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リヴァ・アルカ ―最強特殊部隊は、たった一人のアンカーを失えない―  作者: Ilir Noct
第七章「夜間係留 ― Night Mooring」

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”Into My Arms”

 拠点に戻ったのは、夕方過ぎだった。


 ヴィクトルの飛行機で成田、車で武蔵境。


 全員が荷物を玄関に置いた。


 廊下の奥から、オラヴルが出てきた。いつもより歩く速度が少しだけ早かった。


「おかえり」


「ただいま」とリヴァが言った。


「無事で、よかった」


 オラヴルの視線がアルノに止まった。


 アルノが答えなかった。


 半秒遅れて、頷いた。


 オラヴルはそれ以上何も言わなかった。


 視線が玄関の方に動いた。


 カラムだった。


 荷物を足元に置いていた。Rothmansを指に挟んでいた。火はつけていなかった。動かなかった。


 共用スペースを見ていた。視線が一人ずつ確認していた。リヴァで止まった。それ以上動かなかった。


 オラヴルがカラムを見ていた。


 しばらく、見ていた。


「……」


 オラヴルの目がカラムの指のRothmansに落ちた。火のついていない煙草。それからカラムの目に戻った。


 手が一度、自分のジャケットの裾を握った。


 それから力が抜けた。


 オラヴルはそれ以上何も言わなかった。


 その時、廊下の奥からミントが走ってきた。まっすぐリヴァに。


 リヴァの足元で止まった。


 リヴァがしゃがんだ。


「ただいま」


 ミントがリヴァの手に頭を押し付けた。強かった。


 立ち上がったリヴァの足元に、ミントはまだいた。


 アルノが共用スペースの方に歩こうとした。


 ミントが振り返った。アルノを見た。


 二歩、下がった。


 アルノが止まった。


 ミントはそれ以上近寄ってこなかった。


 アルノの視線がミントに落ちた。落ちたまま戻らなかった。


「ミント」リヴァがしゃがんだまま呼んだ。


 ミントがリヴァに戻った。


 アルノの視線がようやくミントから離れた。


 共用スペースに入っていった。


「アルノ」ユキナガが言った。「嫌われた?」


「ユキナガ」フィンがソファから言った。


「お前も嫌われてるくせに。ミントに毎回引っかかれてんの、お前だろ」ユキナガが言う。


「俺のは挨拶」


「挨拶で血出る?」


 その時、ミントがリヴァの足元を離れた。


 カラムの方に歩いていった。ゆっくりだった。


 カラムの足元で止まった。匂いを嗅いだ。動かなかった。


 しばらく嗅いでいた。


 それから頭をカラムのブーツに押し付けた。


 カラムを見上げて、甘えた声で鳴いた。


 オラヴルがその様子を見ていた。


「…猫は正直だね」


 カラムがミントを見下ろした。Rothmansを指で止めたままだった。


 しゃがんだ。


 指をミントの頭の上に置いた。


 ミントは動かなかった。目を閉じた。


「は?」ユキナガが言った。「カラムには懐くのかよ」


 アルノが一秒止まった。


 カラムを見た。


「カラム」


「うん」


「二階の奥の部屋、空いています。使ってください」


「……うん」


 カラムが立ち上がった。ミントが足元から離れた。


 カラムは荷物を持ち上げた。共用スペースを横切った。誰にも声をかけなかった。


 階段を上がっていった。


 足音が二階に消えた。


 オラヴルはまだカラムが上がっていった階段を見ていた。


 一度、目を閉じた。


 開けて、共用スペースに戻った。


 アルノが共用スペースを見渡した。


 オラヴルが立っていた。リヴァがコップを両手で持っていた。カイがリヴァの隣に立っていた。フィンとユキナガがソファで言い合っていた。ミントがリヴァの足元に戻ってきていた。


