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失敗談



 夜は早かった。


 午後六時を回ると、空が一気にオレンジから紫に変わった。風が出ていた。椰子の葉が、さっきより大きく揺れていた。


 ロッジの中に、長いテーブルが用意されていた。低いキャンドル。


 フランジパニとハイビスカスが散らしてあった。ガラス壁の向こうで、ラグーンが暗くなり始めていた。


「浜辺じゃないの」リヴァが言った。


「風が出た」ヴィクトルが言った。「砂が飛ぶ。今日はここだ。浜は明日にする」


 リヴァが席についた。白のワンピースに、グレーのアロハシャツを結んでいた。


 カイがリヴァの真横に座った。黒のリネンシャツ、ベージュのリネンパンツ。素足だった。


 ヴィクトルが両手にワインボトルを持って現れた。リヴァのグラスに白ワインを注いだ。カイにジンロックを勝手に作って勝手に置いた。


 カイが眉を上げた。


「カイ、お前はこれだろう」


 カイが一口飲んだ。何も言わなかった。


 大皿のロブスター。フィレ肉。ナイフを入れると肉汁が滴った。


 カラムが大皿のサラダを見て、視線を止めた。


「…セロリ」


「あるね」リヴァが言った。


「…玉ねぎ、生」


「あの、ヴィクトル」リヴァが立ち上がった。「セロリと玉ねぎ抜きのサラダ、作ってもらえたりするのかな」


 ヴィクトルがため息をついてキッチンに向かった。


「座ってろ」


 カラムが「…ありがと」とだけリヴァに小さく言った。


 ユキナガがバーカウンターの内側に入った。ボトル棚を見て、少し止まった。クレーム・ド・ヴィオレットを取った。シェイカーに氷を入れて、短く、強く振った。クープグラスに注いだ。淡いラベンダー色だった。


