序列
誰も、部屋に長くは残らなかった。
ユキナガが端末を持って出ていった。ヴィクトルがオラヴルを支えて立たせ、診療室の方へ連れていった。アルノは灰皿の前から動かなかった。フィンが、何も言わずに壁から背を離した。
カイが、リヴァを部屋まで送ると言ったが、リヴァはまだ床を見ていた。
拠点の灯りが、いくつも点いたままだった。
東京拠点、午前二時二十分。
サーバールームは、モニターの光だけが灯っていた。
ユキナガの指が止まらなかった。
明智惣一、ヒットなし。声紋認識、なし。顔認識、一致なし。
「ありえねえだろ」
もう一度叩いた。
「どうやったらこんな綺麗に消えんだよ」
画面が何も返さなかった。生まれた記録も、消えた記録も、消した痕跡さえなかった。
「リヴァといい、戸籍消すの流行ってんのかよ」
ユキナガが椅子の背に体を預けた。
モンスターエナジーの缶を開けた。
開けながらもう一度、検索窓を見た。
何もなかった。
屋上は、夜風が涼しかった。
ヴィクトルがウイスキーのロックグラスを手すりに置いた。氷が小さく鳴った。火をつけずに煙草を持っていた。
スマホを耳に当てた。コール音が、長く続いた。
「俺だ」ヴィクトルが言った。「聞きたい名前がある」
相手が、何か言った。
「明智惣一」
相手が、黙った。
風がグラスの縁を撫でた。ヴィクトルは待った。相手は何も言わなかった。
ヴィクトルの目が、細くなった。
「……そうか」
相手が何か言った。
「……わかってる」
切った。
グラスを取って、一口飲んだ。
煙草を見た。
「…吸いすぎはよくねえな」
煙草には、最後まで火をつけなかった。
会議室に人はいなかった。
アルノが、灰皿から燃え残りを拾っていた。一枚ずつ焦げた縁を避けて、テーブルに広げた。
灰皿の位置を、無意識に机と並行に直した。
配置図の、残った部分を見ていた。
「…なぜ」
指が、テーブルを二度叩いた。
「なぜカラムを外した」
声に出さず、口だけが動いた。
「なぜ、リヴァを入れる」
灰の匂いがした。
「……なぜ、コアが降りてきた」
アルノは残骸を並べ続けた。
廊下は、暗かった。
カイがリヴァを部屋まで送った。
ドアの前で、リヴァが止まった。
「……アンカーって、なに」
カイが止まった。
間があった。
カイはリヴァの頭に手を置いた。
「わからない」カイが言った。「でも、お前はお前だ」
リヴァが目を上げた。
カイのシャツを掴んで、開いたドアの内側へ引いた。
カラムの部屋は、暗かった。
スピーカーから、低く音楽が流れていた。歌詞のない、ギターの曲だった。カラムは床に座って、壁に背をつけていた。
火のついていないRothmansが、指の間で回っていた。
ベッドの真ん中に、ミントが丸くなっていた。
いつもはオラヴルかリヴァの部屋で寝ていたのに、今夜はここにいた。
目を閉じた。
リヴァが浮かんだ。戸口で固まって、肩からバッグが滑って、指先から色が消えていた。床を見て、呼吸が浅かった。
煙草を回す指が、止まった。
音楽だけが流れていた。
ミントが寝返りを打った。猫一匹にとっては大きすぎるベッドだった。
指の煙草が、また回り始めた。
フィンは廊下を歩いていた。
診療室の灯りを見た。サーバールームの光を見た。会議室の、開いたドアの隙間を見た。
全部点いていた。全員起きているようだった。
誰も集まっていなかった。
フィンはリヴァの部屋の前で、足を止めた。
しばらくドアを見ていた。
それから、そのまま立ち去った。
リヴァはベッドの中にいた。
窓の外で、街の音が遠く沈んでいた。コアの声。オラヴルの、何も言えなかった顔。アルノの背中。カイの背中。全部が、順番に浮かんで、消えた。
リヴァが目を開けた。
煙草の箱を探した。一本とって、火をつけた。
カイの寝息が聞こえた。
深夜四時を回っていた。




