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リヴァ・アルカ ―特殊部隊は、一人のアンカーを檻に乞う―  作者: Ilir Noct
第九章「閉じた環礁 ―The Closed Atoll」

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スナイパー部屋




 雨は止む気配がなかった。ラグーンの色が消えて、島が灰色に沈んでいた。


 一番奥のコテージから、笑い声が漏れていた。フィンとユキナガ、それに混じってレッドとヴィクトルの声。雨の音の上に、酒の入った賑やかさが乗っていた。


 カラムは、そのコテージを出た。くわえた煙草に火はつけず、雨を避けて軒の下にいた。


 レッドがあの輪にいるなら、奥の棟にはいなくなっている。カラムはそちらへ向かった。


 ドアの前に立った。ノックはしなかった。


 中から、先にドアが開いた。


 イーサンが立っていた。手に、火のついたAmerican Spiritがあった。


「……なんだ」


 イーサンはカラムの手元の、火のない煙草を見た。


 カラムのコテージから、賑やかな笑い声がした。


「入りたいのか」イーサンは言った。


 カラムは無言で中に入った。


 部屋は、レッドの散らかした荷物だけがあって、静かだった。イーサンはローテーブルのガラスの灰皿を、窓際へ寄せた。カラムが火をつけた。Rothmansの煙が、ガラス床を低く流れた。


