目を合わせなかった。


 レナートが顔を上げた。


「二日も帰らなかった理由を聞こうか」


「……ユキが見つかったから」


 間があった。


 それから、レナートの視線がルカの胸ポケットへ落ちた。箱の輪郭が布を押している。


「渡した煙草は?」


「…もうない、です」


 ルカは上着の内側から、空になったシルバーのシガレットケースを出して、机に置いた。


 レナートは引き出しから手巻きを取り、一本ずつケースへ入れていった。


 十本ちょうど、ケースに収めた。


 レナートがケースを閉めながら言った。


「長年の研究が実を結ぶのを見ると、私も嬉しいよ。ルカ」


 閉じたケースを、ルカの方へ滑らせる。


「兄を見つけたくて、この研究を始めたんだものね?」


 ルカは何も言わなかった。


「おいで」


 ルカはレナートのすぐ横に立った。視線が床に向いていた。


 レナートの指が、ルカの入館証のストラップにかかった。軽く引いた。


 ルカが一歩、机側へ寄った。


 しばらくそのまま、レナートが至近距離でまっすぐルカを見ていた。


 ルカは観念して視線を合わせた。


「ルカ。私はもう用済みかい?」


 ルカは答えなかった。


 レナートはもう少し、入館証の紐を引いた。


 さらに二人の距離が縮まる。


 ストラップにかかった指は、まだ離れなかった。


 レナートがストラップを離した。


 離されても、ルカはその場から動かなかった。


「今回のデータは、私は見ない方がいいんだろう?」


「……え」ルカが顔を上げた。


「大丈夫。君は心配しなくていい」レナートが言った。「私は君を信じている。セオも会合にかかわるって言っていたからね」


 レナートがもう一歩近づいて、その手がルカの頬を一度撫でた。


「行っていいよ」


「……ありがとうございます」


 ルカはケースを内ポケットへ戻し、扉へ向かった。鍵を開け、ノブに手をかけた。


 閉じかけた扉の隙間に、レナートの声が届いた。


「今夜は帰ってきなさい」


 ルカは頭をかきながら部屋を出た。


 扉が閉まった。


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