「アヴィエーション」リヴァの前に置いた。


「紫色だ」リヴァが言った。


「似合うかなって」ユキナガが言った。


「きれい」


 リヴァが一口飲んだ。


「おいしい」


「でしょ」




 ロブスターを食べた。フィレを食べた。


 ヴィクトルは、さっきからアルノのグラスだけを切らさなかった。空く前に注ぐ。アルノは気づかずに飲んでいた。他の全員には、自分のペースで飲ませた。


 二杯目の途中で、アルノの姿勢が、わずかに緩んだ。眼鏡の位置を直す回数が減っていた。返事が、半拍遅れるようになった。


 ヴィクトルがグラスを置いた。全員を、ゆっくり見回した。


「今日は仕事の話は禁止だ」


「急ですね」アルノが言った。


「禁止だ。俺はスポンサーだからな」ヴィクトルがリヴァを見た。「今日は俺がルールだ」


「何そのルール」ユキナガが言った。


「新人時代の、一番ダサい話をしろ」ヴィクトルが言った。「ユキナガからだ」


「俺?」ユキナガが自分のグラスを一口飲んだ。


 少し間があった。


「たとえばどんな」


「変わった客は。バーテン時代の」ヴィクトルが言った。


「あー、、めっちゃある。お前らが嫌いそうなやつ」


「1番年下の癖に生意気なこと言うな」レッドが笑った。


 ユキナガはちら、とリヴァをみて、それから話し出した。


「十七のとき。バーで、閉店後に寝てる客がいたんだよ」


「十七…」リヴァは何か言いかけたが、やめた。


「めっちゃ肩揺らして、起こそうとしても起きなくて」


 全員が黙って聞いていた。


「で。財布が落ちそうで、拾おうとしたら、手帳が出てきた」


「…警察手帳か」カイが言った。


「……マル暴だった」ユキナガが言った。


「組対の前で財布触ったのか」ヴィクトルが言った。


「オーナーにすごい怒られた」


 アルノがため息をついた。


「面倒なことにならなくてよかったですね」


「知らなかったんだって」




「フィン、お前もあるだろ」ユキナガが言った。


 フィンがワインを一口飲んだ。


「あるある。もうやらかしまくり」


 リヴァが困ったように笑った。


「初突入任務でさ」フィンが言った。「右の壁を破れって命令されたんだ」


「うん」


「爆破したら」フィンが言った。「左が木っ端みじん」


 レッドが吹いた。


 フィンはリヴァをもう一度見た。リヴァが笑っていたのを確認して、続けた。


「静かに訂正されたんだけど、もう遅かったよね。吹っ飛んでたから」


 ユキナガが両手で顔を覆った。肩が揺れていた。


「でも、運がよくてさ。人質がたまたま左の部屋の奥にいたんだ」フィンが言った。胸のポケットからCamelを取り出して火をつけた。「結果的に全員無事。表彰された」


「お前それ下手したら」レッドが笑った。それ以上言わなかった。


「これからお箸持つ方って言うわ」ユキナガが言った。


「俺両利きだから、余計わかんなくなるかも」フィンが笑った。


 リヴァが笑った。レッドが笑っていた。



「レッドは?聞きたい」リヴァが言った。


「俺はただの歩兵だぞ」


「あるだろ」イーサンが言った。


 レッドは少し考えて、言った。


「そうだな…初任務で、隊長を置いていった話ならある」


「え」


「山岳行軍だった」レッドが言った。「隊長が先頭。俺が二番目」


「うん」


「の、はずだったんだけどよ」レッドが頭をかいた。「気づいたら誰もいなかった」


「追い抜いたのかよ」


「そうらしい」


「体力馬鹿?」ユキナガが言った。


「みんな遅かっただけだ」レッドはハイネケンを飲んだ。




「カイは」ヴィクトルが言った。


 カイがジンロックを飲んでいた。視線を集められて、グラスを置いた。


 カイは少し考えた。テーブルに手のひらを置いた。


「……副大統領を無視した」


全員が止まった。


「何で?」ユキナガが言った。


「新人だった」


「説明になってない」


「予定表に無かった。近づいてきた。だから無視した」カイが言った。「SPとしてだ」


ユキナガが笑い始める。


「で?」


「三日後に、副大統領だと知った」


沈黙。


「謝った?」リヴァが聞いた。


「いや」


「いや?」


「向こうが謝ってきた」


 レッドが吹いた。


「何でだよ」フィンが言う。


「警戒心が強くていいと褒められた」カイが続けた。「でも犬には嫌われた」


「は?犬?」ユキナガが言った。


