3つのパン
東京拠点。午前八時四十分。
共用スペースには、ユキナガしかいなかった。
ソファに座り、膝の上に端末を置いていた。首にはヘッドホン。テーブルには、開けたままのエナジードリンクがあった。
画面に、ローマの通信系統図が出ていた。
共用キッチンで、コーヒーメーカーが低い音を立てていた。
硝子戸が開いた。
アオイが入ってきた。
紺の薄手のシャツ。白いTシャツ。黒のパンツ。目の下に影があった。
「また寝れなかったの?」
「途中までは寝ました……」
ユキナガはテーブルのパンを投げた。
「パンあるよ」
アオイが受け取った。
「ありがとうございます」
「コーヒー、そこにあるやつ飲んでいい」
「はい」
アオイはカウンターへ行った。
マグカップにコーヒーを注いだ。
「……昨日」
「何」
「隣の部屋、何かありました?」
「知らない」
「そうですか」
アオイはコーヒーとパンを持って、テーブルの端に座った。
ユキナガは画面を見たまま聞いた。
「またカラムの音楽?」
「音楽は止まってました」
「じゃあ何」
アオイはパンの袋を開けた。
「壁に、何か当たる音が…何度か……」
「へえ」
「フィンの声も」
「何て?」
「聞こえませんでした」
アオイの手が止まった。
「ちょっと怖かったです」
「そういうこともあるでしょ」
「あるんですか……」
「知らないけど」
ユキナガはエナジードリンクを飲んだ。
「フィンが面倒見てるなら、好きにすればいいんじゃない」
「……あの」
「何」
「今、自分も、もしかしてフィンに面倒見られてないですか?」
「そうかもね」
「もしかして……自分も、やらかしたら叱られます……?」
「知らねえよ」
「壁に当てられますか」
「フィンに聞けば」
「絶対嫌です」
アオイはパンを一口食べた。
「部屋、変えたいです…」
「自分でアルノに言えば」
「射撃場にいますよね」
ユキナガが顔を上げた。
「珍しく撃ってるんだよね。アルノ」
ユキナガは端末へ視線を戻した。
「お前も行けばいいじゃん。リヴァもいるだろ」
「はい」
「カイも?」ユキナガがアオイを見た。
「多分」
「なんでそこだけ曖昧なの」
「姿は見てないので」
ユキナガの指が止まった。
「……よく見てんな」
「皆、何するか分からないので…」
アオイはコーヒーを飲んだ。
「俺のことも見てる?」
「はい」
「何を」
「朝から起きてるなと」
「それだけ?」
アオイはパンを食べた。
ユキナガは端末の角度を少し変えて、椅子を揺らした。
「俺、現地行く必要あんのかなぁ」
「ローマですか」
「死にたくないなぁ」
アオイは、少し長く息を吐いた。
視線をテーブルに移した。
間があった。
「何」
「いえ」
アオイはコーヒーを飲んだ。
コーヒーをすする音がした。
「…死なない方がいいですよ」
「そりゃそうでしょ」
ユキナガは画面へ目を戻した。
「食べたら射撃場行けば」
「そうします」
「フィンに会わないうちに行きな」
アオイの手が止まった。
「今、部屋にいますよね」
「知らない」
「さっき戻ってました」
ユキナガが顔を上げた。
「やっぱ見てんじゃん」
「警戒してるだけです」
「歩く監視カメラかよ」
「人間ですけど……」
アオイはパンを食べきった。
袋を小さく畳んだ。
「もう一個、持っていっていいですか」
「いいよ」
「ありがとうございます」
アオイはパンを一つ取った。
立ち上がった。
アオイは硝子戸を開けた。
「あの……」
「何」
「自分、まだ何もやらかしてないですよね」
「知らね」
アオイはしばらく立っていた。
「……ユキナガも射撃訓練、今日入れてましたよね」
「…もう少ししたら」
「先行ってます」
硝子戸が閉まった。
ユキナガは端末へ視線を戻した。




