第16話 静かに積み上がる異常
翌朝。
ラクランは胸の奥に残るざらついた不安を抱えたまま目を覚ました。
きおの寿命カウントを確認した瞬間、
言葉にならない感覚が背筋を走った。
数字は、昨日とは違っていた。
どれだけ減ったのか──
それを口に出すことはできなかった。
きおは普通にクラブハウスに現れた。
いつも通りの笑顔で、いつも通りの声で挨拶をする。
その“普通さ”が、逆にラクランの胸を締めつけた。
きおは昨日のことに触れない。
ラクランも、聞けなかった。
*
そして、2年目のシーズンが始まった。
開幕戦。
監督は迷いながらも、きおに告げた。
「DHを外す。
今日は……二刀流で行く」
きおは静かに頷いた。
6番・投手。
球場はざわつき、相手ベンチは露骨に警戒を強めていた。
初打席。
きおは迷いなく振り抜き、
打球はライトスタンドに吸い込まれた。
球場が揺れた。
2打席目。
相手は迷わず申告敬遠を選んだ。
きおは静かに歩き、
ベース上で小さく息を吐いた。
3打席目も申告敬遠。
4打席目は勝負されたが、
投手は“逃げる球”ばかりを投げてきた。
きおは打てた。
だが──打たなかった。
試合後、きおは淡々と告げた。
「……戻しました」
ラクランは思わず聞き返した。
「戻した……?」
きおは静かに頷いた。
「今日の試合……
“ホームランを打たなかった世界線”に戻しました。
平凡な成績にしておきました」
ラクランは一瞬、理解が追いつかなかった。
ホームラン?
スコアボードにも、公式記録にも、
きおの成績は“平凡”にしか見えない。
きおは続けた。
「全打席ホームランは……さすがに無理でした。
申告敬遠を変えるには……
戻す回数が多すぎて、効率が悪いです」
その言い方は、
まるで“少し手間がかかった”程度の話のようだった。
ラクランは言葉を失った。
きおがどれだけ戻したのか、
どれだけ寿命を削ったのか、
どれだけ“申告敬遠を覆そうとした努力”をしたのか──
ラクランは、
気づかないふりをした。
きおは静かに続けた。
「投手に集中します。
打つのは……最後の試合だけでいいです」
*
シーズンは静かに進んだ。
きおは投手として圧倒的だった。
負け無し。
防御率は異常なほど低い。
打席はない。
DH制のまま、きおは投手に専念した。
得点はラクランに任された。
きおはリープで球筋を送り、
ラクランはその通りに打つ。
試合が終わるたび、
ラクランはきおの寿命カウントを確認した。
数字は少しずつ減っていた。
ラクランは、
その減り方についても“見ないふり”をした。
*
シーズン最終日。
チームは勝率3位。
ワイルドカード最後の枠を争う位置にいた。
自分たちの試合は終わった。
あとは、他チームの結果次第──
のはずだった。
クラブハウスのテレビの前で、
選手たちは固まっていた。
きおだけが、
静かに椅子に座っていた。
やがて──
画面に、他チームの敗戦が表示された。
歓声が上がる。
チームはギリギリでプレーオフに滑り込んだ。
ラクランは、
きおの寿命カウントが“わずかに減っている”ことに気づいた。
(……お前……まさか……)
きおは立ち上がり、
ラクランの方を向いて、ただ一言。
「行けますね」
その声は静かで、
どこまでも落ち着いていた。
ラクランは、
その静けさに震えた。
静かに積み上がる異常は、
確実に“戻れない地点”へ向かっていた。




