第22話 最高到達点の裏 ~最後の舞台の裏側で~ [2/5]
23時58分29秒。
9回裏、2アウト。
ランナー無し。
スコアは36対0。
球場は満員のまま、誰ひとり席を立たない。
観客は息を呑み、ただひとりの投手の背中を見つめていた。
きおの寿命は、残り332秒。
日付が変わるまで、あと91秒。
頭上の数字は、静かに減り続けていた。
——332
——331
——330
その数字を“見ている”のは、キャッチャーのラクランだけだった。
(……間に合う……まだ間に合う……)
そう思い込むしかなかった。
*
解説者が低くつぶやく。
『……ロペス選手、まだ打席には入っていません。
ここからが、本当の勝負です。』
ロペスがバットを握り直した、その瞬間だった。
ラクランがミットを抱えたまま立ち上がり、
マウンドへ向かって全力で駆け出した。
スパイクが土を蹴る音が、
スタジアムのざわめきの中でもはっきりと響く。
実況席が反応する。
『おっと……ここでラクラン選手がマウンドへ向かいます!
今季から“1イニングに1度だけ”許されるマウンド訪問……
この場面で使ってきました!』
ラクランは走りながら、
きおの表情を確認するように視線を合わせる。
きおは微動だにせず、ただ静かに待っていた。
23時58分34秒。
ラクランはミットを胸に抱えたまま、
きおの目の前で立ち止まる。
「……よし、ナイスピッチ。まだ全然いける。」
ミット越しにボールを渡し、
軽くポン、ときおの胸元を叩く。
その仕草は、
“いつも通り”を演出するための儀式だった。
きおは小さく笑う。
「うん、大丈夫。」
ほんの数秒、
ふたりは短い雑談を交わす。
「ロペス、外角振ってこないよ。
今日ずっと腰が引けてる。」
「了解。」
「あと……肩の開き、ほんの少しだけ我慢して。」
「分かった。」
その会話は、
どこにでもある“バッテリーの会話”に見えた。
だが、ラクランの胸の奥では、
別の数字が激しく点滅していた。
審判が腕時計に目を落とし、
眉をひそめる。
右手で“残り時間わずか”のジェスチャー。
実況席が反応する。
『おっと、審判が時間を確認しています!
マウンド訪問は30秒以内……そろそろ戻らないといけません!』
ラクランは一瞬だけ視線をそちらに向け、
小さく舌打ちした。
(……時間がない)
焦りを悟られないように、
きおの胸をポンポンと叩く。
そして、
声を潜めて言った。
「寿命は……きっかり5分だ。」
23時59分01秒。
日付まで59秒。
きおは一瞬だけ目を見開く。
だが、すぐに静かにうなずいた。
「……分かった。」
審判が近づいてくる。
「戻れ」という無言の圧力。
ラクランは最後にもう一度だけ、
きおの肩を軽く叩いた。
「絶対いける。
お前なら、いける。」
ラクランが走り出す。
所要時間、5秒。
23時59分06秒。
日付まで54秒。
きおの寿命は、300 → 295秒。
——残り寿命、295秒。
——日付まで、54秒。
実況席が声を張り上げる。
『さあ、黄金バッテリーの短い会話はここまで!
代打ロペスとの勝負……いよいよ始まります!』
観客席のざわめきが、再び波のように揺れ始める。
「キーオー! キーオー! キーオー!」
敵地なのに、
完全に“きおの舞台”になっていた。
ラクランがホームベースへ戻ると、
ロペスがゆっくりと打席へ足を踏み入れた。
バットを構え、
深く息を吸い込む。
その表情には、
覚悟と恐怖が入り混じっていた。
実況席が声を震わせる。
『さあ……ロペス選手が打席に入りました!
ここからが本当の勝負です!』
きおは、ゆっくりと帽子のつばに触れた。
——静寂。
次の瞬間、
ラクランがサインを出す。
運命の対決が、いよいよ始まろうとしていた。