 二人とも座らなかった。窓を背にする位置には、どちらも立たなかった。少し離れて、雨の見える側に並んだ。


 モルディブに来た初日、二人は桟橋で一度、目が合ったきりだった。それきり、ほとんど口をきいていない。


「逃げてきたか」イーサンは言った。


 カラムは無言で頷いた。


 雨の音が続いた。


 イーサンはカラムの顔を見た。


「この間は、よく寝れたか」イーサンは言った。


 カラムの指で、Rothmansが止まった。


 静かにイーサンを見ていた。


「……」



 ドアが開いた。


「煙草忘れた」レッドが入ってきた。「どこ置いたっけ」


 言葉が止まった。窓際に、イーサンとカラムが並んで立っていた。部屋の空気が重く沈んでいた。


「……なんだ、この空気」レッドは言った。「葬式か」


 返事はなかった。


 レッドはイーサンとカラムを見比べた。


 壁と溶け込んで存在感がなかった。寡黙なスナイパーが二人、無意識に壁を背に立っている。


「お前らで、何の話してたんだ」レッドは言った。「天気とか?」


「ああ」イーサンは言った。


「嘘つけ」


 レッドはテーブルからLucky Strikeを拾った。箱を振って、ポケットに入れた。


 ドアの方へ歩いて、出る前に振り返って、指をさした。


「スナイパー同士仲良くやれよ」


 ドアが閉まった。


 部屋に、雨の音が戻った。


 しばらく二人とも黙っていた。


 どちらも座る気配がない。


「最長は」イーサンは灰を落とした。


「……実戦は2517」カラムが言った。


「L115A3で?」


「うん」


 カラムが灰を落として、続けた。


「その辺りは運」


「正直だな」イーサンが笑った。


「計算はするけど、あとは祈る」


「神を信じるのか」イーサンが聞いた。


「いや」カラムは言った。「…昔は」


「今は」


「……見たから」


 沈黙が落ちた。


 イーサンが何か言おうとして、やめた。


「…あんたは何を見てるの、彼女に」カラムが言った。


 イーサンが眉を上げた。


「安心して」カラムが言った「俺はあんたの敵じゃない」


「そういう話じゃない」


「俺より」カラムは海を見たまま言った。「あんたの方が必死」


 イーサンはため息をついた。


「この歳で必死になんかなれるか」


「あんたの歳知らない」


「35。お前は31には見えないな」


「……黙って」


 イーサンは言われた通り黙った。


 しばらく二人で煙草を吸っていた。


 外では相変わらず、土砂降りだった。


「…お前はどこで撃ち方を覚えた」イーサンは言った。「軍人ではないと聞いている」


 カラムは煙をゆっくり吐いた。


「子供の頃」カラムは言った。


 イーサンはカラムを見た。


「売られた口か」イーサンは言った。


 カラムは答えなかった。


 イーサンは、その横顔を長く見た。


「長かったな」


「…何が」


「地獄が」


 間があった。


 カラムは海に雨粒が叩きつけられているのを見ていた。


「…慣れるよ」


 イーサンが眉を動かした。


「慣れないと死ぬから」


 イーサンはカラムの横顔をみて、長いため息をついた。


「……だから嫌なんだ。お前を見ていると」


 しばらく無音だった。


 そこに人がいないみたいだった。


「…なら閉じ込めとけば」カラムが言った。


 イーサンの体が動いた。


「何」


「外に出さなきゃいい」


 カラムは言った。


 煙草を吸った。


「守りたいなら檻に入れる」


「そんな話じゃない」イーサンが言う。


「……違う?」


 雨音が強くなった。


 かき消えそうな声量で、カラムは話していた。


 またカラムが外を見た。


「俺たちはそうやって育った」


「違う」


「同じ」


 二人とも静かになった。


「…リヴァを」イーサンは言った。「お前みたいにしたくないだけだ」


「どんな?」鼻で笑った。


「……長生きしない」イーサンが言った。


 カラムがイーサンを見た。


 眉を寄せていた。


 初めて、まっすぐに見た。


「あんたに、言われたくない」カラムは言った。


 イーサンは窓の外へ目を移した。雨が、ガラスを伝っていた。


 カラムは灰を落とした。







 ドアが、軽く鳴った。


 鍵はしていなかった。ゆっくりと音を立てて開いた。


 リヴァが立っていた。薄手のワンピースが、肩のあたりだけ雨に濡れて色を変えていた。編み込みが少しほどけて、頬にかかっていた。目は、半分閉じていた。


「あれ…」


 それだけ言って、ソファに座った。


「何しに来た」イーサンが言った。


「うるさくないとこ、探しに」


「自分の部屋は」


「雨凄くて帰れない」


 壁際にへばりついて立っている二人をみた。


「二人で煙草吸ってるの、おもしろい。狛犬みたい」


「狛犬…」カラムが言った。


 リヴァはワンピースのポケットから、Marlboroを出した。一本くわえた。


 それを見たカラムが、マッチ箱をリヴァの前に置いた。


「……ん」


 リヴァがマッチを擦った。三回目でようやくついた。二回目でカラムが少し動いたが、眺めたままだった。


 煙草に火がついたのを確認して、イーサンが灰皿をリヴァの方へ寄せた。


 寄せて、壁際に戻った。


 二人とも、何も言わなかった。煙草を持ったまま、手だけが動いた。


「なにしてたの、ふたりで」


「……」


「スナイパー会議?ふふ」リヴァが少し笑った。半分うとうとして揺れていた。「入れてー」


「寝ろ」イーサンが言う。思わず笑った。


「ねえ、聞いていい」


 カラムとイーサンがリヴァを見た。


「私、これまでどのくらい撃ってたのかな」


 間があった。


「身体が撃ち方を覚えている。少なくはない」イーサンが答えた。


「考えなくていい」カラムは言った。「今のあんたには関係ない」


 イーサンが、揺れているリヴァの煙草を取り上げて、灰皿で消した。


 リヴァの肩をゆっくりとソファに倒した。


 横になると、すぐに息が深くなった。肩のあたりが、濡れたままだった。


 窓の外で雨が降り続いていた。イーサンとカラムの煙が二筋、天井へ昇って消えた。


 二人は、彼女が眠るのを見ていた。






   

 リヴァが目が覚めると、カラムはいなかった。いつ出ていったのか、わからなかった。灰皿に火をつけていないRothmansが一本、置かれていた。


 体に、薄いブランケットがかかっていた。かけられた覚えはなかった。


 イーサンが、少し離れた椅子で本を読んでいた。サイドの小さな灯りだけが点いていた。ページを繰る手が、リヴァが動いた気配で止まった。


 目が合った。


「……起きたか」


「ん……」


 リヴァが体を起こした。まだ酔いが残っていて、体が重かった。


「……帰ってシャワー浴びる」


 リヴァが立ち上がりかけた。窓の方を見た。


 雨がガラスを叩いていた。昼より強くなっていた。桟橋の先の自分のコテージまで、この雨の中を歩くことになる。


 足が止まった。


 部屋の真ん中で、レッドが寝ていた。ソファベッドの上で、海に向かって大の字になっていた。腹にタオル。口が半分開いて、いびきが規則正しく響いていた。奥のベッドを空けて、ソファベッドで寝ていた。リヴァにベッドを譲ったのだとわかった。


 体がだるかった。雨の中を帰る気力が、湧かなかった。


「ここのを使えばいい」イーサンが言った。


 立ち上がって、奥から自分のシャツを一枚持ってきた。白いリネンだった。リヴァに、渡した。


「着替え」


「……ありがと」


 イーサンが椅子に戻った。本を開き直した。顔は、何も変わらなかった。


 リヴァはシャツを受け取って、バスルームの方へ歩いていった。


 ドアが閉まって、シャワーの音がし始めた。


 イーサンが本を見ていた。


 しばらくして、リヴァが出てきた。


 イーサンの白いシャツを、一枚だけ着ていた。大きすぎて、肩が落ちて、裾が太ももの半ばまであった。濡れた髪が首筋に張りついていた。素足だった。


 イーサンが本から目を上げた。


 一拍、何も言わなかった。


「……レッド、うるさいね」リヴァが言った。


「ああ」イーサンが言った。本を閉じた。



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