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『リヴァ・アルカ ―世界を確定させるアンカーと最強たちの執着譚―』  作者: Ilir Noct
第二章「交点のノイズ ― Noisy Intersection」

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モルドバから来た偽造師



 偽造師、ヴィクトル・ミハイが拠点に現れたのは、昼過ぎのタイミングだった。


 アポイントはあった。アルノが3日前に「外部協力者が来る」とリヴァ以外には一言だけ伝えていた。詳細はない。アルノが詳細を省く時は、省く理由がある。


 カイはその一行を読んで、特に何も言わなかった。


 ただ、朝から機嫌が悪かった。





 彼女は組織について聞くことにしていた。


 正確には、聞くと決めたわけではない。気になったことを気になった時に聞く、それだけだ。アルノが答えたくない時は答えないし、ユキナガは大抵喋りすぎる。カイは3語以内で切り上げる。ローワンは答えながら別のことを観察している。


 午前中に、アルノの執務室に行った。






 アルノの部屋。カイの機嫌をよそに、リヴァには聞きたいことがあった。


 ドアをノックすると、一拍おいて「どうぞ」と返ってきた。


 アルノは端末に向かっていた。眼鏡のフレームが朝の光を弾いて、白く光った。


「何ですか」


 アルノが左のポケットに触れる。以前チョコをとられた場所だ。


「聞いていい」


「内容によります」


 アルノはポケットの辺りから手を戻した。彼女は椅子を引いて、勝手に座った。


「アルカって、お金持ち?」


「…急にどうしたんですか」


「備品が高級そうで、使うの申し訳ない気がしてきたから」


「庶民的ですね」


 ベッドやパジャマ、生活用品。ちょっとしたハンドソープに至るまで。すべてがホテルライク。


 暮らしやすいに決まっているが、無駄に高そうな消耗品の数々に、少しもったいなくも感じていた。


「だってなんでイソップのハンドソープが各部屋の水道に置いてあるの。シャワーヘッドはリファである必要がない」


「シャワーヘッドは部屋によりますよ」


 朝からリヴァが飛び込んできた質問が深刻なものでなく、軽く胸をなでおろすアルノ。


「アスプレイの食器は、個人的に気に入っています。備品にしてはいい」


「………気づかなかった」


アルノのコーヒーカップは確かに繊細な形をしていた。


「…複数の資金経路があります。表向きはコンサルタント法人として登記されています。実態は各国の政府系機関、民間軍事会社、および資源関連の企業群から非公式な拠出を受けています」


「税金から来てるってこと?」


 リヴァがアルノの左ポケットを指差した。


 アルノはため息をついて、その中に入っていたチョコを出す。リンツのキャラメルだった。


「間接的には、そうなります」


 キャラメル味の包装を見た瞬間、リヴァは首を振った。


「ふーん…」彼女は少し考えた。「じゃあ誰かに管理されてる?」


 どうやら、キャラメル味はいらないらしい。アルノは眉間に皺をよせてポケットに戻した。無言のやり取りだった。


「管理、という概念が成立しない構造になっています。出資者が意思決定に介入できない仕組みがあります」


「なにその仕組み」


 アルノは引き出しからリンツのミルク味を一粒とりだし、彼女に差し出した。


「今日来る人間が、その一部を担っています」






 ヴィクトル・ミハイが玄関に入ってきた時、拠点の空気が少しだけ変わった。


 変わった、という表現が正確かはわからない。ただ、廊下の端で気配を感じた彼女は顔を上げた。


 背が高かった。184センチというのは後から聞いたことで、その時感じたのは高さより、その余裕だ。場所を取っているのに、圧迫感がない。


 白寄りのグレーの短髪が、自然光の中で金属的な光を持っていた。コートはなかった。シャツの上にジャケット、それだけ。でも派手に見えた。モルドバ出身というのも後から知ったことだが、確かにどこの国でもある種の「場所」から来た人間の顔をしていた。もちろんモルドバがどこかまず調べたけど。


 彼女と目が合った。


 ヴィクトルは一秒間、止まった。


 それから笑った。作った笑顔ではない。何かを面白いと思った時の表情で、「面白いもの」が彼女だということは、その視線の方向でわかった。


「悪いな、待たせた」


「待ってない」と彼女は言った。


「そうか」ヴィクトルは歩いてきた。「じゃあ初めましてだ」


「うん」


「名前は」


「コードネームはリヴァ」


「本名は」


「ない」


 ヴィクトルは少しだけ眉を上げた。


「ない、ってどういうことだ」


「彼女には記憶がないので」とアルノが後ろから言った。いつの間にか廊下に出ていた。「不都合がありますか」


「ないな」ヴィクトルはアルノを見た。「久しぶり」


「3ヶ月ぶりですね」


「元気そうで何よりだ」


「あなたがそう感じるなら、そうなのでしょう」


 ヴィクトルは小さく笑った。彼女はその笑い方を観察した。この男は笑うのが自然だ、と思った。意図的に笑っているのに、自然に見える。それは技術ではなく、体に染み込んだものだ。


「ヴィクトル」と彼女は言った。


「ん?」


「だよね」


「ああ、そうだ。ヴィクトル・ミハイ」彼は手を差し出した。「よろしく、お嬢さん」


「お嬢さんじゃない」


「じゃあ何だ」


「…わかんない」


 ヴィクトルはその答えを聞いて、また笑った。今度は少し違う種類の笑いで、「気に入った」という感情が混じっていた。


 握手した彼女の手を、ヴィクトルは一瞬だけ見た。


 何も言わなかった。放した。






 会議室でブリーフィングが始まった。


 出席者はアルノ、ヴィクトル、カイ、ユキナガ、リヴァの五人。ローワンは処置室にいる。


 カイは会議室の隅に立っていた。座らない。壁に背を預けて、腕を組んで、部屋全体を視野に入れる位置にいる。


 ヴィクトルが入ってきた時、カイの視線が一瞬だけ鋭くなった。それだけだ。言葉はない。


 ヴィクトルはカイを見て、小さく顎を上げた。挨拶の代わりだろう。カイは何もしなかった。


 彼女はその交換を見ていた。


「仲悪いの」と小声でユキナガに聞いた。


「良くはないと思う」とユキナガは同じ音量で返した。「カイは基本誰とも仲良くないけど、ヴィクトルには特に警戒してる感じがある」


「なんで」


「あの人、どこでも懐に入ってくるから。カイはそういうの嫌い」


「ふーん」


「あと女癖わるそうじゃん?警戒してる」


「そうなのかな」


 思ったより普通に話す人だな、と思った。

”El Tango De Roxanne” / Moulin Rouge

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