第九十九話 魔法少女の妹
結芽の意識は今、魂の奥底にあった。世界の意思に肉体の主導権を奪われ、ここに追いやられてしまったのだ。
外界の様子を感じ取ることはできなかったが、ここで結芽は自分の過去を追体験していた。
記憶は百合やリリィが手を加えているのであまり信頼できないが、魂には記録が残されていたようなのだ。
記憶が投影されたスクリーンを前にした結芽が少し意識すると、映画館のような椅子がどこからともなく現れる。
明晰夢のような状態らしいことに気づいた結芽は、ついでにポップコーンやコーラも出現させ、記憶の一人鑑賞会を始めることにした。
「このころはまだ、普通の子供だった……よね?」
乳児期と幼児期の記憶には特に驚くようなことはなかった。強いて言うなら、ベビーベッドを破壊して脱走しようとしていたことくらいだろう。
柵を何本かへし折った所で舞に目撃されて告げ口されてしまったので失敗に終わったが、当時から怪力は持っていたのだ。
幼稚園のクラスメイトと度々喧嘩騒ぎを起こすこともあったが、それも取り立てて騒ぐほどのことでもないだろう。
倍速再生で雑に流していくと、すぐに小学生の頃の記憶に突入したので、一度等速に戻した。
それはちょうど、九年前。結芽が一年生の夏前ぐらいの時期のこと。東京都心――現在の旧都心上空に最初の裂け目が現れ、黒奴に自衛隊が壊滅させられた日のことだった。
『お姉ちゃん、それ、何?』
『えっ……あ、いや、何でもない!』
知らぬ間に枕元に落ちていた百合の花を模した髪飾りを、舞は結芽から隠すように引き出しに仕舞った。
泡沫家の住宅は旧都心から離れた場所にあり、魔力の影響を受けるには遠いはずだった。しかし、舞には特別な才能があった。
「せめて私と同じように、傍観者であってくれれば……って、当時は思ってたっけ」
まだ、百合と出会う前のことだ。このときから結芽は、舞へのコンプレックスを一層拗らせていった。
結芽たちの両親は、良い親だった。下の娘の奇妙な怪力を目にしても怯えず、上の娘が魔法少女としての力に目覚めても変わらずに接していた。
だが、二人を平等に扱えというのは厳しい話だっただろう。何せ、舞は魔法少女として活動していたのだ。当時まだ、協会はおろか汎用魔法という概念すら無かった状況で。
怪我をして帰ってくれば、テストで100点を取ったと言ってはしゃぐ結芽を無視して手当をしようとするだろう。
結芽もそれは、頭では理解していた。姉は特別な子で、自分は普通の子なのだと。大切な子であることは平等でも、差が存在するのだと。
納得できるかどうかは別として。
「……ああ、そっか」
それから日々は流れ――六年前。
「私がお父さんとお母さんを殺したんだ」
「それは違うよ、結芽ちゃん」
声がして、後ろからそっと抱きしめられた。椅子の背もたれはいつの間にか消えており、リリィのぬくもりを直接感じることができた。
結芽は言いたいことも聞きたいことも山ほどあったが、今はいつの間にか家のテレビに変わっていたスクリーンに映る記憶の続きを眺めることにした。
あの日、あの時、結芽の記憶が正しければ、母と夏物の服の話をしていたはずだ。結芽は、リビングのソファに座って、テレビを眺めていた。父は、ダイニングテーブルの方で新聞を読んでいた。
『結芽は、舞と同じデザインでいい?』
皿を洗いながら、母が尋ねる。そこには悪意も何もない。ただ、姉とお揃いの方が喜ぶと思ったのだ。なぜなら、ずっとそうだったから。幼いころから結芽は、舞の後ろを追いかけ続けていたから。それに、父は何も口を挟まない。
結芽は、その方がお母さんたちが喜ぶからと、そうしていただけだった。
『……どうして』
凄まじい音がして、両親が慌てて結芽に視線を向ける。リビングのテーブルが真っ二つに割れていた。
壊れたテーブルを踏みつけて、さらに細かい破片に変えながら、結芽は地団駄を踏む。
『どうして、どうして、どうしてッ!!』
『ゆ、結芽!?』
皿を置き、流しの水も止めずに母が駆け寄る。だが、結芽の背後には既に裂け目が生まれていた。
『どうして私を見てくれないのッ!?』
母が最期に何と言ったのか、結芽には分からない。記憶にもそれは残っていない。だが、裂け目から現れた黒奴から庇ってくれたことだけは、確かなことだった。
黒奴の魔術で焼かれる母を、結芽は呆然と眺めていることしかできなかった。そんな結芽を抱えて、父は逃げようとする。
しかし、黒奴の爪が父の足を切り裂いた。
『結芽ッ……すまない、結芽……!』
なぜ、謝るのか。なぜ、今なのか。なぜ、両親が殺されているのか。
結芽には何も分からなかった。分かるのは、自分が致命的な何かを間違えてしまったことだけ。
戴冠した結芽は、黒奴を消し飛ばし、慟哭した。幸いにも、飛び帰ってきたリリィがすぐに冠を破壊したのでそれ以上の被害は出なかった。
焼け跡から見つかった身元不明の燃えカスの正体は、この戦闘時に千切れ落ちた結芽の一部だったのだ。
「……これでも?」
「それでも」
舞は正面から、結芽を強く抱きしめる。
「結芽ちゃんは、私の妹だから」
優しく撫でられて、結芽は静かに涙を流す。
「……ここ、私の魂の中だよね?」
「うん。編集で新しく魔法を作って、来ちゃった」
「複製じゃなかったんだ……」
リリィの本来の専用魔法がここで明かされたが、別に結芽は興味がなかったので適当に流す。そして、ようやく感じ取れるようになった外界の状況に意識を向ける。
外では、戴冠した結芽が暴れ回っていた。意識を分割しているのか、相手をしているのはリリィだ。しかし脳の処理が追い付かないのか、動きにキレがない。
結芽は、泣きそうな声で、囁くように言う。
「……私を動かしてるのは、もう私でも世界の意思でもない。あの時、私は世界を呪ったから」
「大丈夫だよ」
「私をここで壊せば、これ以上お姉ちゃんも、誰も、もう苦しむ必要はなくなる。分かるでしょ?」
「大丈夫だから」
「何がッ――!」
舞は変わらず、優しく微笑んでいた。
「二人なら、なんでもできるよ」
舞に差し出された手を、結芽は――




