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リヴァ・アルカ ―最強特殊部隊は、たった一人のアンカーを失えない―  作者: Ilir Noct
第七章「夜間係留 ― Night Mooring」

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残り五分




 リヴァの部屋。


 シャワーを浴びたばかりだった。髪がまだ湿っていた。グレーのリネンのキャミソールワンピース。タオルを首にかけていた。


 時計は二十一時を少し過ぎていた。


 ノックが二回。


「リヴァ」


 低かった。アルノの声だった。


 リヴァがドアを開けた。


 アルノが立っていた。白いシャツの袖を肘まで折っていた。黒のスラックス。眼鏡。端末を片手に持っていた。


「うん」


「失礼します」


 リヴァがドアを閉めた。


 


 部屋のソファに、二人で座った。


 アルノがリヴァの隣に座った。距離は少しあった。


 端末をテーブルに置いた。


「グレイの話を共有しに来ました」


 リヴァが止まった。


「まだあなたを狙っています」


「⋯⋯」


「沖縄のあと、グレイのチームを追っています。完全には追えていません。ただ、明確に、諦めていない」


 リヴァが息を吸った。


「船上での接触」


「うん」


「まだ、全容は把握できていません」


「⋯⋯わかってる」


「私が沖縄で受けた尋問から、逆算できる範囲で推測しています」


 リヴァがアルノを見た。


「アルノ」


「はい」


「無理に話さなくていいよ」


「いえ」


 アルノが端末から目を上げた。


「共有させてください」


 リヴァが息を吐いた。


「⋯⋯うん」


 


 アルノが沖縄での尋問の話を始めた。


 時間軸通りに。最初の数時間、薬物、拘束、温度の操作。グレイが提示した条件。


「数えていました」


「数?」


「自我を保つための、古典的な手法です」


「⋯⋯」


「途中で、Vier(4)、で止まりました」


 アルノが言った。


 ドイツ語の音だけが、普段の日本語の中に、混ざった。


「思考の経路が塞がれていきました」


「⋯⋯」


「最後にグレイが聞いたのは、誰を、最後に思い出すか、でした」


 リヴァが目を伏せた。


 アルノが続けた。


「グレイは、答えを知っていました」


 リヴァが、目を上げた。


「彼は尋問の訓練を受けている人間です。私も対尋問の訓練を受けてきました。それでも、崩された」


「⋯⋯うん」


「あなたは、訓練を受けていません」


「⋯⋯」


「だから、私の経験を共有しておきたい」


 リヴァがアルノを見た。


「次に捕まらないように」


「⋯⋯」


「生きて戻れるように」


 リヴァが息を吐いた。


「うん」


 短かった。


 アルノが視線を外した。外して、また戻した。


 


 途中で、リヴァが口を開いた。


「体は、覚えてる気がする」


「⋯⋯」


「アルノの話を聞いてると、どこかで似たことをされた気がする」


 アルノが止まった。


「⋯⋯」


「思い出さなくて、いいです」


「⋯⋯」


「また思い出した時に、共有してください」


 リヴァがわずかに頷いた。


「…それと」


 アルノが端末を閉じた。


「昨夜のアルバンの件で、ユキナガがセキュリティを再構築中です」


「……」


 二人ともしばらく何も言わなかった。


 時計の音が聞こえていた。観葉植物の葉が、エアコンの風で揺れていた。


 アルノがソファに座ったままだった。


 リヴァがそれに気づいた。気づいて、何も言わなかった。


 アルノが視線をリヴァに移した。


「…あの夜の件ですが」


 低かった。


 リヴァが息を止めた。


「忘れていただいて構いません」


 リヴァが何か言おうとした。言葉を探した。


 アルノが、わずかに止まった。


「……」


 リヴァが止まった。


 アルノがリヴァを見ていた。


「すみません」


 謝っているのに引かなかった。


 リヴァがアルノを見た。アルノが視線を外さなかった。


 リヴァが自分の手を伸ばした。アルノの手を取った。


 ゆっくりと自分の頬に当てた。


 アルノの手のひらが、リヴァの頬に触れた。


 リヴァが頬をその手にわずかに預けた。


 アルノが止まった。


 リヴァが目を閉じた。


 アルノの呼吸が深くなった。戻った。また深くなった。


 


「リヴァ」


 低かった。


「…帰った方がいいですか」


 リヴァが目を開けた。アルノを見た。


 返事をしなかった。


 代わりに、自分の指をアルノの首元に伸ばした。


 シャツの第一ボタンのすぐ上だった。


 軽く触れた。


 アルノが息を止めた。しばらく止めていた。


 吐いた。長かった。


 


 アルノが先に立った。


 リヴァの返事を待たなかった。


 リヴァの手を取って、ベッドの方に連れていった。


 座らせた。


 アルノがリヴァの肩紐を指で外した。肩が見えた。


 肩には傷があった。


 アルノが傷の上に唇を落とした。


 軽くだった。


 リヴァが息を吐いた。声がわずかに混ざった。


 アルノが唇を肩から鎖骨に移した。途中で首筋を通った。



 