 全員いた。


 確認は済んでいた。


 もう一度、確認していた。







 深夜二時。


 共用スペースは暗かった。キッチンの手元灯だけが低く光っていた。


 カラムがソファにいた。薄い毛布を膝にかけていた。背もたれに深く沈んで、足を少し開いていた。Rothmansが指に挟まっていた。灰皿に三本並んでいた。


 端末がローテーブルに置いてあった。画面が暗かった。でも音だけが出ていた。


 低く重い曲だった。同じフレーズが少しずつ形を変えながら繰り返されていた。終わりに向かうたびに、また戻ってくる。


 リヴァが水を飲みに来た。


 暗い共用スペースにカラムがいるのに気づいて、足が一瞬止まった。


 カラムが目を開けた。驚かなかった。アンバーの瞳がリヴァを見た。それだけだった。


 リヴァはキッチンで水を汲んだ。カップを持ったまま、ソファの端に座った。


 曲が流れていた。


 しばらくどちらも何も言わなかった。


「眠れないの」とリヴァは言った。


 リヴァはカップを両手で持ったまま曲を聴いた。繰り返しが来た。また同じフレーズが戻ってきた。


「部屋でかけてたら、フィンに怒られた」


「壁越しに?」


「うん」カラムはRothmansを灰皿に置いた。


 リヴァは少し間を置いた。


「部屋で何かけてたの」


 カラムがリヴァを見た。


「Big Dog」


 一秒あった。


「……夜中にロックは駄目かも」リヴァが言った。


 カラムがわずかに目を細めた。笑ったのかもしれなかった。


 リヴァも笑った。小さかった。


 それからまた、静かになった。


 曲が続いていた。


「これは?」とリヴァは言った。


「Nick Cave」カラムは言った。「The Mercy Seat」


「繰り返してく感じ」


「うん」カラムは天井を見た。「死刑囚が処刑台に座って、神と罪のことを考え続ける」


 リヴァは曲を聴いた。


「終わりに向かってる曲」


 リヴァは何も言わなかった。


 カラムもそれ以上話さなかった。


 曲が終わった。


 短い沈黙があった。


 次の曲が始まった。


 ピアノだった。一本だけだった。さっきまでとは全然違った。静かで、まっすぐだった。


 リヴァが少し耳を傾けた。


「Into My Arms」とカラムは言った。「神を信じない男が、それでも祈ってる曲」


 リヴァはピアノを聴いた。


「神さまを信じてないんでしょ」


 リヴァが言った。


「うん」


「じゃあ何に祈ってるの」


 カラムは答えなかった。


 間があった。


「…それを聞くの」


 アンバーの目が、初めてリヴァを見た。


 まっすぐだった。


「やめた方がいい」カラムが言った。いつものように小声だった。



「沖縄で」とカラムは言った。「あんたの弾を見てから」


「うん」


「俺が長い間信じてたものが、なんだったのかわからなくなった」


 低かった。静かだった。


 リヴァはカラムを見た。横顔だった。アンバーが手元を見ていた。


「風を読んで、自転を計算して、それでも届かない部分を、ずっと神に委ねてきた」カラムは続けた。「運命とか、神の気まぐれとか、そういうことにして」


「うん」


「でもあれを見たら」カラムの声が少し低くなった。「委ねてた相手が最初からいなかったのか、それとも別の何かだったのか」


 リヴァは答えなかった。


 答えられなかったんじゃなかった。答えを持っていなかった。


 でも、そこにいた。


 カラムもそれ以上話さなかった。


 ピアノが続いていた。


 Into My Armsが静かに流れていた。


 リヴァはカップをローテーブルに置いた。空になっていた。いつ飲み終わったか覚えていなかった。


 ソファの背に少しだけ体をもたせかけた。


 カラムが動かなかった。Rothmansも消したままだった。指に挟まったまま火がつけられていなかった。


 193センチがソファの中に収まっていた。長い脚が前に投げ出されていた。緩めの黒のスウェット。上は薄いグレーのロングTシャツ、鎖骨が見えていた。


 戦場で見るカラムとは違った。


 昼間のカラムでもなかった。


