第14話 2人の実験 ~世界線の分岐と観測者~ [2/2]
ラクランはノートを閉じ、しばらく黙っていた。
その沈黙は、きおを責めるものではなく、
ただ事実を慎重に扱おうとする静かな集中だった。
やがてラクランは口を開いた。
「きお。
お前の戻りは……“世界線の移動”に近いのかもしれない」
きおは息を呑んだ。
「世界線……?」
ラクランは頷いた。
「世界は巻き戻る。
でも、人間の選択は完全コピーじゃない。
揺らぎがある。
その揺らぎの結果、
“別の選択肢を選ぶ世界線”に移動している可能性がある」
きおは震える声で言った。
「……じゃあ、ぼく……
みんなの行動を変えてしまってたんですか……?」
ラクランは即座に首を振った。
「違う。
きおが“変えた”んじゃない。
“その選択肢を選ぶ世界線に飛んだ”だけだ」
きおは目を見開いた。
ラクランは続けた。
「きおは誰の人生も操作していない。
ただ、世界線の“枝”を選んでいるだけだ。
責任を感じる必要はない」
きおの肩が少し震えた。
その震えは、恐怖ではなく、安堵に近かった。
「……よかった……
ぼく……誰かを変えてしまってたんじゃないかって……
ずっと……」
ラクランは優しく言った。
「きお。
お前は誰も変えていない。
ただ、選び直しているだけだ」
――――
ラクランはノートに三つの動作を書き込んだ。
① 右手を上げる
② 左に一歩動く
③ ペンを指で弾く
「きお。
この三つの動作を、俺は“揺らぎを感じた瞬間”に行う。
どれを選ぶかは……揺らぎ次第だ」
きおは首をかしげた。
「揺らぎ……次第?」
ラクランは頷いた。
「普通の人間なら、巻き戻されても“同じ行動”を選ぶ確率が高い。
でも俺は……揺らぎを感じる。
だから、違う行動を選ぶ可能性が高い」
きおは不思議そうに眉を寄せた。
「……でも、戻したら同じ世界になるんですよね?
だったら、同じ行動を選ぶはずで……」
ラクランは微笑んだ。
「それを確かめるための実験だ」
――――
きおは声を出し始めた。
「一、二、三、四、五……」
きおが意志を向ける。
世界が揺れ、巻き戻る。
ラクランは揺らぎを感じた瞬間、
“② 左に一歩動く” を選んだ。
きおは驚いたように目を瞬いた。
「……あれ?
さっきは右手を上げてましたよね?」
ラクランは頷いた。
「揺らぎを感じたからだ。
揺らぎがあると……“同じ行動”を選びにくくなる」
きおは混乱したように言った。
「でも……世界は戻ってるんですよね?
だったら、同じ行動を選ぶはずで……」
ラクランは静かに言った。
「きお。
お前は“同じ世界”に戻っていると思っている。
でも実際は……
“似ているけど別の世界線”に移動している可能性がある」
きおは息を呑んだ。
「……世界線……」
ラクランは続けた。
「世界線が分岐する瞬間──
それが“揺らぎ”だ。
俺はその揺らぎを感じるから、
選択が変わる確率が高い」
きおは震える声で言った。
「……じゃあ、ぼくが戻すたびに……
世界線が……少しだけ変わってる……?」
ラクランは頷いた。
「そうだ。
でも、それは“悪いこと”じゃない。
世界線は無数にある。
きおはその中から“選び直している”だけだ」
きおは胸に手を当てた。
「……ぼく……
誰かを変えてしまってたんじゃなくて……
“変わる世界線に移動してただけ”なんですね……」
ラクランは優しく言った。
「その通りだ。
きおは誰の人生も壊していない。
ただ、別の枝に移動しているだけだ」
きおは涙をこらえながら頷いた。
「……よかった……」
――揺らぎは、きおの“意志”が生む。
――世界線は再演されるが、選択は完全コピーされない。
――観測者は揺らぎを感じ、選択が変わる可能性が高い。
――きおは誰も変えていない。ただ、別の世界線を選んでいるだけ。
冬の光が、二人の間に落ちていた。
静かで、深い光だった。
実験がひと段落し、二人はベンチに腰を下ろした。
冬の光は傾き始め、練習場には長い影が伸びていた。
ラクランはノートを閉じ、静かに言った。
「きお。
お前の能力は……危険じゃない。
誰も変えていない。
ただ、世界線を選んでいるだけだ」
きおは胸に手を当て、小さく息を吐いた。
「……ありがとうございます。
そう言ってもらえて……少し、楽になりました」
ラクランは頷いた。
「これからも一緒に調べよう。
お前の能力も、世界線のことも」
きおは微笑んだ。
「……はい」
その時だった。
きおのスマホが震えた。
画面を見たきおの表情が、わずかに固まる。
ラクランは気づいた。
「……どうした?」
きおは少し迷ってから、画面をラクランに見せた。
そこには、チームの連絡アプリの通知があった。
――【重要】三日後、きお選手のトレードに関する最終調整があります。
ラクランは息を呑んだ。
「……トレード……?」
きおは静かに頷いた。
「はい。
前から噂はありましたけど……
正式に“最終調整”って言われたのは、初めてです」
ラクランはきおの横顔を見つめた。
きおは、笑っていた。
けれど、その笑顔はどこか張りつめていた。
「……大丈夫ですよ。
まだ決まったわけじゃないですし」
ラクランは胸の奥に、
言葉にならない不安が広がるのを感じた。
(……きおは……どうするつもりだ?)
冬の風が、二人の間を静かに通り抜けた。
そして──
この“トレードの通知”が、
後に大きな世界線の分岐を生むことを、
ラクランはまだ知らなかった。




