最終話 歪んだ日常
少女が寝ていた。
夏休みはとうの昔に終わり、新学期が始まってしばらく経っているというのに、やる気の欠片も感じられない寝たフリを決め込んでいる。
それもそのはず。昨日、旧都心の一角を瓦礫一つ残らない更地に変えた張本人が、怪我どころか疲労の一つも残さずに登校しているのだから。……単純に、どんな顔をすればいいのか分からないのだ。
突っ伏しながらも、無言の話しかけるなオーラを放つ少女――結芽の周囲数メートルからは、クラスメイトが自然と離れていった。桔梗と鈴乃ですら、声をかけるのを躊躇うほどだった。
そんな結芽に、物怖じせずに歩み寄る影が一つ。
「……窓辺の席になったら、朝は窓を開けてくれと、頼まなかったかい?」
「……お、おはよう……」
「うん、おはよう」
風ジャンキー、麻布 千風だ。魔法少女としての成長はトラウマの克服とイコールとはならず、彼女は今も部屋に常に風の流れを求めている。
昨日の大騒動についての言及以上に、教室の窓が開いているかどうかが、彼女にとっては重要だったのだ。
とはいえそれは口実であり、窓を開けた千風はそのまま壁に寄りかかり、黙って結芽を見つめていた。
ふと結芽は、千風が認識阻害を解除したことを理解した。
先ほどまでは認識できていなかったが、千風は右腕と左足にギブスを巻き、全身の至る所に湿布や絆創膏なども貼っていることに気づけたのだ。
なおのこと言葉が見つからず、結芽は目を逸らしそうになる。しかし千風の左手が頬に添えられ、視線の向きが強制される。
「君の選択に対し、私から言えることは一つだ」
千風が手招きすると、美音や伊呂波、紬義が結芽の席を囲む。
「知って欲しい。君が何を選び、その結果が何をもたらしたのか」
「アタシは別に、これからも黒奴を潰し続けられるなら――もがっ」
「ごめんなさい美音さん……今、多分そういう話じゃないので」
「……何であれ、私たちがここにいるのも、君がここにいるのも、君の選択の結果だ。忘れないでくれよ」
誰もかれもが、酷い怪我を負っていた。混乱を避けるためか、認識阻害を使っているようだが、結芽に対してだけは解かれていた。
結芽は、何も言うことができなかった。
「オレからすりゃ、言えるのは感謝だな」
昼休み。逃げるように屋上にやってきた結芽は、鉄子に遭遇した。今日くらいは、いないと思っていたのに。結芽はすぐに別の場所に行こうとしたが、魔法まで使われてしまえば逃げようがない。
魔力を扱えなくなった結芽には、魔法に抵抗する手段はない。感情が過剰に昂ればまた世界との接続が復活するかもしれないが、その場合はいついかなる時でもリリィがやってくる。
ゆえに大人しく鉄子の前で正座する結芽だったが、鉄子の口からは恨みの一つも出なかった。
「過去ってのは、そう簡単に割り切れるもんじゃねェ。テメェと、リリィと、ブラックリリィ……テメェら三人が知らねェ間に世界だなんだと争ってる間に、勝手に時間制限を設けられたオレらは、否が応でも向き合わなくちゃいけなかった」
鉄子の手には、一枚の写真があった。アイアンともう一人、見知らぬ魔法少女の写った写真だ。
「……ブックマークには恨まれてるだろうが、アイツも直接的な手出しはしねェだろ。誰もかれもが、向き合うことを恐れた結果だからなァ……」
ガシガシと、鉄子は雑に結芽の頭を撫でた。髪型が崩れてしまったので、結芽は器用に片腕だけ拘束から抜け出させて直す。
世界との接続を絶ち、冠状器官を被っても何ともなくなった結芽だが、身体能力は据え置きなのだ。拘束を力技で捻じ曲げたのを、鉄子は見逃していない。
鉄子がため息をつきながら拘束を解除すると、結芽はこれ幸いとばかりに逃げ出した。
鉄子の魔法では補足できない速度でそのまま校舎内に繋がるドアを開けて――結芽はその先で待ち構えていた翡翠に捕まった。
脇に手を入れて持ち上げられてしまうと、結芽にはもうジタバタと手足を動かすことしかできない。そしてそれは、魔力で強化された翡翠の身体能力の前には無力だった。
「ブック、リコリス、ブラックリリィ……向こうの人たちは皆死んだよ。生と死が反転したんだって。こっちの魔法少女も、少なくない被害を受けた。ほとんどは、ブラックリリィの二つ目とやらが始まって、君とリリィが戦う前にやられた子たちだね」
結芽の足が宙に浮いたまま、翡翠は話し始める。その間、逃げたいという感情と、逃げてはならないという感情がせめぎ合って、結芽の手足は動きを止めていた。
「……まあ、私から言えることは何もないかな。君とは、そんなに関わってこなかったし」
