寝落ち
夕食後コテージに戻り、リヴァはシャワーを浴びた。
髪を乾かして、薄いキャミソールのパジャマに着替えた。さっきまで着ていたものとは別の、柔らかい生地だった。
ベッドに入った。シーツが冷たかった。
静かで、波の音だけがしていた。
端末を開いた。通知があった。
アルノが、帰国後の任務内容を一斉送信しているのが見えた。
リヴァは見ずに端末を閉じた。
目を閉じた。
どれくらい経ったか、わからなかった。
ドアが、少しだけ開いた音がした。
閉じた。
数分後、また開いた。
リヴァがその音に、薄く目を開けた。
カラムが少し屈んで覗いていた。黒いTシャツを着ていた。手ぶらだった。
「……カラム?」
「……ん」
間があった。
「…入っていいよ」
カラムが部屋に入った。
緩いウェーブの髪が、エアコンの風に揺れた。
「どうしたの」
カラムは俯いて答えなかった。少し玄関で立っていた。
「寝れないの?」リヴァが聞いた。
カラムがこちらを見て、小さく頷いた。
リヴァがシーツを少し持ち上げた。
「ん」
「……床でいい」カラムが言った。
「なんで。ベッド広いよ」
「……寝たら、動けない」
リヴァが少し笑った。
「いいよ。動けなくて」
カラムはしばらく動かなかった。
「来て」
少しして、カラムの控えめな足音がした。
それから、もぞもぞとベッドに入ってきた。リヴァの隣に横になった。丸まった。
リヴァの腹に顔を埋めた。
「……」
カラムが顔を押し付けた。
リヴァが、カラムの髪に手を乗せた。
カラムの肩の力が、抜けた。
「カラム」
反応がなかった。
代わりに、小さな吐息が聞こえた。
「え」
リヴァが小声で笑った。
急にリヴァの瞼も重く感じた。
朝だった。
部屋に白い光が入っていた。ラグーンからの反射が、天井で揺れていた。
腰のあたりに、重さを感じた。
カラムが腰に腕を回して、絡みついていた。まだ、頭をリヴァの腹に埋めていた。
もう片方の手が、リヴァのキャミソールの裾を握っていた。
リヴァはカラムを見た。
眉の間に皺がなかった。顔の力が抜けていて、幼く見えた。
小さい寝息が聞こえた。
リヴァが少し動いた。
しばらくして、カラムが目を開けた。
動かなかった。普段より目が大きく開いた。
リヴァの腹のあたりの布を見たまま、カラムが固まっていた。
「……明るい」
カラムが、ゆっくり体を起こした。髪が乱れていた。リヴァの裾を握っていた手が、ようやく離れた。
ラグーンが、朝の光を反射していた。
「……なんで」カラムが呟いた。
少し間があった。
「おはよ」リヴァが言った。
「……ん」
カラムがリヴァを見た。
「朝ごはん、行こ」リヴァがベッドサイドの時計を見て言った。「多分もうみんな起きてる」
「……ここにいたの、カイに何か言われる?」
「なんで?」
「……夜、部屋に…居たから」カラムが言った。
「?だってカイだよ」
カラムが黙った。
「優しいし」リヴァが言った。
リヴァをしばらく見ていた。
「……そう」
カラムが一度、目を擦った。
リヴァがベッドから出て、洗面所の方に歩いた。
「歯ブラシあるよ、なんか掃除入るたび増えてる」
「……ん」
カラムが床に足をつけた。
朝食のロッジに、リヴァが入ってきた。
その後ろから、カラムが入ってきた。黒いTシャツで、髪が乱れたままだった。
ユキナガが顔を上げた。リヴァを見た。カラムを見た。
「……なにごと?」
フィンは皿に目を落としたまま、フォークを止めた。
「……いないと思ったら」
リヴァは髪を結びながら言った。
「寝かしつけした」
「……」カラムは何も言わなかった。
「…リヴァ、寝かしつけって何」ユキナガが言った。
