第九十六話 姉妹喧嘩
泡沫 舞は幼いころ、妹の結芽をずっと不気味に感じていた。似たように、結芽も舞を嫌っていた。表面上は仲のいい姉妹を装っていたが、互いに互いを異質なものとみなしていたのだ。
舞には特に、この仲良しを装っていた所が不気味でならなかった。舞は当時から人よりも秀でている自覚があったので、妹が自分に向ける視線に含まれた感情くらいすぐに見抜いていた。
妬み嫉みがあるのは仕方のないことだと舞は理解できていたので、それだけならば気にならなかった。そんな感情を向けておきながら、仲良く振舞おうとする結芽のことが、さっぱり理解できなかったのだ。
昔の結芽は滅多なことでは笑いも怒りもしないので何を考えているのか分からなかったし、鍛えている素振りも何もないのに見た目にそぐわない怪力の持ち主だったということも、舞の感情を助長させた。
「――そういえば、言い争うことはあったけど、こうして殴り合うのは初めてかもね」
「……!」
音速を超える速度で飛行し、ソニックブームで旧都心の瓦礫を吹き飛ばしながら、二人は空中で肉弾戦を行っていた。
空中戦は魔法での飛行に慣れない結芽が不利だが、肉弾戦となると九年の実戦経験を持つリリィでも結芽のセンスに敵わない。結果的に、互角の戦闘が空中では繰り広げられていた。
水平に飛びながら身をよじり、回し蹴りを浴びせる結芽。これ以上速度を上げると旧都心の外まで被害が及ぶか戦闘中の魔法少女が危ないので、リリィに速度を上げて回避するという選択は取れない。
しかし受け止めるには、結芽の攻撃はあまりに重い。ゆえにリリィは魔力防壁を斜めに張り、軌道を逸らして対処した。複製した軌道予測まで用いて、確実に逸らせるようにする徹底ぶりだ。
だが結芽は、この程度の攻撃が簡単に当たるはずがないと最初から分かっていた。ゆえに、張られた結界を足場にして破壊しつつ、距離を取って瓦礫の影に隠れる。
魔法を十分に扱えない結芽が相手なら、中距離以上からの撃ち合いは自分に分がある――なんて甘えた考えを、リリィは持っていなかった。
だからこそ、廃墟となったビルの隙間から光が瞬いた瞬間に回避が間に合った。このくらい、結芽ならやるだろうと理解していたのだ。
回避によってリリィの体勢が崩れた隙に結芽は再び肉薄するが、確実に殴ったと思った影は風に乗って消え去った。
複製によって発動された、非現実だ。結芽は稲妻を弾けさせて魔法の効果を消し去り、上空から自分を見下ろすリリィを睨み返した。
「……やっぱり一筋縄じゃいかないよね、お姉ちゃん」
「結芽ちゃん……今ならまだ引き返せるよ」
「誰がどうやって、どこに引き返すの?」
結芽は旧都心にたどり着くまでの過程で、リリィが自分の記憶を封印したことを思い出し、その理由について客観的に考えることができていた。
生まれたときから、結芽には力があった。乳児のころには赤ちゃんベッドの柵を破壊して脱走し、幼児のころには幼稚園の先生を腕相撲で負かし、小児のころにはいよいよ誰も手が付けられなくなった。
結芽は自分を人間だと思って生活していたが、次第に何かおかしいことに気づいていった。力を込めて物を壊すというよりも、壊そうと思った物を壊していることに気づいたのだ。
そのとき既に、半分くらいは答えに近づいていた。しかし結芽自身がそれを認めようとしなかったので、事実が明るみになったのは五年前のことだった。
「私は黒奴が魔法少女に邪魔されて目的を達成できなかったときのための、保険みたいなものなんでしょ? お姉ちゃん……ああ、いや、この場合はリリィって呼んだ方がいいかな?」
「……やめてよ」
