モルドバから来た偽造師
横浜拠点 共用スペース 七時一分。
リヴァが共用スペースに降りてきた。
カイとユキナガが既にいた。
ユキナガはカウンターに肘をついて端末を見ていた。コーヒーのカップが隣にある。手つかずだった。目を擦っていた。
「おはよ」
ユキナガは言った。彼女に向けたのか端末に向けたのかわからない声だった。
「おはよう。早いね」
「むしろ寝てない」
「そう」
「もっと心配してよ」
ユキナガは端末をスクロールした。
「昨日もあんたの記録掘ってたんだから」
「まだやってるの、それ」
「戸籍なし、入国記録なし。顔も指紋も引っかからない。外に回したDNA照合もゼロ」
「ふうん」
「誰のせいで寝れてないと…」
カイがカウンターの彼女が座る方の椅子を引いた。
ユキナガがその一連を横目で見た。端末から目を離さないまま、薄く笑った。
「カイ、働くね」
「うるさい」
「いや、感心してるんだって。エスコートが自然ですねーって」
「お前には一生できないだろ」
「いや、俺が元ホストって忘れてない?」
「え」その言葉に、リヴァは目を丸くした。「ユキナガ、それほんと?」
「さあね」
ユキナガは端末から目を離さず、煙草に火をつけた。カプセルを押す前の一口目を深く吸った。
「わたしにも姫のコールってやつやって」
「狙撃のバケモンは姫じゃねーだろ」そう言いながら、煙草を一本取り出した。カプセルを一つつぶしてリヴァに差し出す。「はい」
「バケモンはひどい」
ユキナガが慣れた手つきでリヴァの火をつけた。煙草は、安っぽい林檎のガムみたいな味がした。
ドアが開いた。
オラヴルだった。
「お」ユキナガが反応した。「珍しい。珍獣」
「失礼じゃないかい?」
「昼まで寝てるかと思った」
「君と一緒にしないでくれ」
「この後、ヴィクトルが来る」カイが言った。
「ああ、そうなんだ。アルノが喜ぶね」
リヴァが首を傾げた。
カウンターの端に立って、ハーブの束を置いた。
オラヴルの青い瞳が、リヴァを向いた。
「おはよう。煙草、よくないよ」
「処置室で吸ってる人に言われたくない」彼女は言った。
「立場上、言っておかないとね」
笑顔になると、目が細くなった。
「お茶、どうだった?」
「のめたよ」
「良かった」オラヴルは言った。
オラヴルがDunhillを一本指に挟んだ。細身のネイビーに金のライン。
カイがマッチ箱を取り出して、マッチを一本擦った。
オラヴルが少し前に屈む。火がつく。
「ありがとう」
「言った傍から吸ってるし」ユキナガが窓を広く開けた。外に煙を吐いた。
窓から、横浜の朝の空気が入ってくる。
少し遅れて、カイの煙草に火が付いた。
アルカ横浜拠点 十三時十二分。
空気が変わった。
ちょうど廊下に出ていた彼女が、顔を上げた。
ボルドーのシャツ、黒のスラックスの男が立っていた。
身長はカイよりも少しだけ低い。腰が細かった。
187センチというのはあとから聞いた話で、圧迫感はないのに、距離感が狂っていた。
白寄りのグレーの短髪が、自然光の中で金属的な光を持っていた。ペールグリーンの瞳がリヴァを見ていた。
ヴィクトルは一秒止まり、それから笑った。
「悪いな、待たせた」
「…待ってない」彼女は言った。
「そうか」ヴィクトルは歩いてきた。「じゃあ初めましてだ」
「うん」
「名前は」
「コードネームはリヴァ」
「名前は」
「ない」
ヴィクトルは少し眉を上げた。
「コードネームだけじゃ不便だろ」
「そう?」
アルノがいつの間にか廊下に出ていた。
「不都合は」
「ないな」ヴィクトルはアルノを見た。「You've gotten thinner.(痩せたか)」
「あなたには関係ありません」
アルノがため息をついた。
ヴィクトルは笑ってから、軽く頷いた。
「入っていいか」
「……どうぞ」
ヴィクトルは小さく笑った。
「ヴィクトル」リヴァは言った。
「?」
「だよね」
「ああ、そうだ。ヴィクトル・ミハイ」彼は手を差し出した。「よろしく、お嬢さん」
「なにそれ」
ヴィクトルはその答えを聞いて、また笑った。
握手した手を、ヴィクトルは一瞬見た。
放した。
ヴィクトルは何かを考えるように彼女を見た。
「……可愛いな」
間があった。
アルノのため息が聞こえた。
「…ありがとう」リヴァが言った。
「素直だ」
「口説きにきたのなら帰ってください」アルノが言った。
「仕事だ。仕事」
ヴィクトルが歩き出した。
アルノは半歩身体を開けた。
通してから、その後ろについた。
会議室。
「俺の隣座るか」ヴィクトルがリヴァに声をかけた。
「……」
リヴァが動こうとした。
「座るな」カイが壁際に立ちながら言った。
「反対側へ」アルノがユキナガの隣を指した。
「リヴァおいで」ユキナガが椅子を叩いた。
一連の流れを見ながらヴィクトルが眉を上げた。
「信用ねぇな」
「あるわけがない」カイが言った。
「そいつだって大概だろ」ヴィクトルがユキナガを指した。
「あんたほど見境なくない」
「どうだか」
カイは一度ユキナガを見てから、自分の目の前の椅子を引き、無言で座らせた。
ユキナガとも、ヴィクトルとも若干距離がある位置だった。
カイはずっとその後もヴィクトルを睨んでいた。
リヴァはカイの顔を見ていた。
「仲悪いの?」
席に座ってから、リヴァはユキナガの方に椅子を寄せて、聞いた。
「まあ、良くはないと思う」
ユキナガは欠伸を嚙み締めながら、同じ音量で返した。
「ふうん」
その時、テーブルの端でアルノが万年筆のキャップで小刻みに音を立てた。
コン、と硬い音が響く。
ユキナガがすぐに口を閉じ、端末に視線を戻す。
ヴィクトルが席に深く腰掛け、長い足を組んだ。
その目が、楽しげにリヴァを捉えている。
「では」アルノがファイルを開いた。
「本題に入ります」
”El Tango De Roxanne” / Moulin Rouge




