I don't know why
浜辺での夕食。
リヴァは鏡の前に立った。
今日、首にパールのネックレスをつけた。豪華客船の任務でヴィクトルがくれたものだった。
オフショルダーの白いショートワンピースの裾を揺らした。足元はベージュのフラットなレザーサンダル。アクセサリーはそのパールだけにした。
「リヴァ準備できた?」
部屋の外から、フィンの声がした。
出るとユキナガも待っていた。
「え、かわいい」リヴァの姿を見たユキナガが言った。「南国感ある」
リヴァが笑った。
「行こっか」フィンが言った。
「うん」
「山盛りの蟹あるらしい」ユキナガが言った。
「やば」
「早く行こ」
フィンが走った。
ユキナガとリヴァが追いかけた。
両側のラグーンが、薄く銀色に光っていた。等間隔に置かれた炎が、足元を照らしていた。
桟橋の終わりから、白い砂浜に出た。
砂浜の中央に、長いテーブルがあった。花々が散らしてあった。
会場の周囲を背の高いトーチが囲んでいた。火がオレンジ色に揺れて、砂浜と海の境界を曖昧にしていた。
砂浜の奥に、ステージがあった。キーボード、チェロ、アコースティックギター、カホン。スタッフが調整をしていた。
「うわ」ユキナガが言った。「マジか」
「ヴィクトル、やりすぎ」
リヴァが先に砂を踏んだ。サンダルを脱いで、片手にぶら下げた。砂が温かかった。
カイがテーブルの脇に立っていた。
黒のリネンシャツ、ベージュのリネンパンツ。素足。
近づくと、今日は白檀みたいな匂いがした。
「カイ今日いい匂いする」
「ああ」
「綺麗な砂浜だね」
「ああ」
「何か言ってよ」
カイが少し間を置いた。
リヴァのワンピースを見た。
「……綺麗だ」
カイがリヴァの椅子を引いた。
「……砂浜の話、なのに」
リヴァが座った。カイがリヴァの真横に座った。テーブルの下で、二人の足が砂の上で並んだ。
フィンがギターケースを、ステージの脇のスタンドに置きに行った。戻ってきて、リヴァの斜め前に座った。
ヴィクトルがテーブルの反対側からやってきた。シャツのボタンを三つ開けていた。両手にワインボトル。
「集まってきたな」
「アルノ、今夜は仕事するなよ」
レッドが続けて到着した。手にバドワイザーの瓶。赤いラベルだった。
「…」アルノは端末をポケットに入れた。
ヴィクトルがリヴァのグラスに、白ワインを注いだ。
「なんでいつも白ワイン勝手に入れるの」
「お前に飲ませる名目で、毎晩良いボトルを開けてるからだ」
ヴィクトルが鼻歌を歌い始めた。自分のグラスに注いで、そのグラスをリヴァのワイングラスに軽く当てた。
「Pentru ochii tăi frumoși!」白ワインを飲んだ。
「…なんて?」
「君の瞳に乾杯。いいネックレスしてるな」
「……」
リヴァは一口白ワインを飲んだ。
カラムが砂浜に現れた。黒のリネンシャツに、黒のリネンパンツ、黒のローファー。
一度、視線を巡らせてから、テーブルに来た。海を背負わない側に進んだ。
カラムがリヴァの斜め向かいに座った。
リヴァが手に持っていた白ワインをカラムに渡した。
「……」
カラムはしばらく見て、受け取って飲んだ。
イーサンも到着した。オリーブグリーンのリネンシャツ。袖を肘まで折っていた。カラムの隣に座った。互いに何も言わなかった。
「全員揃った」ヴィクトルが言った。「乾杯でもするか」
「もう飲んでるでしょう」アルノが言った。
その時、風が吹いた。リヴァが顔を上げた。
振り向いて、トーチの向こうの砂浜の終わりに目をやった。そこから先は、何も見えなかった。
「どうした」
カイが言った。
「なんか」
リヴァが暗闇を見た。
「…狙われそう」
カイが立ち上がり、リヴァの半歩右後ろに立った。リヴァの左肩に手を置いた。
「ポイントが無い」イーサンが言った。「ヘリは音で気づく。ボートは桟橋しかない」
