Mamma mia.
ローマ・チャンピーノ空港 午後三時十一分。
機体の扉が開くと、乾いた熱とジェット燃料の匂いが流れ込んできた。
先にタラップを下りたカイが、左手をダイブコンピューターに触れさせたまま、滑走路の向こうの低い建物と、車寄せに停まった黒いベンツVクラス二台へ目をやった。
続いてリヴァが下りた。淡い灰紫のワンピースの、膝下まである裾がタラップの風で揺れ、腕には機内で羽織っていた白いカーディガンを掛けている。
陽が強く、リヴァは一度目を細めた。
「まぶしい」
「ね」フィンが後ろから言った。「あつい」
「東京よりはましです……」アオイが言った。
ユキナガの端末が震えた。画面を見て着信を切ると、一秒後にまた震えた。
「弟くん?」フィンが言った。
「違う」
「画面にルカって出てるよ」
「見んなよ」
ターミナルの出口に、濃い茶髪の男が立っていた。白いシャツの袖を肘まで捲り、ジャケットを肩に掛け、車寄せに停めた黄色いアルファロメオへ片手を預けている。
ヴィクトルが男を見た。
男が笑った。
「まだ生きてたか。ヴィクトル」
「残念だったな」
「しぶといなあ。大好きだ」
男はヴィクトルへ歩き出し、両腕を広げた。ヴィクトルも応じて腕を上げた。
「あ」
三歩目でリヴァを見た。進む方向を90度変え、そのままリヴァを抱きしめた。
ヴィクトルの腕が行き場をなくして残った。
「……」
急に抱きしめられて、リヴァの腕に掛かっていたカーディガンが背中側へ滑った。
「……誰」
カイが男の右腕を掴んだ。
「離れろ」
「待って。今、人生で一番大事な挨拶をしてる」
カイが腕を引くと、男は素直にリヴァを離した。離れる間際まで、その顔を見ていた。
「ジュリオ・ヴァレーリ」
ジュリオは言った。カイに腕を引かれながら、リヴァの前に片膝をついた。
左手を胸の前、右手をリヴァに差し出した。
「未来から来た。君の旦那さんだ」
「やめろ」カイが言った。さらに腕を引いて、ジュリオがよろけた。
ジュリオはカイを見た。
「君がカイだね」
「ああ」
「資料より怖いなあ」
ジュリオはもう一度、リヴァを見た。
「君だけ写真が無かった。こんなに綺麗だから、カメラが怖気付いて壊れてしまったのかな」
「いいえ」アルノが言った。
「この街が君を歓迎しているよ」ジュリオはアルノを見ずに続けた。
「そう」
「その返事だけ?」
「うん」
「どうしてこんな綺麗な人が存在していると、神は教えてくれなかったんだ」
「……どういうこと」
「服を買った」
「いらないよ」
「花も買った」
「いらない」
「夕食の店も押さえた」
「お仕事するんでしょ」
ジュリオが立ち上がった。ヴィクトルを見た。
右手の指先をひとつにすぼめ、上へ向けた。その手を二度、小さく上下させた。
「ねえ。彼女、いつもこう?」
「俺にはもっとひどい」
ジュリオは少し固まって、笑顔になってリヴァに向き直った。
右手の指先をひとつに集めて唇へ当て、軽く口づけてぱっと開いた。
「素晴らしい!」
リヴァはジュリオの後ろを見ていた。黄色い車の奥にベンツが二台、黒いスーツの運転手が荷室の扉を開けている。
ジュリオが少し屈み、リヴァの視線へ入った。
「ねえ君、俺の話を聞いてないね」
「聞いてるよ」
リヴァがジュリオを見た。目が合った。
ジュリオは胸元へ手を置いた。
「Mamma mia.」
目を細めた。
「恋だ」
アルノはため息をついた。
「イタリアに来たって感じする」フィンが笑って言った。「動きがいいね」
「マリオじゃん」ユキナガが言った。
「仕事の話をしてください」アルノが言った。
ジュリオの顔から笑みは消えないまま、身体だけが車両側へ向いた。指をさした。
「オッケー。正面ルートは使わない。二十分前に事故があった。レジデンスの東側では学生のデモ。警察車両が三台入ってるよ」
アルノが端末を開いた。
「代替経路は」
右にさしていた指を反対に向けた。
「南から入ろう。少し遠回りだけど、監視カメラが少ない。俺のアルファが先導する。荷物は二号車、通信機材は三号車。ヴィクトルが乗る三号車だけ地下へ直接入れる」
「当日会場の変更は?」
「警備が二人増えた。申請にはない。今朝から正面と搬出口に一人ずつ」
アルノの指が端末を二回叩いた。
「所属は」
「まだ不明。顔は送った」
ユキナガが端末に目を落とした。
「来てる。照合かける」
「ホテル側の人員は全部確認した。コンシェルジュを、知り合いに一人変えておいたよ。前の人は病欠扱いだけどね」
アルノがジュリオを見た。
「…どうやって」
「今頃、海辺で休暇中だよ」
「…強制的にですか」
「航空券を渡しただけさ。家族みんなでね」
ジュリオが言った。
「喜んでた」
「それを強制と言います」アルノが言った。
「ローマでは親切って言う」
フィンが笑った。
カイはリヴァの足元に落ちたカーディガンを拾い、埃を払って腕へ戻した。
ジュリオはアルファロメオの助手席を開け、リヴァへ片手を差し出して体勢を低くした。
その車には後部座席がなかった。二人乗りの車だった。
「Bella。俺の車へ」
「Bellaって何」
「お嬢さんって意味」
「カイと乗る」
「ああ…初日から失恋した」
「任務の迎えに2シーターでくるやつがあるかよ」ユキナガが言った。「乗して」
ジュリオは助手席のドアを閉めた。
「ああ思い出した。一人乗りだった」
「こいつ……」
リヴァは黒いベンツへ歩き、カイが隣についた。
カイは一歩先へ出た。後部座席の扉を大きく開き、片手で押さえたまま、もう片方の腕を背へ回した。リヴァを迎え入れるように身体を引いた。
ユキナガの端末が、三度目の着信を告げた。
滑走路の向こうで、白い機体がローマの陽を反射していた。