フィンが眉を寄せてユキナガを見た。
「五秒でカラム、寝ちゃった」リヴァが言った。
「え…」
ユキナガとフィンが止まった。
レッドがコーヒーから目を上げた。二人を見た。
「お前ら早く食え。イーサンとカイなんてとっくに食べて、ダンベル上げてるぞ」
ヴィクトルは新聞を読みながらコーヒーを飲んだ。
アルノが、フォークを置いた。
リヴァを見た。それからカラムを見た。カラムの乱れた髪を見た。
眼鏡のブリッジを押し上げた。
「リヴァ、朝食を食べたらシュノーケリングだとカイが言っていました」
「行く」リヴァが言った。
「泳ぐか」レッドが立ち上がった。
浅瀬は、信じられないほど透明だった。
膝の高さでも、足の指まで見えた。少し進むと、サンゴの間を魚が動いた。青と黄色の縞。手の届く距離だった。
「うわ、近い」ユキナガがマスクをつけたまま言った。声がくぐもっていた。
リヴァが顔を水につけた。すぐに上げた。
「魚いる」
「ああ」カイが言った。
レッドが大きな水しぶきをユキナガに上げた。
「やめろよ」
「もっと若者らしくしろ、少年」
レッドがもう一度上げた。
「なんでテキサスゴリラと水の掛け合いしないといけないんだよ」
「テキサスゴリラ…更に強そうでいいな」
ユキナガが本気で逃げた。
リヴァが水面に顔をつけた。縁の向こうの、濃い青を見た。顔を上げた。
「与那国の時、海入れなかったから」リヴァが言った。「みんなで入れて良かった」
「ああ」
「やっぱり違うもの?ここと」
「与那国は、もっと青い」
「ここより?」
「ああ」カイが少し沖を見た。「海底遺跡もある」
「え!行ったことある?」
「何回もある」カイが言った。
「…素潜りじゃ行けないか」
リヴァがカイを見た。カイは沖を見たままだった。
カイがマスクを外した。
息を一つ吐いた。
そのまま、真下に沈んだ。
身体が音もなく消えた。
十秒。
二十秒。
三十秒。
「え」
リヴァが言った。ユキナガの方を見た。ユキナガも顔をしかめていた。
まだ上がってこなかった。
「すげえな」レッドが言った。
しばらくして、カイが浮上した。
髪をかき上げた。
「今のが素潜りだ」
「無理」
「ああ」
カイが口角を上げた。
「私ももっと深いとこ行ければな」リヴァが言った。
「ヴィクトルが、機材の準備をしてると言っていた」カイが言った。
「機材?」
「明日にはわかる」
砂浜には、四人が残っていた。
ヴィクトルがパラソルの下のチェアに座って、グラスを持っていた。白ワインだった。
アルノが隣で端末を開いていた。
「フィンは」アルノがヴィクトルに聞いた。
「飯食った後、部屋でギター弾いてる」
ヴィクトルが一口飲んだ。
アルノが手元から、ヴィクトルのグラスに目をやった。
「朝からですか」
「南国だぞ」ヴィクトルが言った。「正午を過ぎれば夜のようなものだ」
「まだ十時です」
「誤差だ」
アルノが端末に視線を戻した。
「飲むか」ヴィクトルがイーサンにワインボトルを差し出した。
「……」
イーサンはヴィクトルを無視して、自分のテーブルに置いた水ボトルから、自分のグラスに水を注いだ。
それをみてヴィクトルは笑った。
「アルノ、二日酔いしたか?」ヴィクトルが聞いた。
「誰のせいだと」
「俺も頭痛い」ヴィクトルが言った。「だから飲んでいる。迎え酒だ」
「治りませんよ、それでは」
「治す気はない」
ヴィクトルがワインを飲んだ。
「アルノ」
「何ですか」
「機嫌が悪いな、今朝は」
「悪くありません」
アルノが端末を閉じた。
三秒後に、また開いた。
イーサンが、少し離れたチェアで本を読んでいた。
