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リヴァ・アルカ ―特殊部隊は、一人のアンカーを檻に乞う―  作者: Ilir Noct
第十章「非対称の支配 ― Asymmetric Force」

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カイ単独任務




 東京拠点 会議室。二十時〇〇分。



 翌日。


 惣一が、机の上に封筒を一つ置いた。Highlightを指に挟んでいた。


「行け」


 カイは、封筒を取らなかった。


「内容は」


「読め」


 カイが、封筒を開けた。写真が一枚。男の顔。座標と、時刻と、それだけ。理由は、どこにも書いていなかった。


 カイは、写真を見ていた。


「なぜ消す」


 惣一が、煙草を口から離した。


「任務に理由を探す癖は捨てろ」


 間があった。


「迷うなら、フィンに行かせる」


 カイは、写真を封筒に戻した。


「行く」


「結構」


 カイは会議室を出た。



 伊豆稲取。崖の上に、廃旅館があった。


 潮見荘、と剥げかけた看板に残っていた。海際に建つ大型の宿だった。廃業して、何年も経っていた。鉄筋の本館に、木造の別棟が継ぎ足されていた。窓の多くが、潮で白く曇っていた。


 七月の、湿った夜だった。崖の下で、波が崩れていた。蝉は、もう鳴いていなかった。空気が、止まっていた。


 カイは、海側の非常階段から入った。黒のタクティカルウェア。HK416にサイレンサー。SIG P320は腰。ナイフは左腰だった。


『中、灯りついてる。三階の宴会場と、二階の廊下。反応、見えてるだけで六』ユキナガの声がした。


「死角は」


『大浴場側、配管で熱反応潰れてる。そこは見えない。気をつけて』


「了解」


 館内は、熱がこもっていた。閉め切った木造に、夏の湿気が溜まっていた。黴の匂い。畳の腐った匂い。汗が、首筋を伝った。


 二階の廊下に、一人いた。煙草を吸っていた。退屈そうだった。


 カイは、背後の暗がりから距離を詰めた。足音を、畳が吸った。男が振り返る前に、左腕で首を抱え込んだ。ナイフが鎖骨の下から入った。声は、出なかった。体を、ゆっくり畳に下ろした。


