特殊部隊がテニスをする
ノックが二回した。
「リヴァ」
フィンの声だった。
リヴァは髪を高い位置で一つに結んでいた。サンダルからスニーカーに履き替えていた。
「開いてるよ」
扉が開いた。フィンが顔だけ覗かせた。ラケットを二本、肩に担いでいた。
「みんなコート行くって。やろう」
フィンが一本を差し出した。
「ありがと」
リヴァが受け取った。グリップを握ってみた。軽かった。
「フィン、テニスできるの」
フィンが笑った。自信がありそうだった。
コートは島の北側にあった。椰子の木に囲まれて、ネットの向こうにラグーンが見えた。風はほとんどなかった。
すでに何人か来ていた。
ユキナガがコートの隅に座って、ラケットのガットを指で弾いていた。
アルノがベンチで水を飲んでいた。スーツではなかった。白いポロシャツに、細身のスラックスを膝までまくっていた。
イーサンがベンチの端に腰掛けていた。横にヴィクトルがいた。
「来た」レッドが振り返った。「リヴァ、組むか」
「俺と組むよ」フィンが言った。
「お前は上手すぎる」ヴィクトルが言った。「リヴァが楽しめない」
「そういうもんかな」
「アルノと組め」ヴィクトルがアルノを指した。
アルノが水のボトルを置いた。立ち上がった。
「失礼ですね」
アルノはそう言いながら、ラケットを取った。
リヴァとアルノが片側に立った。レッドとユキナガが反対側に入った。
ユキナガが立ち上がって、ラケットを構えた。フォームが、他の誰とも違った。低い構えが妙に安定していた。
「ユキナガ、それ」フィンがベンチから言った。言いかけてやめた。
レッドがサーブを上げた。
ゆるい球だった。リヴァの正面に、ふわりと落ちてきた。
リヴァが打ち返した。レッドがまた、ゆるく返した。リヴァの少し前に。リヴァが走って拾った。レッドがまた、ゆるく、リヴァの逆を突いて落とした。リヴァがまた走った。
三球目で、リヴァが気づいた。
「…レッド」
「テキサスでは女性に対して全力で打たない」
「テキサス関係ない」リヴァが言った。「私キレていい?」
「ちょっと待ってくれ」
フィンがベンチから言った。「リヴァ、許可いる?」
「いる」
「いいよキレて」
「キレた」
リヴァはネット際でラケットを構え直した。
「アルノが動かないからだろ」
ベンチでイーサンが小さく笑った。
リヴァが膨れた。レッドがまた、ゆるい球を上げた。リヴァがまた走った。
アルノは、ほとんど動いていなかった。コートの後ろの方に立って、時々、近くに来た球だけを正確に返していた。それ以外は、見ていた。
「リヴァ」アルノが言った。
「なに」
「次、ユキナガの左手側に落としてください。彼はバックハンドが甘い」
「う」ユキナガが言った。
「…ソフトテニス経験者です」
リヴァが言われた通りに落とした。ユキナガが回り込もうとして、間に合わなかった。
「ほら」アルノが言った。
「…硬式のバックハンドわかんねえ」ユキナガが言った。
「ほんとに軟式やってたんだ」リヴァが言った。
「中学んとき部活だった。…これでも副キャプテン」
そういいながらユキナガが回転のかかったボールを打った。
落ちたとき変な跳ね方がして、リヴァが空振りした。
「レッドは前に詰めすぎです。頭上が空きます」アルノが続けた。「リヴァ、次は上に」
リヴァがロブを上げた。レッドの頭を越えた。
レッドが振り返って追ったが、届かなかった。
「……お前」レッドがアルノを見た。「自分は一歩も動かないで」
「指示しています」
「…チェスでもしてんのか」
アルノが眼鏡のブリッジを押し上げた。
「私もしばらく大学で、テニスサークルにいました」
間があった。
「サークル」レッドが言った。
「ええ」
ベンチでイーサンが、また小さく笑った。フィンが声を出して笑った。
リヴァがアルノを見上げた。
「アルノ、経験者なら打って」
「必要なら打ちますよ」
「左利きって有利なんでしょ」
「今はあなたが走っているので」
リヴァがアルノを睨んだ。アルノは涼しい顔でラケットを持ち直した。
レッドがまた、リヴァにゆるい球を上げた。
「もう!」
リヴァが走った。
レッドの球は、どれも届きそうで届かなかった。速くはない。強くもない。ただ、リヴァの一歩先に、丁寧に置かれていた。
「レッド」リヴァが息を切らした。「いい加減にして」
「テキサスから二十四時間かけて来たんだ」レッドがラケットを肩に担いだ。「走るお前を見て気分良くなりたい」
「最低」
「ポニーテールが揺れてていい」
リヴァがレッドに打ち返した。少し本気だった。レッドが下がって拾った。
ベンチのイーサンが水を一口飲んだ。
「レッド」イーサンが言った。
イーサンの視線を感じたレッドが言った。
「怒ってないよな、リヴァ」
「めちゃくちゃ怒ってる」リヴァが即答した。
レッドが笑った。
しばらくして、コートの脇にカイが来た。
グリップの握り方が、どこか不慣れだった。
「カイもやる?」リヴァが言った。
「うん」カイが言った。
リヴァが乱れた呼吸でコートから出ようとする。
その前にアルノが一歩下がって、コートを空けた。カイがリヴァの隣に入った。