「どうして? こうなっちゃったからにはもう、道は一つしかないって分かってるでしょ?」
「やめてってば!」
五年前、黒野 百合が企てた反乱の目的は魔法少女の戦いを終わらせることだったとされているが、彼女にとってそれは手段でしかなかった。
日本が十分に破壊されれば、裂け目が閉じれば、魔法少女の役目が――黒奴の役目が終われば、結芽の役割は消える。
そのためだけと言えばそれまでだが、彼女は結芽のためにそれだけのことをしでかしたのだ。結芽が誰も殺さなくてもいいように、彼女がその手を血で染めたのだ。
「ちゃんと私を使ってよ。私の意思が残ってる間に。世界を滅ぼすのか、私を殺して……仮初でも平和を享受するのか。……選んで」
だが百合の計画は失敗に終わった。今、再び結芽は戴冠し、日本は滅ぶか先延ばしになるかの瀬戸際に立たされていた。
泡沫 結芽は黒奴と同じ役割を持って生まれてきたのだ。バランスが壊れかけた世界を整えるために、人類を減らす役割を持って。
ゆえに自分の体や心ではなく、世界の意思に動かされてここまで来させられた。ここで暴れれば、大勢の魔法少女を始末できる。そうすれば、世界のバランスは保たれる。世界はそう判断したのだ。
黒奴に日本を滅ぼせなかった以上、戴冠はもはや避けられないことだった。結芽にできるのは、意識を乗っ取られないように抵抗しながら、最期の喧嘩をするくらいだった。
「……できない!」
結芽にできるささやかな抵抗は、冠を通じて支配を強めようとしてくる世界の意思を突っぱねて力だけをかすめ取り、最期の喧嘩に臨むくらいのものだった。
しかしこれも、そう長くはもたない。リリィが選ばなければ、結芽は完全に結芽だったものに成り下がり、誰も幸せになれない結末しか訪れないだろう。
にもかかわらず、リリィは今も本気で結芽を殺そうとはせず、結芽を自由にしようともしない。
煮え切らない態度のリリィに、結芽は容赦なく拳を叩き込む。鳩尾にクリーンヒットした拳に稲妻が纏わつこうとするが、その前にリリィを蹴り飛ばしたので稲妻が当たることはなかった。
結芽の魔法の稲妻は、全てを破壊する。効率的に人類を減らすために世界が用意した、問答無用の裁きの光なのだ。
視界の限りが射程になるうえに、魔法なので物理的な防御は意味をなさず、魔法さえも破壊してしまうので防ぎようがない。体の制御は半分くらい世界に奪われている結芽が魔法の制御だけは必死にしている理由がこれであった。
結芽は最期に喧嘩がしたいだけで、誰かを殺したいわけではない。リリィも、誰も。
だからこそ、未だに防戦一方のリリィが結芽は気に食わないのだ。
「私の、最初で最後の晴れ舞台なんだからさあッ!」
ビルだったものの壁に半ば埋まったままのリリィに肉薄した結芽は――上から何かが接近してきていることに気づき、背後に向けて回し蹴りを放った。
「やぶれかぶれだね。いつもの結芽の方が、まだ勝機はあったんじゃない?」
魔力で強化された足は、透明な刀に受け止められた。そして、それによって生じた一瞬の硬直の隙に、腕に種子が撃ち込まれる。
「開花。……覚えてないと思うけど、一度貴女は私に負けてる。抵抗は無意味」
魔力をごっそり持っていかれたことで世界の意思が弱まり、結芽は浮遊魔法を維持できなくなって落下する。
「……なるほどね、観客を集めてたんだ」
「皆、演者だよ。結芽ちゃんのデビューステージのね」
落ちた先で待ち構えていたのは、数十人の魔法少女たちだ。リリィが招集した魔法少女たちだけではなく、ブラックリリィが集めた魔法少女たちもいる。
その全員が、結芽に向けて武器を構えている。結芽は久々に、血が滾る感覚を覚えた。




