表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
115/117

特殊部隊がテニスをする


 ノックが二回した。


「リヴァ」


 フィンの声だった。


 リヴァは髪を高い位置で一つに結んでいた。サンダルからスニーカーに履き替えていた。


「開いてるよ」


 扉が開いた。フィンが顔だけ覗かせた。ラケットを二本、肩に担いでいた。


「みんなコート行くって。やろう」


 フィンが一本を差し出した。


「ありがと」


 リヴァが受け取った。グリップを握ってみた。軽かった。


「フィン、テニスできるの」


 フィンが笑った。自信がありそうだった。



 コートは島の北側にあった。椰子の木に囲まれて、ネットの向こうにラグーンが見えた。風はほとんどなかった。


 すでに何人か来ていた。


 ユキナガがコートの隅に座って、ラケットのガットを指で弾いていた。


 アルノがベンチで水を飲んでいた。スーツではなかった。白いポロシャツに、細身のスラックスを膝までまくっていた。


 イーサンがベンチの端に腰掛けていた。横にヴィクトルがいた。


「来た」レッドが振り返った。「リヴァ、組むか」


「俺と組むよ」フィンが言った。


「お前は上手すぎる」ヴィクトルが言った。「リヴァが楽しめない」


「そういうもんかな」


「アルノと組め」ヴィクトルがアルノを指した。


 アルノが水のボトルを置いた。立ち上がった。


「失礼ですね」


 アルノはそう言いながら、ラケットを取った。



 リヴァとアルノが片側に立った。レッドとユキナガが反対側に入った。


 ユキナガが立ち上がって、ラケットを構えた。フォームが、他の誰とも違った。低い構えが妙に安定していた。


「ユキナガ、それ」フィンがベンチから言った。言いかけてやめた。


 レッドがサーブを上げた。


 ゆるい球だった。リヴァの正面に、ふわりと落ちてきた。


 リヴァが打ち返した。レッドがまた、ゆるく返した。リヴァの少し前に。リヴァが走って拾った。レッドがまた、ゆるく、リヴァの逆を突いて落とした。リヴァがまた走った。


 三球目で、リヴァが気づいた。


「…レッド」


「テキサスでは女性に対して全力で打たない」


「テキサス関係ない」リヴァが言った。「私キレていい?」


「ちょっと待ってくれ」


 フィンがベンチから言った。「リヴァ、許可いる?」


「いる」


「いいよキレて」


「キレた」


 リヴァはネット際でラケットを構え直した。


「アルノが動かないからだろ」


 ベンチでイーサンが小さく笑った。


 リヴァが膨れた。レッドがまた、ゆるい球を上げた。リヴァがまた走った。


 アルノは、ほとんど動いていなかった。コートの後ろの方に立って、時々、近くに来た球だけを正確に返していた。それ以外は、見ていた。


「リヴァ」アルノが言った。


「なに」


「次、ユキナガの左手側に落としてください。彼はバックハンドが甘い」


「う」ユキナガが言った。


「…ソフトテニス経験者です」


 リヴァが言われた通りに落とした。ユキナガが回り込もうとして、間に合わなかった。


「ほら」アルノが言った。


「…硬式のバックハンドわかんねえ」ユキナガが言った。


「ほんとに軟式やってたんだ」リヴァが言った。


「中学んとき部活だった。…これでも副キャプテン」


 そういいながらユキナガが回転のかかったボールを打った。


 落ちたとき変な跳ね方がして、リヴァが空振りした。


「レッドは前に詰めすぎです。頭上が空きます」アルノが続けた。「リヴァ、次は上に」


 リヴァがロブを上げた。レッドの頭を越えた。


 レッドが振り返って追ったが、届かなかった。


「……お前」レッドがアルノを見た。「自分は一歩も動かないで」


「指示しています」


「…チェスでもしてんのか」


 アルノが眼鏡のブリッジを押し上げた。


「私もしばらく大学で、テニスサークルにいました」


 間があった。


「サークル」レッドが言った。


「ええ」


 ベンチでイーサンが、また小さく笑った。フィンが声を出して笑った。


 リヴァがアルノを見上げた。


「アルノ、経験者なら打って」


「必要なら打ちますよ」


「左利きって有利なんでしょ」


「今はあなたが走っているので」


 リヴァがアルノを睨んだ。アルノは涼しい顔でラケットを持ち直した。


 レッドがまた、リヴァにゆるい球を上げた。


「もう!」


 リヴァが走った。


 レッドの球は、どれも届きそうで届かなかった。速くはない。強くもない。ただ、リヴァの一歩先に、丁寧に置かれていた。


「レッド」リヴァが息を切らした。「いい加減にして」


「テキサスから二十四時間かけて来たんだ」レッドがラケットを肩に担いだ。「走るお前を見て気分良くなりたい」


「最低」


「ポニーテールが揺れてていい」


 リヴァがレッドに打ち返した。少し本気だった。レッドが下がって拾った。


 ベンチのイーサンが水を一口飲んだ。


「レッド」イーサンが言った。


 イーサンの視線を感じたレッドが言った。


「怒ってないよな、リヴァ」


「めちゃくちゃ怒ってる」リヴァが即答した。


 レッドが笑った。




 しばらくして、コートの脇にカイが来た。


 グリップの握り方が、どこか不慣れだった。


「カイもやる?」リヴァが言った。


「うん」カイが言った。


 リヴァが乱れた呼吸でコートから出ようとする。


 その前にアルノが一歩下がって、コートを空けた。カイがリヴァの隣に入った。


 コートの外からタオルが飛んできた。フィンが投げた。


