屋上
次の日も眠れなかった。
カラムの隣で寝てしまった次の日。
今日も深夜一時を過ぎていた。
リヴァは屋上への扉を押した。
鍵は開いていた。
夜風が来た。東京の夜景が広がっていた。遠くに首都高の光が流れていた。星は少なかった。光が多すぎる街だった。
深呼吸した。
屋上の空気が、室内より広かった。
夜風が来た。
来た瞬間に、気づいた。
視界が開けていた。
死角が一方向しかなかった。
まずい。
引き返そうとした。
その時、気配があった。
壁にもたれて、人がいた。
アルバンだった。
サングラスをかけていなかった。灰色の目が夜景を見ていた。リヴァが出てきた音で、視線がこちらに動いた。
リヴァが固まった。
心臓が跳ねた。
一拍、何も動けなかった。
二メートルの男が拠点の屋上にいた。誰にも気づかれずに。
息を整えた。
ゆっくりだった。
アルバンが動かないことを、確認した。動かなかった。
「……どうやってここに来たの」
声が、少しだけ掠れた。
「階段」
「鍵は」
「開いてた」
リヴァは息を吐いた。
怖いというより、疲れた感じがした。
扉から離れた。壁際に歩いた。アルバンから三メートルほど離れた位置に立った。夜景を見た。
アルバンは何も言わなかった。
しばらく、二人とも夜景を見ていた。
風が来た。リヴァの髪が動いた。
リヴァはポケットからマルボロメンソールを取り出した。一本抜いた。火をつけた。煙を吐いた。
メンソールの匂いが、夜風に流れた。
「いる?」
リヴァが箱を少しだけアルバンの方に向けた。
「俺は吸わない」
リヴァが少し止まった。
「……そっか」
一拍あった。
煙草を、もう一口吸った。
夜景を見た。
少し間があった。
「アルバニア出身って本当?」
アルバンが少し止まった。
間が長かった。
「……そうだ」
短かった。
リヴァは何も言わなかった。
でも、その間の長さが、頭の隅に残った。
追わなかった。
その時、屋上の扉が勢いよく開いた。
ユキナガだった。
パーカーのまま、端末を片手に持っていた。屋上に出た瞬間、アルバンを見た。
一秒、止まった。
「……やばい」
小さく言った。独り言だった。
「ユキナガ」
「いや待って」ユキナガの目がアルバンからリヴァに動いた。「なんで普通に並んで夜景見てんの二人で」
「来てた」
「いつから」
「わからない」
「わからないって」
ユキナガが端末を操作した。指が速かった。ログを確認していた。
「……侵入記録がない」ユキナガの声から軽さが消えていた。「カメラにも映ってない。なんで」
アルバンがユキナガを見た。
視線が止まった。
それから、リヴァを見た。
「そいつが、大切な人か」
ユキナガが止まった。
リヴァも止まった。
「……は?」とユキナガは言った。「急に何」
アルバンはリヴァを見たままだった。真顔だった。純粋に確認していた。
リヴァが少し間を置いた。
「大切なひと。みんな」
アルバンが視線を動かさなかった。
「みんな」
「うん。仲間だよ」リヴァは煙草を持ったまま言った。「私が生きるために必要な人」
アルバンが少し止まった。
「……一人ではないのか」
「うん」
「テキサスの男も」
「カイ」
「カイ」アルバンが繰り返した。「あれも、大切な人か」
「うん」
「そいつもか」アルバンがユキナガを見た。
「うん」
アルバンが、夜景を一度見た。それからまたリヴァを見た。
間があった。
「次は何か持ってくればいいか」
ユキナガが眉を寄せた。
「何それ」ユキナガが言った。
リヴァが少し考えた。煙を吐いた。
「……たぶん、前ヴィクトルが花でも持ってこいって言ったからだと思う」
「ヴィクトル」ユキナガが額に手を当てた。「あいつ余計なこと言ってる」
リヴァはアルバンを見た。
アルバンが夜景をもう一度見た。
「帰る」
それだけ言った。
扉に向かって歩いた。ユキナガの横を通った。ユキナガが半歩下がった。
扉が開いた。
閉まった。
足音が、階段を降りていった。
静かになった。
ユキナガがリヴァを見た。
「……リヴァ」
「うん」
「これ、どういう状況」
「わからない」
「わからないって」
「わからない」
ユキナガが額に手を当てた。
「俺のセキュリティ、初めて突破された」
小さく言った。
悔しいというより、信じられない、という声だった。
アルバンがいた壁を見た。
まだ体温が残っているような気がした。