コートの外からタオルが飛んできた。フィンが投げた。
汗を拭いて、投げ返した。
レッドがサーブを上げた。
カイが打った。
砲撃のような音がした。全員が反射で顔を上げた。
球が、ネットを越えて、コートを越えて、椰子の木の方まで飛んでいった。
誰も目で追えなかった。
遠くで、葉が揺れる音がした。
沈黙があった。
「……カイ?」リヴァが言った。
「悪い」
「球どこやったの」
「海の方」ユキナガが言った。
ヴィクトルが肩を震わせて笑っていた。
次の球も、カイは同じように飛ばした。三球目で、レッドがわざと弱く上げた。カイがそれを、やっと普通に返した。
「加減ができないのか」レッドが言った。
「テニスはやったことがない」
「見りゃわかる」
ラリーが続いた。リヴァがネット際の球を拾いに前へ出ようとした。
その瞬間、カイが動いた。
リヴァの前に体を入れて、球をカットした。リヴァが行こうとしたコースだった。
「カイ」リヴァが止まった。「私の球」
「危ない」
「危なくない。テニスだよ」
「跳ねたら当たる」
「当たらないってば」
「さっきユキナガのボールが当たりそうだった」
「それは変な回転がかかってたから」
レッドが両手を広げた。
「お前、保護者かよ」
「護衛だ」カイが言った。
「ボレーするだけで出てくる護衛、聞いたことないけどね」フィンが言った。
リヴァがカイを見上げた。
「カイ、下がってて」
「……」
「テニスで死なないよ」
カイが、しぶしぶ半歩下がった。半歩だけだった。
ヴィクトルがコートに入ってきた。レッドと交代した。
ヴィクトルのフォームは、綺麗だった。無駄がなく、力みもなかった。球は速くないが、いつもリヴァの取りやすい場所に来た。レッドの甘やかしとは違った。ただ、上品だった。
「ヴィクトル、上手」リヴァが言った。
「嗜みだ」ヴィクトルが言った。「いろんな場所に潜るからな」
「潜る?」
「上流の集まりには、テニスがついてくる」
フィンもいつの間にかユキナガと交代してコートに入っていた。打ち方が、ヴィクトルとはまた違って綺麗だった。育ちの違う綺麗さだった。リヴァのいるコートを、楽しそうに回していた。
全員が、同じ場所で、同じ球を追っていた。
リヴァが、一度、ラリーの合間に、コート全体を見た。
カイが半歩後ろにいた。ヴィクトルが構えていた。フィンが笑っていた。
いい天気だった。
休憩になった。
全員がベンチの周りに散らばって、水を飲んでいた。ユキナガがコートに寝転んで「あつい」と言った。フィンがタオルで顔を拭いていた。
リヴァがペットボトルを開けて、一口飲んだ。
ふと、誰かの気配がした。
振り返った。
カラムがいた。
いつの間に来たのか、リヴァのすぐ後ろに立っていた。黒い服のままだった。手に、ラケットを一本持っていた。
「カラム」リヴァが言った。
全員が振り返った。
「カラム、やるの?」ユキナガが起き上がった。
「……少し」
リヴァが立ちあがり、カラムのコートに入った。
フィンとユキナガが、その相手のコートに入る。
カラムのサーブをユキナガが受けるポジションだった。
「経験あるの?」フィンが言った。
カラムがコートに入った。
サーブ位置に立った。ボールは一球しか持っていなかった。
屈んだ。
左手でボールを二度、地面についた。
アンバーの瞳が、髪の間から一瞬ユキナガを見た。
両手を寄せた。
そのまま重心がゆっくり後ろに下がる。
「あ」ユキナガが気づいた。後ろに下がる時間はなかった。
カラムが左手でボールを上げた。
高く、真っ直ぐ上がった。
上げながら、ゆっくりとカラムの膝が下がっていった。
「……七年くらい」
カラムが飛んだ。
打った。
音が、違った。
193センチの身長で、さらにジャンプして、長い腕を上から振り下ろされた。
球が、コートに突き刺さって、跳ねた。
ユキナガの左手側、線のギリギリに落ちた。
ネットの外まで抜けていった。誰も動けなかった。リヴァも、フィンも、ユキナガも、ラケットを構える前だった。
一瞬、コートが静まった。
「え」
リヴァが、球の落ちた方を見ようと、半歩前に出た。
「リヴァ」
ベンチからイーサンの声がした。
「射線に入るな」
リヴァが止まった。
静けさの中で、レッドだけが笑い始めた。
「なるほどな」ヴィクトルが言った。
コートの三人は、まだカラムを見ていた。
「……今の、なに」ユキナガが言った。
「…」カラムは何も言わなかった。
「俺、死ぬとこだった…?」
「…テニスで死なないよ」カラムが言った。
カラムが移動して、フィンにサーブを打とうとした。
リヴァはネット前のずれたところでしゃがんだ。
「うわ俺、いけるかな」
フィンが距離を取り、なんとかラケットに当てられた。
緩いボールがコートの隅に、たまたま入った。
「……」
カラムは走らなかった。
そのままコートの端のベンチに歩いていった。火のついていないRothmansを、指に挟んだ。
リヴァが、まだその場に立っていた。
「カラム、おわり?」
「……走るの、面倒」
カラムは、それ以上何も言わなかった。
ヴィクトルが煙を吐いて、笑っていた。海が、午後の光を返していた。