翡翠はそっと結芽を床に下ろすが、逃がさないようにその両肩に手を置いた。そこまでせずとも、この状況で逃げようとはしないのに。
結芽は、じっと見つめてくる翡翠の目を見つめ返す。目を逸らすことは、犠牲になった彼女たちからも目を逸らすことになる。
「でも、君のことを全然知らない魔法少女を代表して、一つだけ」
結芽はまだ、自分の選択が正しかったかどうか、確信を持って言うことはできない。
しかし、いずれは言えるようにならなければならない。翡翠の言葉を聞いて、なおさら結芽はそう思った。
「忘れないで。この平和に見える日常の影に積み重ねられた、屍の山を」
肩から手が離れると、結芽は覚束ない足取りで屋上を後にした。
学校を抜け出して家に帰る途中、結芽は覚えのある人を何人も目にした。
廊下を走る結芽を咎めずにただ見つめてくる生徒会。
校舎の窓から結芽を見下ろす飛華里。
あちらもサボっていたのか、偶然にも出くわした夢唯と結唯。
以前和菓子屋で遭遇した金髪の女性。
新都心で共に騒動を切り抜けた麗。
他にも、旧都心で見かけた魔法少女に似た人々を、道中で目にした。それらから逃げるように、結芽は足を速める。
家にたどり着いた結芽は鍵を開け――ようとして、鍵がかかっていないことに気づく。
今日、舞は西の方で仕事があると言っていたので、夜には帰るがこの時間はいないはず。一葉と透葉も、小学校まで送ったのを覚えているのでいるはずがない。
結芽は音を立てないよう慎重にドアを開き、玄関の靴箱からバールを取り出す。いざとなればこれで何とかするようにと、舞が今朝編集で再現した魔力付与をかけてくれた代物だ。結芽ならば、頑張れば魔法少女も仕留められる。
最悪のケースも想定しつつ、ゆっくりと物音のするリビングに近づいていき――
「……」
「……」
「……」
無言でレースゲームをする三人の少女を発見した
「……」
「……」
「……」
一人が甲羅を放ち、もう一人がバナナの皮を投げ、集中砲火を受けて最下位に転落した一人は他二人に対しリアルの方で制裁を加える。
結芽はしばらく状況を理解できなかったが、しばらく記憶を探ると以前姉が家に招いたことのある人たちであることを思い出した。
すなわち、魔法少女であると。
魔法少女三人が魔法まで持ち出してレースゲームに熱中しているのを眺めていると、ようやく三人のうちの一人が結芽に気づいた。
「ん、おかえり。お前の姉に留守番を任されてるだけだから、気にせずくつろいで」
「あっ、おかえりー! 勝手にケーブルとか借りちゃったけど、大丈夫? 大丈夫だよね! お詫びにセキュリティは高めておいたから許して!」
「お邪魔しているわ。でもごめんなさいね。ちゃんと挨拶したい所なのだけど、まずはこいつらを叩きのめさなくちゃ気がすまないの」
書置きによれば、ローズとコンピュータとアンブレラを呼びつけたらしい。いくら結芽を保護するためとはいえ、贅沢な人選だ。
しかしコンピュータの情報統制がなくなってから、ネットには魔法少女のものらしき書き込みや協会関係者からの情報漏洩が相次いでいた。このくらいしないと危ないのだろう。
もっとも、結芽は気まずさから、手を洗ってすぐに自室に閉じこもってしまったのだが。
制服から適当な服に着替えて、結芽は布団を頭から被る。
今日、かけられた言葉、見たもの、向けられた視線。全てがぐるぐると結芽の頭の中を回る。
「……あのとき、手を取らなければ……」
旧都心の上空には、今も裂け目が残っている。今日もどこかに、黒奴が現れる。今日もどこかで、誰かが殺される。
そんな未来を望んだのは、結芽だ。
わけもわからず力に目覚めただけだったかもしれない。自分の選択が世界に影響を与えるようなものだと知らなかっただけかもしれない。選ばなければ、よりよい今日が訪れていたかもしれない。
それでもこんな今日を望んだのは、結芽だった。
結芽があの場で大人しく殺されても、世界の意思は日本を滅ぼすために新しい結芽を生み出していただろう。
そしてリリィが結芽を殺さなければ、日本は壊滅的な被害を負っていたはずだ。ただでさえ魔法の力に頼って文明を維持しているというのにそんなことになれば、この国は国としての形を保てないだろう。
だが、舞と結芽が手を取り合って、世界の意思を跳ねのけた所で、何の解決にもならない。
明日がどっちかは分からない。戦いは終わらない。
「……お姉ちゃんの晩ご飯の準備しなきゃ」
それでも今日を望んだ彼女は生きる。屍の山の上で、歪んだ日常は流れていく。