ページをめくる手を一度止めた。アルノとヴィクトルを見た。
本を閉じた。頭にかけていたサングラスを戻して、両手を頭の下に組んで寝た。
カラムはパラソルの外で、砂の上に直接座っていた。膝を立てて、その上に腕を乗せていた。海を見ていた。
リヴァたちが浅瀬で遊んでいた。レッドが水をかけて、ユキナガが逃げて、リヴァが笑っていた。
カラムはそれをただ見ていた。
ヴィクトルがその横顔を見た。それから海を見た。
「よく眠れたか」ヴィクトルがカラムに言った。
カラムが、少し止まった。
「……ん」
「いつも持ってる煙草は」
カラムがポケットを探った。
少し止まった。
「……部屋」
「忘れたのか」
ヴィクトルが少し笑った。ワインを飲んだ。
そのワイングラスをカラムに傾けた。
「飲め」
カラムは目を細めてヴィクトルのワイングラスをみて、手に取った。
一口飲んだ。
ヴィクトルが一瞬目を開いてから、笑った。
「よしよし」
グラスを受け取った。
カラムが何もなかったように海を見た。リヴァが笑っていた。そのまま、視線を戻さなかった。
リヴァ達はその後もずっと海で遊んでいた。
途中でお昼にイタリア風サンドイッチを食べてまったりして、それからは日陰のプールに移動し、ビーチボールで遊んでいた。それから、また海に入っていた。
アルノはカラムを誘って少しの間、二人でテニスをしていた。
テニスコートのベンチで、ヴィクトルが横に赤ワインを置いて寝ていた。
「一歩も動かなくていいので」
「……うん」
「あなたも、久々に打ちたいでしょう」
「……拾いに行くのはめんどくさい…」
アルノは正確にカラムの右手側に落とした。
「……左利き相手だとめんどくさい」
「それは我慢してください」
一度もラリーが途切れないまま、しばらくそうしていた。
いつのまにか午後の日差しが、少し傾き始めていた。
リヴァはシャワーを浴びて、海水を流したところだった。髪をタオルで挟んでいると、ノックが二回した。
「リヴァー」
フィンだった。
開けると、ギターケースを肩にかけて立っていた。
「今夜さ、ディナー会場にステージあるんだよ」フィンが言った。「見た?」
「見てない」
「結構スピーカーが本格的なやつ」フィンが入ってきた。「で、相談なんだけど」
「うん」
「せっかくモルディブ来たしさ」フィンが少し笑った。「俺、一曲くらいリヴァとやりたいんだよね」
リヴァが止まった。
「マラカスとか?」
「ちがうちがう」フィンは笑った。「歌」
「……もしかして私が歌うの?」
「うん」
「無理」
「できるよ。絶対」
フィンがソファに座って、ケースを開けた。サンバーストのハミングバードを膝に乗せた。チューニングを確かめた。
「リヴァ、普段何聴くの」
「……ノラジョーンズとか?最近聞いてるのは……」
端末を見せた。カントリー、クラシック、ポップス、英語の曲が多かった。
「Don't Know Why、いける?」
「なんで」
「リヴァっぽいから」
リヴァが少し止まった。
フィンがイントロを弾いた。E、C♯m7、F♯m7、B7。音が部屋に低く広がった。
「一回だけ。試しに」
リヴァが息を吸った。
一節だけ歌った。
フィンの指が、止まった。
リヴァがフィンを見た。
「……変だった?」
フィンは答えなかった。
ギターを見た。
チューナーを取り出して、弦の音程を合わせ直した。
もう一度リヴァを見た。
少し笑った。
「やろう。今夜」
「……本当に大丈夫?」リヴァが言った。
「俺が合わせる」フィンがもう一度イントロを弾いた。「もう一回」
リヴァが歌った。フィンのギターが、声の下に入った。