「後日その副大統領の護衛で自宅に行った」カイが言った。「その家の飼い犬が、朝から晩まで、ずっと吠えていた」


「ずっと?」リヴァが言った。


「俺にだけ吠えた。三ヶ月、毎日だ」


「嫌われてるじゃん」ユキナガが言った。


「それで、対象に繰り返し言っていた。窓際に座るなと」カイが続けた。「お前は私の親か、と怒られた」


「今と同じ」フィンがリヴァを見て笑った。


「で、どうなったの」リヴァが言った。


 カイが少し間を置いた。ジンロックを一口飲んだ。


「三ヶ月後、襲撃が起きた」カイが言った。「犬が最初に気づいた。俺は対象を窓から離した。直後に、窓ガラスが割れた」


 少し間があった。


「犬に好かれない」カイが言った。


「……動物は正直だからな」ヴィクトルが言った。


 カイがヴィクトルを睨んだ。


「関係ない」


「あるだろう」ヴィクトルがグラスを回した。


「偶然だ」


 リヴァが笑っていた。




「アルノ」ヴィクトルが言った。


「却下です」


「ほら逃げる」レッドが言った。


 ヴィクトルが、テーブルの上のアルノのJPSの箱から一本抜いた。アルノの口元に運んだ。アルノが無意識にくわえた。


 アルノがライターで火をつけようとして、失敗した。


 ヴィクトルが斜め後ろから、ライターで火をつけてやった。


 アルノが一口吸った。煙を吐いた。


 少し、力が抜けた。


 肩が、落ちた。観念したようだった。


「……外務省の、一年目」アルノが言った。煙草を指に挟んでいた。


 普段より早口だった。


 ユキナガが真剣な顔で聞いていた。


「中東の案件でした。相手側の代表が、こちらを試す男でした。毎日同じ椅子に座らされた。人質の解放交渉だったので、一日延びるごとに、向こうで人は死んでいました」


「ある日、向こうが書類にコーヒーをわざと零しました。私が三日寝ずに作った合意案でした」アルノが言った。


 アルノが止まった。


 煙草の火を見た。


「怒鳴ってしまいました」


 間があった。


「え」フィンが声を出した。


「……アルノが?」ユキナガが言った。


「終わったと思いましたよ」アルノが言った。「翌朝、相手側から指名が来ました。昨日の若いのを、また連れてこい、と。その日、人質が解放されました」


「怒鳴ったら解決したのかよ」レッドが笑った。


 アルノが煙草を一口吸った。


「怖え」ユキナガが椅子を揺らした。




「オラヴルのは、もっと酷いぞ」ヴィクトルが言った。「あいつのアルカ初任務」


「オラヴルが?」リヴァが顔を上げた。


「いない人間ですが」


「いいだろ別に」ヴィクトルが言った。


 アルノがため息をついた。


 ワインを一口飲んだ。


「……あの人、拳銃を忘れたんですよ」


 一拍あった。


 イーサンがため息をついて、椅子に深く腰掛けた。


「医療支援で同行して、現場で銃撃が始まってから気づいたんです」アルノが言った。


「は?」フィンが言った。


「丸腰で、弾の飛ぶなか、止血してたんだ」ヴィクトルが言った。


「困ったな、と一言だけ言ってました」アルノが言った。


「めちゃくちゃオラヴルっぽい」ユキナガが笑った。


 ヴィクトルが煙を吐いた。


 レッドがヴィクトルとアルノを向いて話し出した。


「お前ら三人は、東京支部が大所帯の頃からの同期だろ」


「ええ。私達の他に、実働部隊が二十人ほど」


「後方支援だけ残ったのか」イーサンの言葉には含みがあった。


「今は散り散りです」


 ヴィクトルが肩をすくめた。




「イーサンは」ヴィクトルが言った。


 イーサンはウイスキーを一口飲んだ。


「新人の頃、捜索隊が出た」


「敵?グリーンベレーでしょ?」フィンが聞いた。


「味方だ」


 沈黙が落ちた。


「何で」ユキナガが言った。


「潜伏訓練だった」


 イーサンが言った。


「山の中で、指定地点を監視する訓練だ」


「うん」


「二日目の夜に終了命令が出た」


「うん」


「聞き逃した」


「…何で?」リヴァが言った。


「雨だった」


 イーサンが答えた。


「無線の音量を下げていた」


「それで?」フィンが言った。


「そのまま監視を続けた」


 イーサンがAmerican Spiritに火をつけた。


「二日」


 ユキナガが吹いた。


「二日!?」


「気付かなかったの?」


「標的が動かなかった」イーサンが言う。


「標的って」


「訓練用のアンテナだ」


 レッドが顔を覆った。


