副指揮
東京拠点 共用スペース 二十二時〇〇分。
共用スペースの隅で、湯が沸いていた。
フィンはポットに茶葉を入れていた。電気ケトルから湯を注いだ。蒸らす間、戸棚からカップを一つ出した。牛乳を先に少しだけ入れた。ミルクが先で、紅茶が後だった。
カイはさっき出ていった。封筒を一つ持って、一人で。行き先は聞いていない。
惣一が共用スペースのソファにいた。Highlightの箱がテーブルにあった。一本を指に挟んでいた。今日はここに泊まるらしかった。
フィンはポットを軽く回した。
「飲む?」フィンが言った。「紅茶。淹れたてだよ」
フィンは惣一の前にカップを置いた。小さく音が出た。
フィンは一瞬カップに視線を落とした。
すぐにまた笑顔に戻った。
惣一が一口飲んだ。
フィンの手元を見ていた。
「砂糖はやめたのか」惣一が言った。
フィンの手が止まった。
「……何?」
惣一は何も言わなかった。
「入れないよ」フィンが言った。少し笑った。「俺はミルクだけ。ずっとそう」
「家庭教師が、お前のために入れてた」
惣一はカップを置き、煙草を一口吸った。
「……」
フィンは何も言わなかった。
ポットを回す手も止まっていた。
フィンは紅茶を一口飲んだ。それから笑った。いつもの顔だった。
「砂糖、いる?」フィンが笑顔で言った。
フィンが向かいに座った。
惣一はその笑顔をしばらく見ていた。
「フィン」惣一が言った。
「うん」
「副指揮をやれ」
フィンがカップを持つ手を止めた。
「……俺?」
「アルノの下につけ。二番手だ」
「本気で言ってる?」フィンが笑った。「俺、新顔だよ。来て、まだそんな経ってない」
フィンは一拍置いた。
紅茶のカップを回した。
「もっと向いてる人いるでしょ。ボス」
フィンは笑った。
惣一は何も言わなかった。
「カイは」フィンが言った。
「カイは理由を聞く」惣一が続けた。「お前は聞かねえ」
フィンは何か言いかけて、やめた。
何も説明をしないこの男が何故ここまで語るのか、違和感の方が勝っていた。
フィンの紅茶を持つ手が傾いた。
フィンは笑った。笑顔の角度は変わらなかった。
「買いかぶりだよ」フィンが言った。
「お前は誰とでも組める」惣一が言った。「場を読んで回す」
フィンは手元の紅茶を見た。砂糖は一つも入っていない。
「そんなに褒めてくれるんだ」フィンが言った。
惣一は煙草の火を消した。紅茶を飲んだ。
少しして、惣一が立った。
フィンの笑顔のままの顔を見て言った。
「それしか残らなくなるな」
そのまま共用スペースを出ていった。
足音が遠ざかった。
テーブルの上に、空のカップが残されていた。
廊下は暗かった。
フィンは自分のカップを持って、共用スペースを出た。
診療室の前で、オラヴルとすれ違った。
オラヴルは白衣のままだった。フィンを見て、足を少しだけ緩めた。
「…大丈夫かい」
フィンが足を止めた。
指先は白かった。
カップを強く握っていた。
「慣れてるから」フィンが言った。笑った。
オラヴルはその笑顔を見た。
「……そう」オラヴルが言った。
オラヴルが診療室に入った。ドアが閉まった。
フィンは一人、廊下に残った。
「……ここでもまた器用って、言われるのか」フィンは呟いた。
カップはもう冷えていた。




