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リヴァ・アルカ ―特殊部隊は、一人のアンカーを檻に乞う―  作者: Ilir Noct
第十章「非対称の支配 ― Asymmetric Force」

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ミントの絵文字

 東京拠点 夜十時〇〇分。




 端末が鳴った。


 ユキナガだった。


『準備できたよ おいで』


 絵文字が一つついていた。ミントの葉だった。


 リヴァは端末を伏せ、共用スペースの奥へ向かった。


 ユキナガのバーは、カウンターの灯りが点いていた。暖色の光が磨かれた天板へ落ち、背後に並ぶボトルを透かして琥珀色に滲んでいる。


 ユキナガはカウンターの中に立っていた。


 黒のシャツ。袖を肘まで上げていた。


 カウンターはすでに拭かれていて、グラスが二つ、等間隔に伏せてあった。ボトルが三本、ラベルをこちらに向けて並び、その横ではミントの束が小さなグラスに活けてある。


 リヴァの足音が近づくと、ユキナガが手元から顔を上げた。


「待ってた」


 カウンターの端には端末が二台寄せてあった。片方の画面では解析ログが流れ続けている。何行もの文字列が上へ送られ、通知ランプが三秒ごとに点滅していた。


「ちゃんと考えてたのがあって、なかなか材料揃わなかった」


「そこまで考えてくれてたんだ」


「当たり前じゃん」


 ユキナガは伏せてあったグラスを一つ取った。照明へ掲げ、角度を変えながら曇りがないか確かめる。


「テキサスから結構時間経っちゃったけど」


 グラスを置き、もう一つを取った。指紋が残っていないのを確かめてから、それも並べる。


「やっと二人きりになれた」


 ユキナガがカウンターへ視線を落とした。


「座って、そこ。灯りがきれいに当たるから」


 リヴァは言われた椅子を引いて座った。


 カウンターの暖色が、ちょうど手元に落ちる位置だった。ユキナガはその位置を確かめるように一度リヴァを見てから、まな板を手前へ引いた。


 ライムを手に取って切った。


 ミントを取り、茎から一枚ずつちぎった。葉の大きさを見て、使うものを手元へ揃えていく。


「何作るの?」


「サウスサイド」


「聞いたことない」


「禁酒法の時代に、ニューヨークのギャングが飲んでたやつ」


「なんでそんなの知ってるの」


「こういうの、好きなんだよ。意外かもだけど」ユキナガは笑った。「ギャングとか傭兵とか」


「なんで?」


「目立つから」


 ユキナガがジンの瓶を取り出した。ヘンドリックス。黒いラベルが照明を受けて鈍く光った。


 メジャーカップへジンを注ぎ、シェイカーへ移す。ライムを絞り、シロップを加える。指先でミントを取り、氷と一緒に落とした。


 蓋を閉じて、シェイカーを持ち上げた。


 振った。


 最初の一往復で、腕の動きが鈍った。シェイカーが肩の高さまで上がりきらず、そこで一度軌道が落ちる。


 ユキナガは握り直した。


 次からは一定だった。氷の音が同じ間隔で鳴り、手首から肘までが正確な幅で動く。端末を叩く時と変わらない速さだった。


 止めると、そのままグラスへ注いだ。


 液体は透明で、光に透かすと薄く緑を帯びていた。


 ミントの葉が一枚、表面に浮いていた。


 ユキナガはリヴァの手元までまっすぐ滑らせた。


「どうぞ」


 リヴァは両手でグラスを取り、飲んだ。


 冷たかった。最初にジンの鋭さが舌へ当たり、そのあとからミントの香りが上がった。


「……おいしい」


 ユキナガが笑った。目尻が下がり、グラスを持つリヴァの手元を一度見た。


 そのままカウンターに肘をつき、Marlboroを取り出した。一本咥え、ライターを擦る。


 点かなかった。