「お前、アンテナが動くわけないだろ」


「訓練だった」


 イーサンが言った。


「訓練は終わってんだよ」レッドが言った。


「そうらしい」


「そうらしいじゃねえ」


 ユキナガが笑った。


「で、どうなったの」リヴァが聞いた。


「三日目の朝、周囲が騒がしくなった」イーサンが言った。「ヘリが来た」


「ヘリ!?」ユキナガが言った。


「捜索隊だった」


 レッドが声を出して笑った。


「お前一人探すのにか?」


「俺も驚いた」


「驚くな」


 イーサンがグラスを置いた。


「だが、最後まで見つからなかった」


 一拍。


「は?」


 ユキナガが言った。


「隊長が五メートルまで来たが気付かなかった」


 間があった。


「隊長の無線を盗み聞きして、自分で集合場所に行った」


 レッドがテーブルに突っ伏した。


「最悪だ」


「その年から」イーサンが言った。「訓練終了時の確認手順が増えた」


「お前のせいじゃねえか」レッドが笑う。


「そんな身体デカくてなんで見つかんないんだよ」ユキナガが笑った。


「その頃は細かった」


「最近みるみるデカくなってて怖い」レッドが言う。


「教官になるのに鍛えた方が何かと楽だ」


「怖」フィンが言った。




「で。ヴィクトルは」ユキナガが言った。「スポンサーが一番持ってるでしょ」


「俺か」ヴィクトルがSobranieに火をつけた。「神戸でな。武器商人に偽装して、組織に食い込もうとしていた」


「うん」


「接触の前夜、職質を受けた。所轄の若い警官にな」ヴィクトルが煙を吐いた。「そいつの目が、俺の靴を見ていた。スーツは一流。靴だけ、間に合わせの安物だった」


「靴で?」フィンが言った。


「身分証の照会に入ろうとした。偽装は三分も保たない」ヴィクトルが言った。


「で、どうしたの」リヴァが聞いた。


「二階の窓から飛んだ」


 レッドが声を出して笑った。


「優雅な顔して、窓から飛んでんのか」


「靴は出る」イーサンが言った。


 ヴィクトルが「だな」と頷いた。



「リヴァは」ヴィクトルが言った。


 全員がリヴァを見た。


「ない」リヴァが言った。


「ある」


 カイとユキナガが、ほぼ同時に言った。


「保護した翌日に、銃を出して撃った」カイが言った。


「シミュレーター室、勝手に入った」ユキナガが言った。


「あー」リヴァが言った。少し考えた。


「あのオラヴルが泣きそうになってた」ユキナガが言った。


「…そういえば、最初、アルノのこと事務の人だと思ってた」


 アルノが、止まった。


「……何故です」


「眼鏡で、ずっとパソコン触ってたから」


「私は日本支部の部門長です」


「今は知ってる」


「最初から指揮です」


「ごめんって」


 ユキナガが笑った。フィンも笑った。


 アルノが眼鏡を押し上げた。煙草を一口吸った。何も言わなかった。



 最後に、全員の視線がカラムに向いた。


 カラムは、火をつけていないRothmansを指に挟んでいた。


「いた。こっちも身体でかいのに存在感なさすぎのやつ」フィンが言った。


「カラムは?」リヴァが言った。


「……初任務」


「覚えてる?」


 しばらく遠くを見た後、話し出した。


「……二日間、砂漠で監視した」カラムが言った。「暑かった」


「そこ?」


「……水も少なかった」


 リヴァが少し笑った。


「それで?」


「初弾、外した」


 カラムが言った。


「標的は、別の狙撃手が撃った」


 少し間があった。


「怒られた?」


 リヴァが聞いた。


「……うん」


 カラムは肩をすくめた。


「九歳だった」


「は」ユキナガが言った。


 リヴァは笑おうとして、止まった。


 沈黙が落ちた。


 誰も笑わなかった。


 少しして、リヴァが自分の皿のロブスターを半分、カラムの皿に置いた。


 ヴィクトルが、ウイスキーを注いで、カラムの前に置いた。


 レッドが、片手に持っていた飲みかけのハイネケンをカラムの前に置いた。


 カラムが煙を吐いた。海の方に流れた。


 風がガラス壁の外で、椰子の葉を揺らしていた。

参考レシピ:アヴィエーション

ジン 45ml

マラスキーノ・リキュール 15ml

クレーム・ド・ヴィオレット 7.5ml(小さじ1.5ほど)

レモンジュース(生搾り) 15ml

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