カイ単独任務
東京拠点 会議室。二十時〇〇分。
翌日。
惣一が、机の上に封筒を一つ置いた。Highlightを指に挟んでいた。
「行け」
カイは、封筒を取らなかった。
「内容は」
「読め」
カイが、封筒を開けた。写真が一枚。男の顔。座標と、時刻と、それだけ。理由は、どこにも書いていなかった。
カイは、写真を見ていた。
「なぜ消す」
惣一が、煙草を口から離した。
「任務に理由を探す癖は捨てろ」
間があった。
「迷うなら、フィンに行かせる」
カイは、写真を封筒に戻した。
「行く」
「結構」
カイは会議室を出た。
伊豆稲取。崖の上に、廃旅館があった。
潮見荘、と剥げかけた看板に残っていた。海際に建つ大型の宿だった。廃業して、何年も経っていた。鉄筋の本館に、木造の別棟が継ぎ足されていた。窓の多くが、潮で白く曇っていた。
七月の、湿った夜だった。崖の下で、波が崩れていた。蝉は、もう鳴いていなかった。空気が、止まっていた。
カイは、海側の非常階段から入った。黒のタクティカルウェア。HK416にサイレンサー。SIG P320は腰。ナイフは左腰だった。
『中、灯りついてる。三階の宴会場と、二階の廊下。反応、見えてるだけで六』ユキナガの声がした。
「死角は」
『大浴場側、配管で熱反応潰れてる。そこは見えない。気をつけて』
「了解」
館内は、熱がこもっていた。閉め切った木造に、夏の湿気が溜まっていた。黴の匂い。畳の腐った匂い。汗が、首筋を伝った。
二階の廊下に、一人いた。煙草を吸っていた。退屈そうだった。
カイは、背後の暗がりから距離を詰めた。足音を、畳が吸った。男が振り返る前に、左腕で首を抱え込んだ。ナイフが鎖骨の下から入った。声は、出なかった。体を、ゆっくり畳に下ろした。
『一人減った。五』
角の向こうで、足音が二つ。カイは襖の陰に体を入れた。二人が角を曲がった瞬間、HK416が低く鳴った。二発、二発。崩れた。
『気づかれた』ユキナガの声が速くなった。『三階、動いた。降りてくる。四』
カイは階段の下に着いた。最初の一人が踊り場に現れた瞬間、撃った。胸に二発。後ろの三人が散開しようとした。狭い階段では、散開しきれなかった。
カイは駆け上がった。二人目、至近で胸。三人目、手首を撃ち抜いて、頭。四人目が踊り場の角から撃ってきた。
弾が左肩を掠めた。
布が裂けて、熱が走った。
カイは壁に背をつけ、息を吐いて、角の向こうへ身を出した。男の額に一発。
静かになった。
左肩から血が滲んでいた。マガジンを抜いた。残弾を脳内で数えた。替えた。
『残り、見えてるの一。三階。たぶん標的の近く』ユキナガが言った。『あと、待って。熱反応、一階。動いてない。さっきからずっと同じ場所』
「どこだ」
『一階の奥。厨房の先。ボイラー室みたいなとこ。一人』
カイの足が、止まった。
時間をかければ、その一が動く。背後を取られかねなかった。任務だけ考えれば、先に三階を片付けるべきだった。動かない一つは、後でいい。
カイは、一階へ降りた。
厨房を抜けた。錆びた調理台。割れた食器。奥の低いドア。蝶番が軋んだ。
ボイラー室の隅に、老人がいた。
作業着。痩せていた。膝を抱えて、壁際に縮こまっていた。カイを見て、声を上げかけた。
「動くな」カイが言った。「ここの人間か」
「……管理を、しとる」老人の声が震えていた。「もう誰も来んはずだった。あいつらが、勝手に」
「上に何人いた」
「分からん……」
カイは外の気配を探った。厨房の方に、足音はなかった。
「ここを動くな。物音を立てるな」カイが言った。「終わったら迎えに来る」
老人が頷いた。
カイは、目立たない収納の奥へ、老人を移した。外からは見えない位置だった。ドアを閉めた。