 親指でホイールを戻し、もう一度擦った。


 火がついた。


 煙草の先へ火を移し、吸い込む。吐いた煙がカウンターの灯りを横切り、天井へ向かって薄く広がった。


 ユキナガは灰皿を取ると、リヴァから遠い側へ置いた。


「リヴァ、両手でグラス持ってる」


「冷たいから」


「かわいい」


「うるさい」


「褒めてるのに」


 ユキナガはカウンターの斜めに置いた椅子を引いて座った。


 座るなり、椅子が前後へ動き始める。片足の爪先で床を押して揺らしていた。


 普段より間隔が長かった。


 端末の通知ランプがまた点滅した。


 光がユキナガの横顔へ一度映ったが、顔はそちらへ向かなかった。煙草を持つ手を膝へ落としたまま、リヴァを見ている。


「もう一杯いく?」


「まだ残ってるよ」


「何杯でも」


「何杯でもは無理」


「リヴァが酔うとこ見たい」


「見せない」


「けち」


 ユキナガは口元を緩めた。


「ユキナガ」


「うん」


「ありがとね、ちゃんと作ってくれて」


「当たり前じゃん。約束したし」


 端末では解析ログが流れ続けていた。


 ユキナガは煙草の灰を落とした。視線は一度も画面へ向かない。


「今は、リヴァといるから、ちょっとだけ」


 リヴァがユキナガを見た。


 目の下に影があった。


 カウンターの暖色に照らされている側でも、目元の窪みが残っている。ユキナガが煙草を口元へ運ぶたび、頬にも薄く影が動いた。


「ユキナガ、疲れてるでしょ」


「別に」


「……」


 リヴァはグラスへ視線を戻した。それ以上は言わなかった。


 ユキナガがMarlboroを吸い、天井へ向かって煙をゆっくり吐く。


 もう一台の端末が一瞬光った。


 ユキナガの目がそちらへ動いた。


 通知の表示を捉えると、煙草を持った手を口元へ戻しながら視線も戻した。


 もう一度、煙を吐いた。


「品川も沖縄も、リヴァが撃ってる間、ずっと見てたよ」


「……うん」


「リヴァが怖がったタイミング、心拍でたまにわかった」


 リヴァの指がグラスの表面で止まった。


「でも俺はモニターの前にいるだけだった。回線繋いで、ログ追って。それだけ」


「……ユキナガ」


 リヴァが顔を上げ、口を開く。


 ユキナガの声が先に重なった。


「撃たれるのもリヴァ。守るのもあいつら。…俺は数字見てただけ」


 リヴァの唇が閉じた。


「……それだけじゃないよ。ユキナガがいるから安心して撃てる」


 ユキナガの爪先が床から離れた。


 椅子の揺れが止まった。


 動かなくなった椅子の上で、ユキナガはリヴァを見ている。カウンターの灯りが顔の片側へ当たり、反対側はボトル棚の影に入っていた。


「……安心して、撃てる」


 繰り返した。


 声が低かった。


 リヴァはグラスを持ったまま、ユキナガを見返した。


 ユキナガが煙草を灰皿へ持っていく。火のついた先を灰の中へ押しつけ、指先をひねった。火が消えても、しばらく指を離さなかった。


「安心して撃てる、か」


「……ユキナガ?」


「安心して戦場に出て、安心して傷ついて、安心して誰かに守られて」


 リヴァの口が開いた。


「——何、」


「通信が落ちたら俺の仕事は終わり。カイ達なら身体張れるけど」


 消した煙草から細い煙が立っている。


「カラムがリヴァ見てる目。あれ、もう信仰だよ。何千メートル先から、ずっと見てる」


 リヴァはグラスをカウンターへ置いた。


「フィンはいつのまにか、ずっとリヴァを意識した立ち位置に立ってる」


「……」


「カイも、変わった。リヴァが来てよく喋るように変わったけど。あそこまでじゃなかった」


 ユキナガが椅子から立った。


 カウンターを回る。靴音が床を横切り、リヴァのいる側へ来た。


「ヴィクトルが船でリヴァを連れ出した時、俺の回線、切られてたの知ってる?」


