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リヴァ・アルカ ―特殊部隊は、一人のアンカーを檻に乞う―  作者: Ilir Noct
第八章「夜間係留 ― Night Mooring」

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姐さん


 東京拠点 会議室



 窓のない部屋だった。空調の音だけがしていた。


 リヴァとカイとフィンが、座っていた。


 アルノが立っていた。端末を操作した。壁のモニターに和服の女が映った。五十代。背筋が伸びていた。目が笑っていなかった。


「藤村静江」アルノが言った。「関西の組織二代目の妻です」


 カイが、写真を見ていた。


「先月夫が抗争で亡くなり、跡目争いが起きている。彼女を狙っているのは外の組織じゃない。身内の、謀反派です」


 フィンが軽く眉を上げた。


「ジャパニーズヤクザ?」


「はい」アルノが言った。「厄介なのは、彼女の顔が知られていることです。組織のルートは見張られているので、裏では動かせません」


 アルノが画面を切り替えた。地図が出た。東京から西へ線が引かれていた。


「彼女を、神戸のセーフハウスまで新幹線で移送します。一般人として」


 リヴァが地図を見た。


「東京から新神戸までのぞみで二時間半」アルノが言った。「武装は最小限。威圧も派手な動きも一切なし。バレたら移送対象ごと消されます」


 リヴァはテーブルの一点を見ていた。


「リヴァ」


「うん」


「グレイの帰国が確認できたことから、あなたにも参加していただきます」


「何すればいいの」


「あなたは彼女の隣に座っていただきます。付き添いとして」アルノが言った。「叔母と姪という設定です。法事帰り。男が隣にいると護衛だと一発でバレるので」


「わかった」


「あなたの仕事は観察だけです」アルノがリヴァを見た。「違和感を拾うことだけに集中してください。見る側に徹して、何かあればカイに報告を」


 リヴァが頷いた。


「カイは近距離。通路を挟んで斜め後ろです」


「了解」カイが言った。


 カイの視線がリヴァの横顔に一度向いた。


「フィンは」


「後ろから見てる。まあ保険ってことでしょ」


「頼みます」アルノが端末を閉じた。



 それから少し間を置いた。


「一つ共有しておきます」アルノが言った。「リヴァ、彼女に余計な話はしないでください」


「余計な話って?」


「聡い方とだけ聞いています」


「修羅場の数が違うんだろうね」フィンが言った。「リヴァ、取って食われちゃうかも」


「……気を付ける」




 東京駅だった。


 新幹線のホームは人で混んでいた。


 リヴァは黒のワンピースを着ていた。低いヒールのパンプスに、小さなハンドバッグ。法事帰りの姪という設定に寄せていた。髪は下で結んでいた。


 人の多さに、リヴァの足が一瞬止まった。


 音が多かった。アナウンス、足音、台車の車輪、子供の声。大きな音のひとつひとつに神経が勝手に反応した。


 息をひとつ吸った。


 藤村静江はすぐにわかった。


 藍鼠の絽の着物。雑踏の中でその一画だけ空気が違った。指に、古い翡翠の指輪をしていた。


 リヴァが近づいた。


 彼女がリヴァを見た。


 上から下まで、ゆっくり見た。


「……あんた、堅気やないね」


 リヴァが止まった。


「叔母と姪やったか」女が口の端を上げた。「ええよ。乗ろ」


 女が先に歩き出した。


 リヴァが続いた。


 少し後ろをカイが歩いていた。視線がリヴァの背中から離れなかった。


 周囲の人間の手元を一人ずつ見ていた。コートの膨らみ。鞄の角度。歩く速度。


 それと、リヴァの足の運びを見ていた。歩く速度をリヴァに合わせた。


 さらに後ろをフィンが歩いていた。端末を触るふりをして全体を視界に入れていた。




 グリーン車だった。


 二人掛けの席。女が窓側に座った。リヴァが通路側に座った。


 通路を挟んだ斜め後ろに、カイが座った。フィンは車両のいちばん端の席だった。


 新幹線が動き出した。


 しばらく、女は外を見ていた。東京のビルが後ろに流れていった。


 リヴァは観察していた。車内の乗客。出入口。デッキの方。誰がいつ、どう動くか。


 その合間に、指が膝の上で軽く握られていた。リヴァは息を浅く整えた。


「お嬢ちゃん」


 女が言った。外を見たままだった。


「…何」


「さっきからずっと、人見てるやろ」


 リヴァが止まった。


「そういう仕事や。わかってる」女がリヴァを見た。「でもな、もうちょっと力抜き。隣でそんな張り詰めてられたら、こっちが気疲れするわ」


「……気をつける」


 リヴァは、膝の上の手を開いた。意識して開いた。指が少しだけ白くなっていた。


「気をつけるて」女が笑った。「ほんま可愛げないなあ、あんた」



 女が煙草を取り出した。ピースだった。火はつけなかった。指の間で、もてあそんでいた。


「うち、怖いやろ?」


「別に」リヴァが答えた。


「なんで?」


「何もしてないから」


「そういう子か」


 女は笑った。わざと声を押さえているように見えた。



「彼氏は?」


 女が唐突に言った。


「………」


「どうなん」


「…いない」


「ほんまに?」女がリヴァを見た。「こんだけ別嬪で?」


「そういうのよくわからない」


 女が少しリヴァを見た。


 それから笑った。


「あんた嘘つかへん子やね」女が言った。「珍しいわ。最近おらんで。そういう子」


