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リヴァ・アルカ ―特殊部隊は、一人のアンカーを檻に乞う―  作者: Ilir Noct
第十一章「情熱の死角 ― Blind Spot of Desire」

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サイゼ




 ローマ 旧市街 午後三時五十八分。


 車が大通りを離れ、二度細い路地を曲がると、黄褐色の壁が窓のすぐ外を流れていった。


 建物の間に洗濯物が渡され、その下をスクーターが抜けていく。


 石畳の角のカフェで、立ったままエスプレッソを飲んでいた男が、黒い車列を目で追った。



 先頭の黄色いアルファロメオが、古い建物の前で速度を落とした。両開きの木製扉は人の背丈の倍近くあり、黒い鉄鋲が並んでいる。


 上部には擦れて読めなくなった紋章が残っていた。車が近づくと、扉が内側へ開いた。


 アオイが窓の外を見た。


「ここですか」


「そうだ」ヴィクトルが言った。


「ホテルの看板ないですけど…」


 車は門を抜け、四角い中庭へ入った。中央に石造りの噴水があり、水は止まっていた。縁に白い花が幾つか落ちている。


 三階建ての建物が四方を囲み、柱の並ぶ回廊が中庭を一周していた。


 傾いた午後の光が、最上階の窓へ入っていた。


 車列が止まると、先頭のアルファロメオからジュリオが降りた。携帯電話を耳に当てたまま、後続車へ歩いてくる。


「当日地下へ入れる車が一台足りないそうだ。警察筋に話を通してくる」


 ヴィクトルがドアを開けた。


「申請してないんですか」アルノが言った。


「してたさ。ローマではたまに役所が書類を食べるんだ」


 最後の車からリヴァが降りた。ジュリオが端末を耳に当てたまま、その前まで来た。


「Bella。俺が戻るまで、誰にも口説かれるなよ」


「もう口説かれたじゃん」


「なんだって」


「ジュリオに」


 ジュリオが笑った。


「名前まで覚えてくれてる。結婚の未来に一歩近づいた」


「仕事して」


「君に言われると、すごく働ける」


 ジュリオはアルファロメオへ戻り、黄色い車は門を抜けて路地へ消えた。


 アオイがその後ろを見た。


「あれがイタリア人か……」


「俺、日本人でよかったわ」


「でも、あれがモテるんですよね?」


「日本なら、あんなに喋らなくてもだいたい何とかなるし」ユキナガが言った。


 アオイがユキナガを見た。


「その自信、どこで身につけたんですか」


「歌舞伎町」


「聞かなきゃよかった……」


「お前も黙ってれば顔は悪くないよ」


「何をさせる気ですか」


「褒めただけ」


 アオイは建物を見上げた。


「……どこが俺らのエリアですか」


「違う。全部俺たちが使う」


「え」


 アオイがヴィクトルを見た。


 ヴィクトルは先に車を降りた。


「中を案内する」


 中庭には、濃紺のスーツを着た使用人が四人並んでいた。全員が目立たない位置に立ち、荷室が開くのを待っている。荷物へ手を伸ばすタイミングまで揃っていた。


 ユキナガが次の車から降り、建物を見上げた。


 フィンがサングラスを外し、中庭を見回した。


「いいね。幽霊が三十人くらいいそう」


「古い家にはだいたいいるよ」ユキナガが言った。


「三十は居すぎじゃ…」


「いません」アルノが端末を見たまま車を降りた。「少なくとも、事前調査では確認されていません」


「調べたの?」


「比喩です」


 正面の扉が内側から開いた。ヴィクトルが先に入る。


 天井の高いホールだった。白い漆喰の壁、黒と白の大理石を交互に敷いた床、壁際の細いテーブルには銀の燭台。天井には薄く剥げたフレスコ画が残り、翼のある裸の子供が雲の上で果物を持っていた。


 アオイが見上げた。


「……天井に裸の子供いますけど」


「天使だよ」フィンが言った。


「服着せた方がよくないですか」


「十六世紀に言って」


 ユキナガが見上げていた。


「……サイゼじゃん」


 アオイが肩を揺らして笑った。


 奥の石造りの大階段は、三人が並んでも余る幅があった。黒い鉄の手すりに蔦の模様が組まれている。


 二階の廊下には深い赤の絨毯が敷かれ、壁に風景画と肖像画が交互に並んでいた。


 ヴィクトルは扉の前で立ち止まると、順に鍵を渡した。


「アルノ。フィン。アオイ。一人一室だ。ジュリオ(あいつ)はどうせ泊るからその奥」


 アオイが手の中の真鍮の鍵を見た。


「ゴツい鍵ですね…」


「電子錠も入っている。鍵は飾りだ」


「…必要ありました?」


「雰囲気だ」


 アオイが扉を開け、そのまま止まった。大きなベッドの奥に、小さなサロンと白い大理石の浴室が見えた。


「お前は窓のない一番質素な部屋にしてある」ヴィクトルが後ろから言った。「新人だからな」


「質素って何でしたっけ……」


 廊下の奥の重い扉を、ヴィクトルが開けた。そこだけ内装が違っていた。


 壁際にモニターが六枚並び、机の下に予備電源、鍵付きの機材ケース。建物の正面、中庭、地下駐車場、通用口の映像がすでに表示されている。奥には寝室へ続く扉が二つあった。


 ユキナガが中へ入り、機材を一通り見た。


「これ、部屋じゃなくて要塞じゃん」


「安全だろ」


「…外からはね」


「理解が早くなったな」


 使用人がユキナガのスーツケースを置き、その隣へヴィクトルの黒いケースが並べられた。


「一時間後に回線試験だ」


「わかった。もう繋いであるのありがてえ」


 最上階へ続く扉には、鍵が二つついていた。カイが先に上がり、扉の前で蝶番と壁際を確認する。ヴィクトルが鍵を開けた。


 その先に、広いサロンがあった。天井まで届く窓が三つ並び、薄いカーテンの向こうにローマの屋根が広がっている。


 サロンの左右には、寝室へ続く扉が一つずつあった。


「左がリヴァ、右がカイだ」ヴィクトルが外へ続く扉を示した。「入口は一つ。サロンを通らなければ、姫の寝室には入れない」


 リヴァは少し考えた。


「わかった」


「俺も、番犬を通らなければ入れない」


「入るな」間髪入れずカイが言った。


「夜中に抜き打ちしてやってもいいんだぞ」


「やめろ」


 カイがヴィクトルを睨んだ。


 リヴァは寝室へ入り、奥のクローゼットを開けた。ワンピース、薄いニット、ジャケット、靴の箱が並んでいる。


「なんか用意されてる……」


「ローマでは何が起きるかわからん」



 サロンへ戻ると、アルノが窓と二つの寝室、廊下への距離を確認していた。


「退避路はどこですか」


 ヴィクトルが暖炉脇の壁へ手をかけると、壁面の一部が音もなく内側へ開き、細い石造りの階段が上へ続いていた。


「屋上へ出る。隣棟まで橋を渡してある。内側から外せる」


 アルノが端末へ入力した。


「短期滞在のために、ここまで改修したのですか」


「そういう訳じゃない」


 通信室からユキナガが出てきた。


「この建物、専用回線が三本あんだけど」


「あるな」


「いくらで借りたの」


「借りる?」


 ユキナガがヴィクトルを見た。


「……じゃあ何」


「俺のだ」


 しばらく、誰も何も言わなかった。


 中庭で止まっていた噴水の水が動き始めた。遠くで鐘が鳴った。

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