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リヴァ・アルカ ―特殊部隊は、一人のアンカーを檻に乞う―  作者: Ilir Noct
第九章「閉じた環礁 ―The Closed Atoll」

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穴埋め




 リヴァが出ていったあと、波の音だけが残った。


 ヴィクトルはソファに座ったまま、閉じた箱を見ていた。


 エスプレッソは冷めていた。煙草の灰が長くなって、灰皿に落ちた。ヴィクトルは吸いかけのSobranieを押しつけた。


 端末を取った。番号を入力した。


 呼び出し音が三回鳴った。


『はい』


 アルノの声だった。


「来い。ロビー横」


『用件は』


 ヴィクトルは箱を見た。


「五分で」


 通話が切れた。


 ヴィクトルは端末を伏せた。冷めたエスプレッソを飲んだ。舌の奥に苦味だけが残った。


 五分はかからなかった。


 アルノは白いシャツに薄いグレーのパンツで現れた。眼鏡をかけていた。髪が整っていなかった。襟元のボタンが一つ開いていた。


 アルノがヴィクトルを見た。


「……昨夜と同じシャツですね」


「朝からうるさいな」


「部屋に戻っていないんですか」


 ヴィクトルが笑った。


 アルノは座らなかった。テーブルの前で立ったまま、閉じた箱を見下ろした。


「……フィンが帰ってこなかった」


 アルノが箱を見た。


「八つ当たりしたくて呼んだんですか?」


 ヴィクトルが笑った。


「俺が寂しくて呼んだとは思わないのか?」


「あなたはそれを理由にしない」


 海の光が、天井を流れていた。


 ヴィクトルは煙草をくわえた。火はつけなかった。


「穴埋めでしょう」


 アルノはようやく座った。


「私だって暇ではないんですが」


 ヴィクトルの隣のソファに、一人分の距離を空けた。


 ヴィクトルが箱を開けた。切れたチェーンと、一粒のパールが朝の光に乗った。


 アルノの視線が少しだけ止まった。


「怪我は」


「見た。傷はない」


「人の首に、自分のものを置くからです」


 ヴィクトルの指が止まった。


「随分と冷たいな」


 ヴィクトルが声を出さずに笑った。箱の蓋を閉じた。小さく音が鳴った。


 ヴィクトルはアルノを見た。アルノも見返した。


 ラグーンの光が白い天井を流れていた。二人の間だけ、空気が動かなかった。


「俺が負けたのが、そんなに面白いか」


 アルノが口角を上げた。


「……はい。気分がいいです」


 ヴィクトルは動かなかった。窓の外で、波が白く崩れた。


「満足したか」


「少し」


 ヴィクトルがくわえた煙草を外した。火をつけた。煙を吐いた。


 アルノは箱でもなく煙草でもなく、ヴィクトルだけを見ていた。


「穴埋めにする相手を、あなたは選んだ」


「……なんだ」


「いつも自由なあなたが」


「嬉しそうだな」


 ヴィクトルは顔を外に向けたまま、目線だけでアルノを見た。


 アルノが鼻で笑った。


 しばらく、波の音だけがあった。


 ヴィクトルが立ち上がった。窓際まで行き、外を見た。海は明るかった。波だけが少し高い。


「リヴァが、自分の部屋で寝ていいと言ったんだぞ。自分はここでいいって」


「……」


「残酷だろ」


「ええ」


 アルノは箱に視線を落とした。


 ヴィクトルが振り返った。ソファの前まで戻り、アルノを見下ろした。


「立て」


 アルノがヴィクトルを見上げた。


 アルノは、ゆっくり立ち上がった。ヴィクトルとの距離が近くなった。


 ヴィクトルを見上げた。


「ヴィクトル、」


「なんだ」


「……なんでも、ありません」


 アルノが息を吐いた。


 ヴィクトルの手が、アルノの眼鏡に伸びた。


「南国だ。たまには羽目を外せ」


 アルノの手がそれを止めた。


「オラヴルに言いつけますよ」


「言えばいいさ、別に」


 ヴィクトルはアルノの手ごと、静かに押しのけた。眼鏡のつるに指をかけ、ゆっくり外す。


 アルノは眉を寄せた。手首を掴まれたまま、もう片方の手で取り返そうとした。


「……返してください」


 ヴィクトルが口角を上げた。


「嫌ならもっとちゃんと抵抗しろ」


 ヴィクトルは眼鏡をテーブルに置いた。


「今朝のことは、誰にも言うな」


「パールのことですか」


「全部」


 アルノが目を閉じた。


「……自由人」


 テーブルの上で、外された眼鏡と、閉じた箱が朝の光を拾っていた。

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