 リヴァの指がグラスから離れた。


「意図的に切った。俺の監視を外して連れてった」


「……」


「で、リヴァは帰ってきて、そのこと、...怒ってなかった」


 リヴァはユキナガを見上げたままだった。


 ユキナガはカウンターの縁へ指をかけた。


「まだ信用してるの」


「……ヴィクトルは、そういうんじゃ」


「わかってるよ。わかってる」


 ユキナガがリヴァの椅子の横へ立った。


 近づいた分、照明が背後へ回り、顔の輪郭に光が残った。


「俺はリヴァのこと、誰よりもデータを持ってる」


「……」


「でも何考えてるかは全然わかんない」


 リヴァが椅子の上で身体の向きを変えた。ユキナガを正面から見た。


「…アルノと、いつあんなに仲良くなったの」


 リヴァは答えなかった。


 冷えたグラスの表面を水滴が伝い、コースターへ染み込んでいく。


「…だからみんな、大(・)切(・)な(・)人(・)なんだろ」


 ユキナガがカウンターへ腰を預けた。両手を天板の縁に置き、親指で木目をなぞる。


「得体が知れないんだよ。アルバンもお前も。…カズマも。俺が三日かけて解析したパターンを、お前らは勘で避ける。データを超えてる」


「……」


「おっさんもそうだった。一晩かけて掘って、戸籍も経歴も、何も出てこなかった」


 ユキナガが低く笑った。


 顔は上がらなかった。


「掘って何も出ないやつ、リヴァ以来だよ。二人目」


「……」


「グレイには何回さらわれた?何回傷ついた?そのたびに俺はログ追ってた」


「……」


 ユキナガの指がカウンターの縁を離れた。


「でもやるしかないじゃん。目の前のパケット追って、間に合わせるしかない」


 ユキナガが笑った。


 目の下の影が照明の下でも消えなかった。口元が上がっている間も、視線はリヴァから外れていた。


「だから、止めない。疲れてる暇がないだけ」


 バーには、端末の冷却ファンの音が残っていた。


 氷が溶け、グラスの中で位置を変えた。


「止まったら追いつけなくなる」


「……何に?」


「…みんなに」


 リヴァが息を吸った。


 口を開き、何も言わないまま閉じる。


 視線をカウンターへ落とした。


 煙草の箱があった。


 リヴァの手がそこへ伸びた。


 指先が箱へ届く前に、横からユキナガの手が入った。


 ユキナガが先に箱を取った。残り二本だった。一本抜き、箱をカウンターへ戻す。


 ユキナガがリヴァの方を向いた。


 煙草を持った手が、リヴァの口元へ近づく。


 いつもならそのまま咥えさせる距離まで来て、止まった。


「…リヴァ、俺が触っても逃げない?」


 フィルターがリヴァの唇に触れる手前で、ユキナガの指がずれた。


 煙草が上へ傾く。


 代わりに、ユキナガの親指がリヴァの下唇へ触れた。


 指の腹が乗ったまま、動かない。


 ユキナガの目は自分の指先へ落ちていた。


 リヴァは煙草を受け取ろうとしていた形のまま、唇を開いていた。グラスを置いた手も、膝の上にある。


 ユキナガの親指がゆっくり押した。


 リヴァの眉が寄った。


 それでも手は上がらなかった。


 押された下唇が少し開き、その隙間へ指の腹が滑り込む。


 そこでリヴァの目がユキナガへ上がった。


「……」


 ユキナガの視線も、指先からリヴァの目へ移った。


 据わっていた。


 リヴァの右手が膝から上がった。


 ユキナガの手首をつかむ。


「……っ」


「俺じゃなくても、良いってこと?」


 声は低かった。


 ユキナガの親指が動いた。


 そのあとで指がリヴァの唇から離れた。


 手首を引き、リヴァの手から抜く。そのまま距離を取り、カウンターの中へ戻った。


 水のグラスを取った。


 一口飲んだ。


 グラスを置く。


 リヴァは椅子に座ったまま、ユキナガを見ていた。つかんでいた右手が、まだ宙に残っている。


