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リヴァ・アルカ ―特殊部隊は、一人のアンカーを檻に乞う―  作者: Ilir Noct
第九章「閉じた環礁 ―The Closed Atoll」

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パール





 ロビー横の共用スペースに、ラグーンの反射が白い天井を流れていた。


 ヴィクトルはソファに座っていた。膝にノートPC。ダークボルドーのシャツ、袖を二回折っていた。エスプレッソは半分残っていた。


 リヴァが入ってきた瞬間、ヴィクトルは顔を上げた。


 一度リヴァの後ろを見た。誰もいなかった。


 次に、首元を見た。視線がそこで止まった。


 ノートPCを閉じた。


「……どうした」


 リヴァが、少し近づいた。


「ヴィクトル、おはよう」


「ああ」


「……」


「…おはよう」


「あのね。……ネックレス、壊しちゃった」


 掌の中の箱を開いた。


 切れたチェーンと、一粒のパールが朝日を受けて光っていた。


「引っ掛けちゃって」


 ヴィクトルがリヴァを見た。


「怪我は」


 リヴァが、自分の首に手をやった。


「……ないよ」


「見せろ」


「ないってば」


 リヴァが髪を少しだけ持ち上げた。


 ヴィクトルが身を乗り出した。


 うなじから鎖骨の上まで、目だけで辿った。


「……よかった」


 ヴィクトルが座り直した。


 それからリヴァの掌からパールを受け取った。


 チェーンを持ち上げ、切れた金具を見た。


「……ごめん」


 ヴィクトルは、パールを指先で転がした。


「任務が終わってからも、付けていたな」


「……うん」


「よく似合ってた」


 ヴィクトルが、ようやく顔を上げた。


 お互い、何も言わなかった。


 風が吹いた。どこかでドアが開いた。


「フィンか」


 ヴィクトルは、エスプレッソを一口飲んだ。


「昨夜、部屋に帰ってこなかった」


「……」


「今朝、桟橋の先から戻ってた。ギター抱えたまま」


 リヴァが視線を落とした。


 数秒止まってから、視線を窓の外に外した。


 ヴィクトルは箱を引き寄せた。


 パールを戻した。


 箱を閉じる前に、パールをもう一度、指で転がした。


 ヴィクトルが、箱を閉じた。


 小さく鳴った。


「直しておく」


「……うん」


「ただ」


 ヴィクトルが顔を上げた。


「フィンは一回殴らせろ」


「……え」


「なんだ」


「フィン殴らないで」


「人の贈り物を壊した」ヴィクトルが静かに言った。「しかも、多分、かなり必死に」


 しばらく、二人とも黙った。


「……冗談だ」ヴィクトルが言った。「SAS殴るほど馬鹿じゃない」


 海の光が、天井を流れ続けていた。


「リヴァ」


「…」


「俺が怒っていると思うか」


 ヴィクトルが煙草を取り出した。


 ライターで火をつけた。


 煙を吐いた。


 煙が、海の光の中に上がった。


「……少し」


 間があった。


「…物は壊れる」ヴィクトルが言った。「忘れろ」


 ヴィクトルが、煙を長く吐いた。


 横目でリヴァを見た。


「……お前に首輪なんて似合わなかったな」


 声にならなかった。


 今日は波が高かった。




 ヴィクトルが、煙を窓の外へ流した。


 リヴァはまだ立っていた。


「ヴィクトルって」リヴァが言った。「なんで、アルカ辞めたの」


 ヴィクトルの指が、煙草のフィルターのところで止まった。


「なぜ」


「前から、聞こうと思ってた」


 ヴィクトルは答えなかった。


 海を見ていた。波が、さっきより高かった。


「守れと言われた」


 低かった。


「同じ口が、後で切れと言った」


 リヴァは動かなかった。


「……それで」


「辞めた」


 間があった。海の光が、天井を流れ続けていた。


 ヴィクトルは、煙を最後に一度吸った。


 灰皿で、ゆっくり消した。


「それは、アルノが決めたの」


「アルノは…伝えただけだ」煙を吸った。「もっと上だ」


 窓の外を見ていた。波が白く崩れていた。


「顔も、名前も知らない。俺は最後まで、誰に切られたのか知らないままだ」


 リヴァが少し黙った。


「あったこともないやつに、人生を決められる」


 ヴィクトルがリヴァを見た。


「そういう場所だ。お前がいるのは」


 ヴィクトルは、Sobranieを灰皿で消した。


「まあ、昔の話だ」



 ヴィクトルが立ち上がった。


「コーヒー淹れてやる。座れ」


 リヴァが少し躊躇ってから、ヴィクトルの正面の椅子に座った。


 立ち上がった拍子に、シャツの裾がよれていた。


 昨夜と同じシャツだった。


「ヴィクトル、昨日部屋に戻らなかったの」


 ヴィクトルがコーヒーメーカーに向かいながら言った。


「ここで寝た」


「え」


「フィンは戻ってこない」ヴィクトルは言った。「カラムは得体が知れない」


「……」


「あの部屋に俺一人で残るのは、なかなか酷だろ」


 リヴァが少し笑った。


「カラム、夜何してた?」


「部屋の隅からこっち見てた」


「え?」


「海見たり壁見たり。あと音楽かけてる。言ってもきかない。それもロックだぞ」


「……ヴィクトルが負けた」


「完敗だ」ヴィクトルが、エスプレッソマシンの前で言った。


「そんなことあるんだ」


 ボタンを押した。豆を挽く音がした。


「島手配してくれたの、ヴィクトルなのに」


 ヴィクトルの背中が、肩をすくめた。


「まったくだ」


 ヴィクトルが、二つのカップを持って戻ってきた。


 一つをリヴァの前に置いた。自分の分は、テーブルに。


 また座った。


「私の部屋使ってもいいよ、ヴィクトル」


 ヴィクトルが固まった。


 カップを置いた。小さく音が鳴った。


「なんだ、誘ってるのか」


 窓の外でラグーンが朝の光を返していた。


「……そうじゃなくて。私、ここでも」


 ヴィクトルがSobranieを取って、一口吸った。煙を吐いた。


「お前がここで寝るのは危なすぎる」


「なんでよ。島、貸しきりじゃん」


「なんでもだ」


 リヴァがコーヒーを一口飲んだ。


 ヴィクトルがその横顔を見ていた。


 視線を外さなかった。


 首元に、パールがなかった。

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