フィンがカラムを見て、軽く手を振った。
「警備コンサル」
カラムが視線に気づいて、言った。
「……俯角、取れない」カラムが続けた。「光でぼやけて夜はもっと無理」
「水中スクーターはサンゴで音が出ます」アルノが言った。
「スタッフは身辺調査済み」ヴィクトルが言った。「食材も本土から直接だ」
ユキナガが端末を確認して、言った。「大丈夫。異常ないよ」
「座って食えばいい」レッドが言った。
畳みかけられて、リヴァが思わず笑った。
「ありがとう」
ヴィクトルが奥からグラスを持ってきてリヴァの前に置いた。今度は赤ワインのコルクを抜いて、注いだ。そのあと、自分のにも注いだ。カイがそのグラスを無言でカラムの前に置いた。
「皆急に喋りはじめたの、面白すぎでしょ」フィンが笑った。
「お前ら、休暇に来てるんだぞ」レッドがバドワイザーを栓抜きで開け、一口飲んだ。
シェフが調理を始めた。
大皿に、オイスターが山になっていた。氷の上で、殻が銀色に光っていた。レモンとタバスコ、ソースが添えてあった。
もう一皿に、蟹が山盛りだった。茹で上がったばかりで、湯気が立っていた。
「うわ、牡蠣もある」ユキナガが言った。「何個あるんだよ」
「蟹だー」フィンが言った。
「好きなだけ食え」ヴィクトルが言った。
リヴァがオイスターを一つ取った。
「でか」リヴァが言った。
レモンを搾って、すすった。
「おいしい」ヴィクトルの方を見た。ヴィクトルが笑っていた。
リヴァが蟹に手を伸ばした。
カイが取った。
割って、身だけをリヴァの皿に戻した。
もう一つ取って割った。それもリヴァの皿に乗せた。
「カイ、いいよほじくりたい」
「……わかった」
ヴィクトルがようやく座り、自分の皿にオイスターを取り分けた。手つきが優雅だった。鼻歌を続けていた。
アルノはオイスターを二つだけ取っていた。
「アルノ、蟹は」レッドが言った。
「結構です」
「リヴァが頼んでたやつだぞ」
「……一つ」
ヴィクトルが蟹を一つ、アルノの皿に乗せた。
「ビール飲むか」レッドがリヴァに言った。バドワイザーを出した。
レッドが瓶の栓を抜いて、リヴァに渡した。赤いラベルだった。リヴァが一口飲んだ。
「ありがと。おいしい」
カイがその瓶をリヴァから少し離れた位置に置いた。
カラムがオイスターを次々に取っていた。
「カラム、牡蠣好きなんだ」リヴァが言った。
「……牡蠣、初めて食べた」
ヴィクトルが笑った。
食事が終わりに近づいた頃、ステージの調整音が止まった。
スタッフが下がった。
フィンが立ち上がった。
「俺、ちょっと弾く」
「お前、メシは」レッドが言った。
「食べた。デザートはまた後で」
フィンがステージの脇から、ギターケースを取った。サンバーストのギブソン・ハミングバード。スツールに腰掛けた。チューニングを確認した。指で軽くコードを鳴らした。
イーサンが立ち上がって、何も言わずにステージに上がった。チェロを膝の間に挟んだ。
「E、C♯m7、F♯m7、B7」フィンが言った。
「ジャズフィールで」イーサンが言った。
「三度抜きで」
「了解」
「ジャズ弾くんだ」ユキナガが言った。
「呪文みたい」リヴァが言った。
レッドが立ち上がった。バドワイザーをテーブルに置いて、ステージの端のカホンの前に座った。両手を表面に乗せて叩いた。
フィンがリヴァを見た。
「リヴァ」
リヴァが止まった。
「……ほんとにやるの」
フィンが少し笑った。
「大丈夫」
その時、イーサンが立ち上がった。チェロを膝から下ろして、ステージから降りた。リヴァの隣に立った。
手を差し出した。
「来い」
リヴァがイーサンの手を見た。それから、取った。
イーサンがリヴァをステージの前まで連れていった。マイクスタンドが中央に立てられていた。それから、チェロに戻った。
リヴァがステージに上がった。マイクの前に立った。