「嘘苦手」


「知ってる。顔に出てる」女が言った。「いや、出てへんからこそや。隠す気もないやろ」


 リヴァは答えなかった。


 斜め後ろで、カイが動いた。デッキの方からスーツの男が一人入ってきていた。カイの視線が男の手元を追った。


 男は自分の席に座った。カイの視線がリヴァに戻った。


「好きな男もおらんの」


 女が続けた。


「……わからない」


「またわからへんか」女が目を細めた。「ようさんおるやろ。あんたの周り。さっきの後ろのええガタイの兄ちゃんとか。その奥の外人とか」


 フィンは本来悟られない位置でついてくるはずだった。


「……仲間」リヴァが言った。


「仲間ねえ」女が言った。「あんなん仲間がする目やないけどな」


 リヴァが女を見た。


「ええわ。それで」女が言った。笑った。


 新幹線がトンネルに入った。窓が暗くなった。暗くなった窓にリヴァの顔が映っていた。


 女はその映ったリヴァの顔を見ていた。


 窓越しに目が合って、リヴァは目をそらした。




 名古屋を過ぎたあたりだった。


 デッキの方に人影があった。


 二人組だった。座席に着かずデッキに立っていた。一人が車両の中を覗いていた。


 カイの体が動いた。


 無線からフィンの声がした。


『カイ』


 カイが止まった。


『座って』フィンが言った。『まだ何もない』


 カイがデッキの二人を見ていた。


『喫煙室待ち。二分前から立ってる。動きが素人……ただ、視線だけ一回奥見た』


 カイが座り直した。


「一回じゃない。奥を見たのは四回目だ。…リヴァは気づいてる」カイが言った。


『なら問題ない』フィンが言った。『座って』


 デッキの二人はしばらくして喫煙室に入っていった。


 何も起きなかった。


『続行』フィンが言った。


 リヴァはそれを見ていた。見ているしかなかった。


「お嬢ちゃん」


 女が言った。


「……」


「今の気づいてたやろ」女がデッキの方を顎で示した。「あの二人」


 リヴァは一瞬息を止めた。喉が動いたが、言葉は出なかった。


「でも動かへんかった」女が言った。「あんたは見てるだけの役や」


 女がリヴァの横顔を見た。


「しんどいやろ」


 リヴァが止まった。


 視線が、カイの方向に行きかけて止まった。


 女がふっと笑った。


「私も煙草でも吸いにいこうかしら」 


「え……」


「冗談」


 女は、笑ってそれ以上何も言わなかった。


「……」



 京都を過ぎた。


 車内は静かだった。


「あんたこの仕事長いの」


「わからない」リヴァが言った。「覚えてない」


 女は止まった。


 そして、ゆっくりリヴァの顔を見た。


「…色々あったんやな」


 リヴァは答えなかった。


 女がリヴァの目を見た。


「あんたな」女が言った。「長持ちせえへんよ、そんな目でいたら」


 リヴァが止まった。


「うちは、ようけ見てきた」女が言った。「うちの人もそうやった。あんたみたいな目しとった。先に何にも見てへん目や」


「……」


「そういう目の人間は、ある日ふっとおらんようになる」女が言った。「自分でも、気づかんうちにな」


 リヴァは何も言えなかった。


 カイの視線がリヴァの横顔に留まった。動かなかった。


 リヴァは窓の外を見た。


 女はそれ以上言わなかった。


 また外を見た。


 新大阪を過ぎて、長いトンネルに入った。




 新神戸に着いた。


 ホームに降りた。神戸の空気は、東京と少し違った。


 セーフハウスは駅から車で十分ほどだった。古びたマンションだった。エレベーターが軋んだ。


 部屋の前で、引き渡しが完了した。中で、別の人間が待っていた。女を迎えた。


 任務は終わった。


 何も起きなかった。一発の銃弾もなかった。



 女が部屋に入って、振り返った。


 リヴァを見た。


 それから煙草を咥え、火をつけた。


「世話になったな、お嬢ちゃん」


「うん」


「礼に一個教えたるわ」女が言った。煙の向こうで目を細めていた。「貸し作ったままいうのも、寝覚め悪いしな」


 リヴァが女を見た。


「ローマの連中が」女が言った。「近ごろおかしなもんに金出しとる」


「………?」


「日本の観測データ」女が言った。「うちの人が死ぬ前に言うとった。あっちのやつらが妙な取引しとるて」


 リヴァが止まった。


「それ、何」


「さあな」女が言った。「うちも、そこまでは知らん」


 女が煙草をもう一口吸った。


「でもな」女がリヴァを見た。「あんたら気をつけな」

 

「…」


「うちの人、それ調べ始めてから死んだ」


 ドアが閉まった。


 薄い煙草の匂いだけが残った。




 帰りの新幹線だった。


 三人で座っていた。


 フィンは目を閉じていたが、指先だけが一定のリズムで動いていた。


 カイは窓の外を見ていた。


 リヴァは女の言葉を考えていた。考えても、答えは出なかった。


 窓の外に、夜が流れていた。東京が近づいていた。


 近づくにつれて、空気が重くなる気がした。


 リヴァが言った。


「……今までで、いちばんつかれた」


 その声を聞いて、フィンがリヴァを向いた。笑っていた。


「だろうね」フィンは言った。「面倒な相手だったでしょ」


「寝ろ」カイが言った。


 リヴァは、窓に頭を預けた。


「銃撃戦(いつも)の方が楽だ」フィンがつぶやいた。


 新幹線が東京に入っていった。

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