Bottle of Water
多言語回
新拠点、二十二時〇〇分
共用スペースに人が集まっていた。理由はなかった。することがないから、自然とそうなっていた。
アルノとカラムがシーシャを挟んで座っていた。ダブルアップルの煙が白く重かった。カイが窓際で煙草を吸っていた。フィンがソファで紅茶を両手で持っていた。ヴィクトルがバーカウンターに背をもたれて、Sobranieを指に挟んでいた。
カラムがシーシャのホースをアルノに渡した。
「Smooth tonight.(今夜は当たり)」短い英語だった。ブリティッシュの、削ぎ落とした言い方。
「شكراً.(どうも)」アルノがアラビア語で返した。
カラムがホースを持ったまま、アルノを見た。
「なんでアラビア語」カラムは言った。「I'm speaking English.(俺は英語で話してる)」
「إذا ما استخدمتها بنساها.(使わないと忘れる)」アルノは煙を吐いた。「وانت الوحيد هون.(ここで話せるのはあなただけです)」
「So I'm the practice dummy.(俺は練習台か)」
「مضبوط.(ええ)」
「Fair enough.」カラムは抑揚なく言った。一口吸って、アラビア語に切り替えた。「ماشي.(まあいい)」
ヴィクトルが煙を天井に向けて吐いた。
「So. The Russian.(で、ロシア語は)」英語だった。「Sound human yet ?(少しは人間っぽくなったか)」
アルノがヴィクトルを見た。ロシア語で返した。
「Суди сам.(どうでしょうね)」
「Лучше.(マシになった)」ヴィクトルはロシア語で言った。「Всё ещё немного по-роботски, но лучше.(まだ少しロボットっぽいが、マシだ)」
「Принято.(わかりました)」
「Видишь, я хороший учитель.(な、俺はいい教師だろ)」
「Сомневаюсь.(どうだか)」
ヴィクトルが新しいSobranieに火をつけた。
「And the Chinese.(中国語は)」英語に戻していた。
「在学.(勉強中)」アルノが中国語で短く返した。それから、煙を吐いて、少し違う声になった。本音の声だった。「Ehrlich,(正直)」ドイツ語だった。「nichts war so schwer wie Japanisch.(日本語ほど難しいものはなかった)」
「Wirklich.(本当か)」ヴィクトルもドイツ語で返した。
「Wir sprechen es jeden Tag.(毎日喋ってる言語で)」アルノは言った。「Aber bis ich flüssig war⸺Jahre.(それでも流暢になるまで何年もかかった)」
ヴィクトルが煙を吐いた。
「Japanese kicked my ass.(俺も日本語は参った)」英語だった。眉をひそめた。「And I'm usually good at this shit.(言語の覚えは早い方なのにな)」
フィンが紅茶から顔を上げた。
「Even you two struggled?(二人とも苦労したの?)」上品な英語だった。「That's rather a relief.(それはちょっと救われるな)」
「Everyone gets wrecked by it.(みんな苦労します)」アルノは言った。「Except the ones born into it.(出身以外は)」
フィンがカイを見た。
「Which means you,(つまり君だ)」カイに言った。「and it's deeply unfair.(不公平すぎる)」
「Grew up with it.(育っただけだ)」カイが言った。無骨な、平らなアメリカン。
「Cheating.(ずるい)」
「Hell, that's not cheating.(どこで生まれるかはずるくないだろ)」
「Felt like it.(ずるく聞こえた)」フィンは紅茶を飲んだ。
カラムがシーシャの煙を吐いた。
「Took me years.(俺も何年もかかった)」カラムが言った。
「The polite forms nearly killed me,(敬語で死にかけた)」フィンが言った。「I still get them wrong.(いまだに間違える)」
「Ridiculous.(異常)」カラムが言った。「No one needs that many.(あんなに要らない)」
「You switch to English when you panic, though.(でもお前、焦ると英語に逃げるだろ)」ヴィクトルが言った。
「Constantly.(しょっちゅう)」フィンは認めた。笑っていた。
「Good.」
ヴィクトルが言った。
「Hm?(なんで)」
「Means you noticed.(自分で気づけてるってことだ)」
一拍置いた。アルノが言った。
「ユキナガ still complains about English.(ユキナガだってまだ英語に文句を言ってる)」
ヴィクトルがフィンを見た。からかうように、フランス語で言った。
「Et le français, tu tiens encore ?(で、フランス語はまだいけるのか)」
「Évidemment.(当然)」フィンがフランス語で返した。流れるようだった。「Tu me sous-estimes toujours.(いつも俺のこと見くびる)」
「Jamais.(まさか)」
アルノがカイを見た。
「Tu parles aussi, non ?(あなたも話せますよね)」続けた。「Le français.(フランス語)」
「Un peu.(少しな)」カイが言った。「Wasn't my choice.(やらされただけだ)」
「Tout le monde est forcé, apparemment.(みんなやらされてるな)」フィンが笑った。
カイがフィンを見た。
「Say it.(言ってみろ)」
「Say what.(何を)」
「Bottle of water.」カイが言った。こてこてのアメリカ発音だった。語尾がほとんど溶けていた。
フィンが顔をしかめた。
「No.(やだ)」
「Go on. (いいから)」煙草を持っている手を上げた。「C'mon. Say it.(言え)」
「Absolutely not.(絶対やだ)」フィンは紅茶を抱え直した。「I know exactly what you're doing.(何が狙いかわかってる)」
「C'mon,(言えって)」ヴィクトルが横から乗った。面白がっていた。
「Bottle of water,(言ってみろ)」アルノまで言った。珍しく口の端が上がっていた。
「You lot are insufferable.(お前ら最低だ)」フィンが言った。それから、観念したように、丁寧すぎる発音で言った。「…A bottle of water.」一音ずつ、綺麗に区切れていた。
カイがすぐに返した。
「Bo'l'a wa'er.」溶けきっていた。
「That's not even English !(それ英語ですらない!)」フィンが言った。
ヴィクトルが声を出して笑った。
カラムがシーシャのホースを口に運びながら、少しだけ笑った。声は出なかった。肩が一度動いただけだった。
でも、笑った。
フィンがそれに気づいた。
「Callum laughed.(カラム笑った)」
「I didn't.(笑ってない)」
「You did.(笑った)」
「…Fair enough.」
シーシャの煙が天井に向かって広がっていた。
フィンが紅茶のカップを両手で持ったまま、天井を見ていた。
「Funny,(おかしいよな)」誰にともなく言った。「we all come from completely different places. Different languages, all of it.(全員バラバラの場所から来て、言語も違う)」
ヴィクトルが煙を吐いた。
「Bad life choices.(人生の選択ミスだな)」
「Still here, though.(でもまだここにいる)」アルノが言った。
カラムがシーシャを一口吸った。
煙が、ゆっくり散っていった。
その時だった。
リヴァが廊下の奥から出てきた。
部屋着だった。Tシャツに短パンだった。
冷蔵庫を開けた。
「何してるの」
「言語の話です」アルノが言った。
リヴァは牛乳を出してコップに注いだ。
「アルノ」
「はい」
「英語の時と日本語の時で、全然性格違う」
間があった。
ヴィクトルが吹いた。
フィンが笑い始めた。
リヴァは牛乳を飲んだ。
「I told you.(だから言っただろ)」ヴィクトルが言った。
「ずっと思ってた」フィンも言った。
アルノは黙っていた。
「否定できないな」カイが言った。
アルノが眼鏡を押し上げた。
「…しません」
全員が笑った。