砂浜より一段高くなった視界から、テーブルが見えた。全員がこちらを見ていた。
トーチの火が、一度だけ風で揺れた。
リヴァが、マイクとの距離を確認した。
「……しらないよ」
フィンがイントロを弾き始めた。ジャズのスイングが、夜の砂浜に低く転がり出した。イーサンがチェロでベースラインを乗せた。低音が砂を震わせた。
リヴァが息を吸った。
『I waited 'til I saw the sun』
声がスピーカーに乗った。
リヴァは、動かなかった。
マイクを握らなかった。肩も揺れなかった。客席を探さなかった。
ただ、前を見ていた。目は少し泳いでいた。
『……I don't know why…』
声が、細かった。透明だった。
声がところどころ震えていた。その震えが、語尾に乗って伸びた。
カラムが、煙草を持つ手を止めた。
ヴィクトルが、目を細めた。
アルノが端末から顔を上げていた。
ユキナガが頬杖をついてみていた。
リヴァが、最後の一節を少しだけ伸ばした。
声がフェードした。イーサンのチェロが、最後の和音を長く引いた。フィンのギターが終止した。レッドのカホンが消えた。
音が消えて、波の音だけになった。
リヴァが、マイクから少し下がった。
「……」
レッドが先に手を叩いた。
「……上手いじゃん」ユキナガが言った。
ヴィクトルがゆっくり拍手した。アルノもしていた。
リヴァが、少しはにかんだ。
カラムはまだ煙草を口元の手前で止めていた。
カイがリヴァを見ていた。
「……いい」
「カイ語彙力失ってるよ、リヴァ」フィンが笑った。
リヴァが笑った。
イーサンがチェロを横にして立ち上がった。リヴァに手を差し出した。リヴァがその手を取った。ステージから降りる時、ほんの少しだけよろけた。イーサンが支えた。
「……ありがとう」
「ああ。良かった」
リヴァが、自分の席まで歩いた。砂がまだ温かかった。
ヴィクトルが、Sobranieに火をつけた。海の方に、煙を吐いた。
「リヴァ」
「ん」
「どこでステージに立ってた」
リヴァが、困ったように首を傾げた。
「……そうか」
カラムがようやく煙草をしまった。火はつけないままだった。
「いい夜だな」レッドが小さく言った。
「うん」ユキナガが言った。「いい夜」
少しだけ間があった。
イーサンがチェロをスタンドに戻して、戻ってきた。American Spiritに火をつけた。煙を一度、長く吐いた。
「私も」リヴァが言った。
Marlboroを一本くわえた。
カイがマッチを擦った。火を寄せた。リヴァが顔を近づけて、吸った。
「ありがと」
煙をゆっくり吐いた。
カイはリヴァに水を入れて前に置いた。カイも水を飲んでいた。
「なんでカイ水なの」
「……明日は大事な日だ。飲みすぎるな」
「…?」
デザートが運ばれてきた。ココナッツのアイスとマンゴー。
レッドがコーヒーを頼んだ。カラムが二つ目のアイスを取った。
夜が、緩やかにほどけていった。
一人、また一人と、席を立ち始めた。
「俺も寝るかなー」レッドが伸びをした。
アルノがカイに言った。
「カイ、例の話少し詰めます」
「ああ」
「ユキナガも」
「はぁい」ユキナガも立ち上がった。
「おやすみ」
「うん」
イーサンがチェロケースを担いだ。カラムが立ち上がった。ヴィクトルがボトルを片手に、スタッフと何か話していた。
リヴァも立ち上がった。サンダルを手に持ったまま、裸足で砂を踏んだ。
フィンがグラスを置いた。
立ち上がった。ギターケースを肩にかけた。
「送るよ」フィンが言った。
「いいよ。一人で帰れる」
「……一人で帰したくない」
リヴァが、フィンを見た。
フィンが視線を逸らした。
「歌、すごく良かった」
トーチの火が、二人の影を砂の上に長く伸ばしていた。
「……うん」
二人が桟橋の方へ歩き出した。
後ろでトーチが一つずつ消されていった。