 汗を拭いて、投げ返した。



 レッドがサーブを上げた。


 カイが打った。


 砲撃のような音がした。全員が反射で顔を上げた。


 球が、ネットを越えて、コートを越えて、椰子の木の方まで飛んでいった。


 誰も目で追えなかった。


 遠くで、葉が揺れる音がした。


 沈黙があった。


「……カイ?」リヴァが言った。


「悪い」


「球どこやったの」


「海の方」ユキナガが言った。


 ヴィクトルが肩を震わせて笑っていた。


 次の球も、カイは同じように飛ばした。三球目で、レッドがわざと弱く上げた。カイがそれを、やっと普通に返した。


「加減ができないのか」レッドが言った。


「テニスはやったことがない」


「見りゃわかる」


 ラリーが続いた。リヴァがネット際の球を拾いに前へ出ようとした。


 その瞬間、カイが動いた。


 リヴァの前に体を入れて、球をカットした。リヴァが行こうとしたコースだった。


「カイ」リヴァが止まった。「私の球」


「危ない」


「危なくない。テニスだよ」


「跳ねたら当たる」


「当たらないってば」


「さっきユキナガのボールが当たりそうだった」


「それは変な回転がかかってたから」


 レッドが両手を広げた。


「お前、保護者かよ」


「護衛だ」カイが言った。


「ボレーするだけで出てくる護衛、聞いたことないけどね」フィンが言った。


 リヴァがカイを見上げた。


「カイ、下がってて」


「……」


「テニスで死なないよ」


 カイが、しぶしぶ半歩下がった。半歩だけだった。


 ヴィクトルがコートに入ってきた。レッドと交代した。


 ヴィクトルのフォームは、綺麗だった。無駄がなく、力みもなかった。球は速くないが、いつもリヴァの取りやすい場所に来た。レッドの甘やかしとは違った。ただ、上品だった。


「ヴィクトル、上手」リヴァが言った。


「嗜みだ」ヴィクトルが言った。「いろんな場所に潜るからな」


「潜る?」


「上流の集まりには、テニスがついてくる」


 フィンもいつの間にかユキナガと交代してコートに入っていた。打ち方が、ヴィクトルとはまた違って綺麗だった。育ちの違う綺麗さだった。リヴァのいるコートを、楽しそうに回していた。


 全員が、同じ場所で、同じ球を追っていた。


 リヴァが、一度、ラリーの合間に、コート全体を見た。


 カイが半歩後ろにいた。ヴィクトルが構えていた。フィンが笑っていた。


 いい天気だった。



 休憩になった。


 全員がベンチの周りに散らばって、水を飲んでいた。ユキナガがコートに寝転んで「あつい」と言った。フィンがタオルで顔を拭いていた。


 リヴァがペットボトルを開けて、一口飲んだ。


 ふと、誰かの気配がした。


 振り返った。


 カラムがいた。


 いつの間に来たのか、リヴァのすぐ後ろに立っていた。黒い服のままだった。手に、ラケットを一本持っていた。


「カラム」リヴァが言った。


 全員が振り返った。


「カラム、やるの?」ユキナガが起き上がった。


「……少し」


 リヴァが立ちあがり、カラムのコートに入った。


 フィンとユキナガが、その相手のコートに入る。


 カラムのサーブをユキナガが受けるポジションだった。


「経験あるの?」フィンが言った。


 カラムがコートに入った。


 サーブ位置に立った。ボールは一球しか持っていなかった。


 屈んだ。


 左手でボールを二度、地面についた。


 アンバーの瞳が、髪の間から一瞬ユキナガを見た。


 両手を寄せた。


 そのまま重心がゆっくり後ろに下がる。


「あ」ユキナガが気づいた。後ろに下がる時間はなかった。


 カラムが左手でボールを上げた。


 高く、真っ直ぐ上がった。


 上げながら、ゆっくりとカラムの膝が下がっていった。


「……七年くらい」


 カラムが飛んだ。


 打った。


 音が、違った。


 193センチの身長で、さらにジャンプして、長い腕を上から振り下ろされた。


 球が、コートに突き刺さって、跳ねた。


 ユキナガの左手側、線のギリギリに落ちた。


 ネットの外まで抜けていった。誰も動けなかった。リヴァも、フィンも、ユキナガも、ラケットを構える前だった。


 一瞬、コートが静まった。


「え」


 リヴァが、球の落ちた方を見ようと、半歩前に出た。


「リヴァ」


 ベンチからイーサンの声がした。


「射線に入るな」


 リヴァが止まった。


 静けさの中で、レッドだけが笑い始めた。


「なるほどな」ヴィクトルが言った。


 コートの三人は、まだカラムを見ていた。


「……今の、なに」ユキナガが言った。


「…」カラムは何も言わなかった。


「俺、死ぬとこだった…?」


「…テニスで死なないよ」カラムが言った。


 カラムが移動して、フィンにサーブを打とうとした。


 リヴァはネット前のずれたところでしゃがんだ。


「うわ俺、いけるかな」


 フィンが距離を取り、なんとかラケットに当てられた。


 緩いボールがコートの隅に、たまたま入った。


「……」


 カラムは走らなかった。


 そのままコートの端のベンチに歩いていった。火のついていないRothmansを、指に挟んだ。


 リヴァが、まだその場に立っていた。


「カラム、おわり?」


「……走るの、面倒」


 カラムは、それ以上何も言わなかった。


 ヴィクトルが煙を吐いて、笑っていた。海が、午後の光を返していた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