 ただ疲れていた。


 茶髪が肩から落ちていた。シャワーを浴びた後らしく、まだ少し湿っていた。アンバーの瞳が半分しか開いていなかった。眠そうに見えた。眠れない男の眠そうな顔だった。


 長い睫毛が瞬きのたびに影を作っていた。


「何時間寝てるの、最近」リヴァが言った。


 カラムが少し間を置いた。


「……数えてない」


 リヴァが黙った。最近自分もそうだったから、何も言えなかった。


「数える意味がないから」


「……」


 リヴァは何も言わなかった。


 カラムがリヴァの方に首だけ向けた。動きが緩慢だった。いつもよりたれ目に見えた。


「リヴァは」


「私も、あんまり」


「だろうね」


 半分閉じた瞼の奥から、アンバーの瞳がゆっくりとリヴァの輪郭をなぞっていた。


 リヴァの呼吸が少し変わった。


 気づかれない程度に。


 でもカラムには気づかれた気がした。


 カラムは何も言わなかった。


 代わりに視線を外した。天井を見た。


 Rothmansを指で回した。火はつけなかった。


「火、つけないの」とリヴァは言った。


「うん」


 リヴァは黙った。


 カラムが指を止めた。Rothmansが指の間で止まった。


 それから灰皿に置いた。


 長い指だった。狙撃手の指だった。トリガーを引く指。風を読む指。


 その指が、何もしないで止まっていた。


 端末から、Into My Armsが続いていた。


「リヴァ」


「うん」


「眠れないなら、ここにいていい」


 カラムがリヴァを見た。


「何もしない」


 低かった。


 約束じゃなかった。事実の確認だった。


 カラムは何もする気がなかった。それは目を見ればわかった。


 ただ、同じ場所で起きていていい、と言っていた。


 リヴァは少し間を置いた。


「……うん」


 カラムが少し頷いた。


 それからソファの上で姿勢を少しだけ変えた。リヴァの方に空間を空けた。


 毛布を少しだけリヴァの方に引いた。


 リヴァはソファの上で膝を抱えた。カラムの方に体を寄せた。寄せたというより、自然にそうなった。


 肩がカラムの腕に触れた。


 カラムは動かなかった。


 体温が高かった。


 戦場のカラムは冷たい人間に見えた。低体温で、他人に無関心で、自分にだけ神経質。


 でも今、肩に触れている腕は想像よりずっと熱かった。


 眠れない男の体温がした。


 リヴァはそのまま、少しだけカラムの肩に頭を預けた。


 カラムが一瞬だけ止まった。


 止まっただけだった。


 動かさなかった。


 毛布をもう少しだけ引いて、リヴァの肩にかけた。



 Into My Armsが終わりに近づいていた。


 ピアノが最後の祈りを置いていた。


「眠れそう?」カラムが言った。


「…ん」


 曲が終わった。


 カラムは次の曲をかけなかった。


 リヴァの瞼が少しずつ重くなった。


 カラムの肩は動かなかった。


 戦場の張り詰めがゆっくりとほどけていった。



 カラムは起きているつもりだった。


 天井を見ていた。


 見ていたはずだった。



 カラムが次に目を開けた時、窓の色が変わっていた。


 薄い朝だった。


 数秒、自分がどこにいるのかわからなかった。


 肩が重かった。


 視線を落とした。


 リヴァがいた。


 眠っていた。


 カラムは動かなかった。


 動けなかった。


 何時間眠ったのかわからなかった。


 夢を見た記憶もなかった。


 ただ途中で一度も起きなかった。


 ここ数週間で一番長かったかもしれなかった。


 灰皿のRothmansはそのままだった。


 一本も増えていなかった。

カラムプレイリスト:

"Big Dog" / The Last Dinner Party

"The Mercy Seat" / Nick Cave & the Bad Seeds

"Into My Arms" / Nick Cave & the Bad Seeds

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