『カイ』ユキナガの声がした。『三階、標的が動いてる。逃げる気だ』
時間を使った。
「追う」
カイは階段を駆け上がった。左肩が痛んだ。息が上がり始めていた。
三階。広い宴会場だった。畳が波打っていた。海側の窓が、月明かりで白かった。卓球台が一つ、隅に放置されていた。ネットはなかった。
標的が、奥にいた。写真の男だった。
その手前に、三人いた。
『カイ、止まれ』ユキナガの声が跳ねた。『増えてる、なんで——三人、いや四、待ってそんな、熱源にいなかった』
大浴場側に隠れていた連中だった。配管で消えていた。標的を逃がす時間を稼ぐために、ここで合流していた。
最初の一発が、カイの頬の横を抜けた。
カイは横の柱に飛び込んだ。木が背中で弾けた。撃ち返した。一人、肩に当てた。仕留めきれなかった。
数が、多かった。狭い座敷で、四方から角度が来た。柱一本では、足りなかった。
カイは床を転がって、倒れた宴会用のテーブルの陰に入った。
撃った。
撃ち返された。
木片が顔を掠めた。二発、三発。一人倒した。
HK416のボルトが、止まった。
空。
マガジンを抜いた。新しいのを差した。
その一瞬だった。
一人が、テーブルの陰に回り込んでいた。距離、3メートル。銃口が、カイを向いていた。リロードは間に合わない。
カイはHK416を捨てた。
前に出た。男の銃を持つ腕の外側に入った。銃口が空を撃った。耳の横で炸裂音。一瞬、音が消えた。
カイは男の肘を極めた。骨が鳴った。男が銃を落とした。
その時、横から二人目が来た。
カイは男の体を引き寄せて、盾にした。二人目の弾が盾にした男の背中に入った。男が痙攣した。カイはその体を突き飛ばして、二人目に突っ込んだ。
二人目が、銃を捨てて組みついてきた。でかかった。カイより重かった。訓練された動きだった。
壁に叩きつけられた。
「……、」
息が詰まった。
男の手が、カイの喉にかかった。カイの背が、壁に押しつけられていた。畳から、足が浮きかけた。男の力が、強かった。視界の端が、白くなりかけた。
カイは喉にかかった腕を掴まなかった。
腰のナイフに、手を伸ばした。
抜いた。男の脇腹の、プレートの隙間に入れた。深く入れた。男の力が緩んだ。
カイは喉から手を引き剥がし、男の顎を肘で打ち上げた。崩れた。倒れたところへ、もう一度ナイフを入れた。
肩で息をした。喉が鳴った。
最後の一人が、構えたのを、視界の端でとらえた。
撃ってきた。
胸に鈍い衝撃が走った。
カイは床に伏せた。同時に腰のSIG P320を抜いた。伏せたまま撃った。男の脚。続けて、起き上がりながら胸。倒れた。
胸に衝撃が遅れて来た。プレートキャリアの左胸。弾は止めていたが、肋骨まで衝撃が抜けていた。息を吸うと、刺さるように痛んだ。
カイは片膝をついた。
息を吐いて、すぐに立った。
標的が奥の障子を開けて、ベランダへ出ようとしていた。
カイは、SIGを上げた。脚に一発。男が膝から崩れた。障子が倒れた。
カイは距離を詰めた。男が腰の銃に手を伸ばした。カイは、その手を踏んだ。骨が鳴った。男が呻いた。
カイは男を見下ろした。
引き金を引いた。頭に一発。
静かになった。
波の音が戻ってきた。崖の下で海が崩れていた。
カイは、SIGを下ろした。
肩で息をしていた。左肩の血が、腕を伝って指先まで来ていた。
左胸が、息のたびに痛んだ。座敷の熱気が肺に重かった。
「……オールクリア。戻る」
息は、整っていなかった。
畳に、捨てたHK416が転がっていた。拾った。マガジンを差し直した。残弾を脳内で数えた。
カイは壁に背を預けた。
すぐに離れた。
一階に、老人を迎えに行かなければならなかった。
まだ、息は整わなかった。