『一人減った。五』


 角の向こうで、足音が二つ。カイは襖の陰に体を入れた。二人が角を曲がった瞬間、HK416が低く鳴った。二発、二発。崩れた。


『気づかれた』ユキナガの声が速くなった。『三階、動いた。降りてくる。四』


 カイは階段の下に着いた。最初の一人が踊り場に現れた瞬間、撃った。胸に二発。後ろの三人が散開しようとした。狭い階段では、散開しきれなかった。


 カイは駆け上がった。二人目、至近で胸。三人目、手首を撃ち抜いて、頭。四人目が踊り場の角から撃ってきた。


 弾が左肩を掠めた。


 布が裂けて、熱が走った。


 カイは壁に背をつけ、息を吐いて、角の向こうへ身を出した。男の額に一発。


 静かになった。


 左肩から血が滲んでいた。マガジンを抜いた。残弾を脳内で数えた。替えた。


『残り、見えてるの一。三階。たぶん標的の近く』ユキナガが言った。『あと、待って。熱反応、一階。動いてない。さっきからずっと同じ場所』


「どこだ」


『一階の奥。厨房の先。ボイラー室みたいなとこ。一人』


 カイの足が、止まった。


 時間をかければ、その一が動く。背後を取られかねなかった。任務だけ考えれば、先に三階を片付けるべきだった。動かない一つは、後でいい。


 カイは、一階へ降りた。


 厨房を抜けた。錆びた調理台。割れた食器。奥の低いドア。蝶番が軋んだ。


 ボイラー室の隅に、老人がいた。


 作業着。痩せていた。膝を抱えて、壁際に縮こまっていた。カイを見て、声を上げかけた。


「動くな」カイが言った。「ここの人間か」


「……管理を、しとる」老人の声が震えていた。「もう誰も来んはずだった。あいつらが、勝手に」


「上に何人いた」


「分からん……」


 カイは外の気配を探った。厨房の方に、足音はなかった。


「ここを動くな。物音を立てるな」カイが言った。「終わったら迎えに来る」


 老人が頷いた。


 カイは、目立たない収納の奥へ、老人を移した。外からは見えない位置だった。ドアを閉めた。


『カイ』ユキナガの声がした。『三階、標的が動いてる。逃げる気だ』


 時間を使った。


「追う」


 カイは階段を駆け上がった。左肩が痛んだ。息が上がり始めていた。


 三階。広い宴会場だった。畳が波打っていた。海側の窓が、月明かりで白かった。卓球台が一つ、隅に放置されていた。ネットはなかった。


 標的が、奥にいた。写真の男だった。


 その手前に、三人いた。


『カイ、止まれ』ユキナガの声が跳ねた。『増えてる、なんで——三人、いや四、待ってそんな、熱源にいなかった』


 大浴場側に隠れていた連中だった。配管で消えていた。標的を逃がす時間を稼ぐために、ここで合流していた。


 最初の一発が、カイの頬の横を抜けた。


 カイは横の柱に飛び込んだ。木が背中で弾けた。撃ち返した。一人、肩に当てた。仕留めきれなかった。


 数が、多かった。狭い座敷で、四方から角度が来た。柱一本では、足りなかった。


 カイは床を転がって、倒れた宴会用のテーブルの陰に入った。


 撃った。


 撃ち返された。


 木片が顔を掠めた。二発、三発。一人倒した。


 HK416のボルトが、止まった。


 空。


 マガジンを抜いた。新しいのを差した。


 その一瞬だった。


 一人が、テーブルの陰に回り込んでいた。距離、3メートル。銃口が、カイを向いていた。リロードは間に合わない。


 カイはHK416を捨てた。


 前に出た。男の銃を持つ腕の外側に入った。銃口が空を撃った。耳の横で炸裂音。一瞬、音が消えた。


 カイは男の肘を極めた。骨が鳴った。男が銃を落とした。


 その時、横から二人目が来た。


 カイは男の体を引き寄せて、盾にした。二人目の弾が盾にした男の背中に入った。男が痙攣した。カイはその体を突き飛ばして、二人目に突っ込んだ。


 二人目が、銃を捨てて組みついてきた。でかかった。カイより重かった。訓練された動きだった。


 壁に叩きつけられた。


「……、」


 息が詰まった。


 男の手が、カイの喉にかかった。カイの背が、壁に押しつけられていた。畳から、足が浮きかけた。男の力が、強かった。視界の端が、白くなりかけた。


 カイは喉にかかった腕を掴まなかった。


 腰のナイフに、手を伸ばした。


 抜いた。男の脇腹の、プレートの隙間に入れた。深く入れた。男の力が緩んだ。


 カイは喉から手を引き剥がし、男の顎を肘で打ち上げた。崩れた。倒れたところへ、もう一度ナイフを入れた。


 肩で息をした。喉が鳴った。


 最後の一人が、構えたのを、視界の端でとらえた。


 撃ってきた。


 胸に鈍い衝撃が走った。


 カイは床に伏せた。同時に腰のSIG P320を抜いた。伏せたまま撃った。男の脚。続けて、起き上がりながら胸。倒れた。


 胸に衝撃が遅れて来た。プレートキャリアの左胸。弾は止めていたが、肋骨まで衝撃が抜けていた。息を吸うと、刺さるように痛んだ。


 カイは片膝をついた。


 息を吐いて、すぐに立った。


 標的が奥の障子を開けて、ベランダへ出ようとしていた。


 カイは、SIGを上げた。脚に一発。男が膝から崩れた。障子が倒れた。


 カイは距離を詰めた。男が腰の銃に手を伸ばした。カイは、その手を踏んだ。骨が鳴った。男が呻いた。


 カイは男を見下ろした。


 引き金を引いた。頭に一発。


 静かになった。


 波の音が戻ってきた。崖の下で海が崩れていた。


 カイは、SIGを下ろした。


 肩で息をしていた。左肩の血が、腕を伝って指先まで来ていた。


 左胸が、息のたびに痛んだ。座敷の熱気が肺に重かった。


「……オールクリア。戻る」


 息は、整っていなかった。


 畳に、捨てたHK416が転がっていた。拾った。マガジンを差し直した。残弾を脳内で数えた。


 カイは壁に背を預けた。


 すぐに離れた。


 一階に、老人を迎えに行かなければならなかった。


 まだ、息は整わなかった。

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