 アルノの手が、リヴァのキャミソールの裾を持ち上げた。


 途中で、止まった。


 リヴァを見た。


 リヴァが目を合わせた。


 何も言わなかった。


 代わりにリヴァの指が、アルノの眼鏡に触れた。


 細いフレームを外す。


 アルノが抵抗しなかった。


 外された眼鏡が、ベッド脇に静かに置かれた。


「……覚えてないふり、出来ますか」


 アルノが言った。


 リヴァが困ったように笑った。


 アルノが目を閉じた。


 それから、リヴァを引き寄せた。


 




 二十三時三十分過ぎ。


 アルノがリヴァの腕の中で目を閉じていた。


 リヴァがアルノの寝顔を見た。


 眠るアルノを見たのは、初めてだった。


 しかも、こんな時間に。


 眼鏡を外したアルノの顔を、長く見た。


 睫毛が長かった。


 頬骨が、わずかに影を作っていた。


 リヴァがアルノの髪に指を入れた。


 軽く撫でた。


 アルノが寝息の中で動いた。


 リヴァが息を吐いた。


 笑いに近かった。


 リヴァも目を閉じた。







 朝。


 カーテンの隙間から、東京の朝の光が入っていた。


 時計の針が六時四十五分を指していた。


 リヴァが目を開けた。


 天井が見えた。


 身体が重かった。


 リヴァが息を吐いた。


 七時に共用スペースのキッチンに、カイがコーヒーを淹れて置いてくれている。毎朝、リヴァが飲みに行く。


 あと十五分だった。


 身体が動かなかった。


「⋯⋯ん」


 声が掠れていた。


 


 隣でアルノが目を開けた。


「⋯⋯おはよう」アルノに敬語がなかった。寝起きの低い声。


「おはよう」


 アルノが目をこすった。


「何時ですか」


「六時四十五分」


「⋯⋯」


「七時に、カイが」


「ええ」


 リヴァが止まった。


「知ってるの」


「毎朝の動線くらいは」


「⋯⋯」


 リヴァが息を吐いた。笑いに近かった。




 リヴァがもう一度、上半身を起こそうとした。シーツの上で、肩のあたりまで起こした。


 途中で、髪が肩に流れた。


 アルノがリヴァの首筋を見た。


 止まった。


 しばらく見ていた。


 リヴァがそれに気づいた。


「何見てるの」


 アルノが視線を外した。外し方がわずかに遅かった。


「⋯⋯首」


「首?」


 リヴァが自分の首に指を当てた。


 確認できなかった。


「どこ」


「右、と左に」


 リヴァがベッドサイドの小さな鏡を取った。


 覗き込んだ。


 薄い赤が、首筋に残っていた。


「……」


「すみません」


「絶対思ってないでしょ」


 アルノがわずかに口角を上げた。


 リヴァがそれを見て、息を吐いた。


 


「カイに勘違いされる」


 リヴァが言った。


 アルノが止まった。


 止まったまま、リヴァを見た。


 それから、リヴァの首筋に手を伸ばした。


 指の腹で、痕の上をひと撫でした。


 確認するように。ゆっくりと。


「勘違い、ですか?」


 低かった。


 リヴァが止まった。


 完全に止まった。


 リヴァが目を伏せた。


 頬が熱を持った。


 伏せた目を上げられなかった。


 アルノがわずかに息を吐いた。


 笑いに近かった。


 アルノの指が、リヴァの首筋から離れた。


 代わりに頬に移った。頬を軽く撫でた。






「……行かないと」


 リヴァが言った。ベッドから手を伸ばしてカーディガンを取った。


 アルノが、わずかに口角を上げた。


「歩けますか」


「……」


「立ってみてください」


 リヴァはシーツを引き寄せ、身体を起こした。


 ベッドの端に座って、足を床に着ける。


 そのまま立ち上がろうとした。


 膝に、力が入らなかった。


 腰から崩れて、床の上に座り込んだ。


「……」


 アルノがシーツの上で動き、ベッドから足を下ろし、腰掛けた。


 シャツを羽織って、JPSに手を伸ばした。


 一本取って、火をつけた。


 まだへたり込んでいるリヴァの顎に、指を当てた。


 軽く、上を向かせた。


「ほら」


 低かった。


「ちゃんと、歩いてください」


「……」


「カイが、待ってるんでしょう」


「……ひどい」


「ええ」


 否定しなかった。


 アルノがリヴァの手を取り、ゆっくりと引き上げた。


 リヴァが、立った。


 一歩、踏み出す。


 膝が、わずかに抜けた。


 すかさずアルノが片手で、リヴァの腰を支えた。


「……」


「バレますよ。カイに」


「……離して」


「離したら、転びます」


 リヴァが、目を伏せた。


 アルノは腰を支えたまま、リヴァの耳元に顔を寄せた。


「次は」


 低く、言った。


 一拍置いた。


「…次は、限界を把握しておきます」


 リヴァは、顔を上げられなかった。


 アルノは腰を支えたまま、リヴァの歩調を測るように、ゆっくりとドアの方へ歩かせた。


 リヴァの足が、一歩ずつ、進む。


 ドアの前で、アルノが手を離した。


「ここからは、一人で」


「……」


「見ています」


 リヴァはドアノブを掴んだ。


 振り返れなかった。


 ドアを開けて、廊下に出た。


 廊下の窓から、白い朝の光がまっすぐ入っていた。


 静かな朝だった。


 壁の時計の針が、小さく進んだ。


 七時まで、あと、五分だった。

"Vast ft. Ólafur Arnalds" / Sandrayati

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