双子
ローマ拠点 一階の共用スペース 午後十時二十六分。
硝子戸が外の闇を映していた。
テーブルの端に、昼間もらった赤と白の薔薇が、水を張った小瓶に挿してある。
灰皿と、黒い煙草の箱が二つ、少し離れて置かれていた。
中庭の向こうから、ときどき金属の触れ合う音がした。カイは一階奥のトレーニングルームで、寝る前の調整をしていた。ジュリオもいるらしく、陽気な声がうっすら聞こえた。
ユキナガとルカが、テーブルを挟んで座っていた。
「ね、今日こそ一緒に寝よ」
「やだよ気持ち悪い」ユキナガが言った。
「通信室入っちゃダメって言われてるからユキの部屋行けない」
「絶対入るな」
「じゃあこっちの部屋来てよ」
「家帰れよ」
「……やだ」
リヴァが水を取りに入ってきた。パジャマだった。髪はほどいて、片側だけ肩に流していた。
冷蔵庫から水の瓶を出し、グラスと一緒にテーブルへ持ってきた。
椅子を引いて座ると、卓上の二つの箱が目に入った。黒地に、片方は緑とピンク、片方は青。意匠はほとんど同じだった。
「煙草まで似てるんだ」
「うん。外したけど」ルカが言った。
「何を?」
「ユキもこれ吸ってると思ってた」
「5ミリまで当ててんのきも」ユキナガが言った。
ルカは笑って、自分の箱から一本抜いた。
「いる?」
差し出された一本を、リヴァはそのままくわえた。
「お。イタリア人の素質ある」
ルカがライターで火をつけ、寄せた。リヴァは笑って顔を近づけ、一度吸って、ゆっくり吐いた。
「確かに町中どこにでも灰皿ある」リヴァが言った。
「でも信じられないほど高いんだよ。こっちで買うと」
ユキナガがそれを見ていた。自分の箱へ伸びかけたユキナガの手が、途中で止まった。
「……別にそれ、吸わなくてよくない?」
「イタリア人の素質?」リヴァが言った。
「あってどうすんだよ」
ユキナガは自分の箱から一本だけ抜き、火をつけた。
ルカが少し笑った。思い出したように、鞄を探った。
「そうだ。ユキ、お土産」
小さな箱を卓上へ置いた。五月ヶ瀬と書かれていた。
ユキナガが箱を見た。八枚入りのお菓子。
「なんでローマにこれあんの」
「取り寄せた」
「どこからどこへの土産だよ」
「福井からローマ経由で、ユキに」
「送料やばそう」
「んー、本体の四倍くらい」
「馬鹿じゃん」
ユキナガは箱へ手を伸ばさなかった。ルカも開けなかった。箱は卓上に置かれたままになった。
リヴァが箱を見た。
「これ、二人の地元のやつ?」
「うん」ルカが言った。「ユキ、好きだったから」
「いつの話だよ」
「九年前だよ」
ユキナガは煙を吐いた。
リヴァを見た。
「食えば」ユキナガが言った。
リヴァは煙草を置いて、箱を開けて一枚取って口へ運んだ。
「…固い」
ルカが笑った。
「固いよねこれ」
ユキナガは食べなかった。開いた箱が、卓上に残った。
ユキナガが煙草を灰皿に置いた。
両手を頭の上に置き、椅子を揺らした。
「……お前、こんな仕事手伝ってていいのかよ」
ルカは灰を落とした。
「痕跡なら、そっちでうまく消せるでしょ?」
「それでも、手伝った事実は消えない」
ルカは煙を吐いて、答えなかった。
「博士課程、もうすぐ終わるんだろ」ユキナガが言った。
「うん。あと少し」
「そのあとは」
ルカが一拍止まった。視線を下げた。
「……たぶんローマにいる。教授が残れって」
ユキナガが顔を上げた。
「残るの」
「……ユキに最初に伝えたかった」
ルカが灰を落とした。
「明日、みんなで大学行くよ」
「誰が」
「俺とユキ」ルカはリヴァを見た。「あと、リヴァも来てもらう」
「なんでリヴァまで」
「今日の観測値、本人の記録と照合したい。旧鍵がどこまで触ったかも確認する」
「分かった」リヴァが言った。
「いや、ちょっと待って勝手に」ユキナガが言った。
「アルノにはもう通したよ」
「早」
リヴァが水に口をつけた。
「あのでかい人も同行だって。呼んでないけど」ルカが言った。
「カイはそりゃ来る」ユキナガが言った。
ルカが少し考えた。
「じゃあ外に置いとけばいいか」
「置いとくって」リヴァが言った。
「犬みたいにさ」
「本人の前で言ってみれば」ユキナガが言った。
「噛む?」
「撃たれる」
会話が途切れた。
リヴァが笑っていた。
卓上に、開いた五月ヶ瀬。小瓶の赤と白の薔薇。黒い箱が二つ、色違いで並んでいた。
ユキナガが、リヴァの指にある煙草を一度見た。
何も言わなかった。
二階テラス。
旧市街の屋根が、低い月の下に連なっていた。
石造りの欄干は厚く、表面には古い彫刻が残っていた。眼下に中庭がある。壁灯の光が、石畳の一部だけを照らしていた。
アオイは欄干に両腕を預け、真下を見ていた。
指の間にMEVIUSがあった。煙が夜風に流れていた。
扉が開いた。
フィンが出てきた。煙草を持っていた。
アオイの後ろを通り、隣へ立った。
「落ちるよ」
軽い声だった。
アオイは下を見たまま、煙草を吸った。
「このくらいじゃ、落ちても死なないですよ」
フィンがアオイを見た。
アオイは両腕の上に顎を乗せ、また煙を吐いた。脱力していた。
「イタリア、はじめて来ました。ほんっと、嫌なくらい綺麗な街ですね」
「酔ってる?」フィンが聞いた。
「食前酒しか飲んでないので酔ってませんよう」
「……弱」
「酔ってないですって」
少しして、フィンのポケットで端末が震えた。
画面を見た。
フィンは煙を吐いた。
「カラム、アルカ入ったって」
アオイはフィンの手元を少し覗くと、『了解』とフィンが打ち込んでいた。
アオイは煙を吐いた。
「撃たれる心配、減りましたね……」
「懸賞金目当てで拠点ごと爆破されるかもね」
「爆破……は、やだなあ」
中庭の石畳に、二人の影が落ちていた。