 ユキナガは箱から最後の一本を出した。


 咥える。


 使い捨てライターを擦ると、今度は一回で火がついた。


 吸い込み、煙を長く吐く。


 吐煙越しにリヴァを見た。


 口元を上げた。


「カイでもフィンでも、アルノでもいいんだろ」


 ユキナガが煙草を灰皿に置いた。


「俺は画面越しだもんな」


「…違う、ユキナガが居なかったら戦えてない」


 ユキナガの手が灰皿から離れた。


 カウンターを回り、もう一度こちらへ来る。目を細め、小さく笑った。


 リヴァの椅子の前で止まった。


「立って」


 リヴァがユキナガを見上げた。


 ユキナガは位置を変えずに待っていた。


「俺のことが大切なら立って、リヴァ」


 リヴァが椅子を引き、立ちあがった。


 ユキナガの手がリヴァの腕を取った。肘の少し上をつかみ、そのまま壁の方へ身体を向ける。


 数歩移動し、リヴァの背中が壁についた。


 ユキナガは片手を壁についた。


 リヴァの目を見た。そこから瞳孔へ視線を絞り、胸元へ下げる。呼吸の間隔を追ってから、また目へ戻った。


「……リヴァ」


「……うん」


「心拍、上がるんだ」


 ユキナガの目がリヴァの顔を見ていた。


 リヴァは壁へ背をつけたまま、両手を下ろしている。


「……」


「…何その顔」


 ユキナガの声は変わらなかった。


 目元も動かない。


 ユキナガが壁についていた手とは反対の手を上げた。


 人差し指と親指をリヴァの顎へ当て、上を向かせる。


「逃げなよ」


 リヴァの目がユキナガを見ていた。


「……逃げない。ユキナガだから」


「馬鹿じゃん」


「大切だからだよ」


「それは皆、でしょ?」


 ユキナガは顎から指を離さないまま、リヴァの目を覗き込んだ。


「瞳孔、開いてる」


「……」


「怖がってるのか、それ以外か、どっち」


 リヴァの唇が少し動いたが、声は出なかった。


「答えて」


「……怖くない」


 ユキナガがため息をついた。


 顎に置いていた指が離れた。


「俺のこと信用してる?」


「してるよ。とっても」


「それなんだよ」


 リヴァはユキナガから目を外さなかった。


 ユキナガの視線が一度、リヴァの口元へ落ちる。


「…リヴァは俺に隠し事しないと思ってた」独り言みたいだった。


「違——」


 言い終わる前に、ユキナガの顔が近づいた。


 壁との間にあった距離が狭くなる。


「俺の名前、呼んで」


「……ユキナガ」


「もう一回」


 声が低くなった。


 息が触れる距離だった。


 リヴァが目を逸らした。


「ユキナガ」


「……じゃあ俺は、どうしたら選ばれる?」


 腕が身体の横へ戻る。


「……怖くないって、言って」


「怖くない」


「もう一回」


「怖くないよ、ユキナガ」


 ユキナガの手がリヴァの腰へ回った。


 掌が背中側へ入り、そのまま引き寄せる。


 壁からリヴァの背が離れた。


 カウンターの上で、サウスサイドの氷が一つ鳴った。


「言って。俺が、必要だって」


「必要」


 リヴァがユキナガに一歩近づいた。両腕で抱きしめた。


「ユキナガが必要だよ」


 カウンターの灯りはついたままだった。


 バーの鍵は閉まっている。


 端末では解析ログが流れ続け、心拍の波形が速くなっていた。


 ユキナガはそちらを見ずに、リヴァに唇を重ねた。


 夜が明けるまで、バーの扉が開くことはなかった。

”High for this" / the weekend


参考:サウスサイド

ジン:60ml

ライムジュース:20〜30ml

シロップ:15〜20ml

ミント:5〜8枚

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