第七十八話 お姉ちゃんの妹
その後も結芽は百合に連れられて、世界の各地を巡った。
アマゾンに浸食された南アメリカ。縦に伸びて天を衝くウルル。氷が残らず溶解した南極。溶岩で包まれたハワイ。巨大な足跡だけが残った東南アジア。
黒奴の爪痕ははっきりと、深々と、痛々しく残されていた。百合たちがうまく調整したのか、魔法少女と鉢合わせることはなかったが、戦いの跡は未だに鮮明だった。
「でも、どこもかしこも数年前に裂け目は閉じてるんだよね」
そう、跡だけが鮮明だったのだ。過去の痕跡はいくらでも見つけられたが、なぜか最近のものらしき跡は無かったのである。
結芽は、百合たちがそういう風に案内しただけだとは考えなかった。各地の人々を見て、言語は分からなくとも終戦ムードということだけは理解できたのだ。
「日本だけが、終わらない戦いに身を投じてる。私たちだけが、ずっと苦しみ続けてる」
「私はそれもいいと思いますが……ええ、分かっていますとも、百合。私は全面的に貴女の計画に賛同していますよ」
「……計画って、何ですか?」
百合が指を鳴らすと、そこは結芽の家の、舞の部屋だった。部屋くらいは自分で掃除すると言って聞かないので、結芽は滅多に立ち入らない場所だ。
勉強机の上には、何かの資料が散乱している。百合はそのうちの一枚を眺めて、鼻で笑った。
「黒奴防衛都市計画ね……際限なく襲ってくるのに、どう対処しようってのかな」
「……随分と確証を持ってるみたいに言いますね」
「知ってるもん。――黒奴もモチーフも、死んだ人間の魂から生まれるんだよ?」
足元に裂け目が生まれ、抗うこともできずに呑まれる。九年前から科学、魔法の両面から、あらゆる手段で向こう側を調査しようとして、悉く失敗してきた場所に、結芽はいた。
裂け目の向こうに落ちたらどうなるかを知る者はいない。どんな方法を使っても、向こう側に入った瞬間に忽然と消えてしまうのだ。
だが、結芽の意識は確かにあった。百合が何かしたおかげか、あるいは――結芽が完全に落ちないように手を掴む舞のおかげか。
「結芽ちゃんを返して。そして死んで」
「おお、怖い怖い」
舞は結芽の手を掴むが、なぜか引き上げることができない様子だった。百合の魔法か、裂け目の力か。状況を理解できない結芽の所まで、百合は戻ってくる。
「結芽、一緒に来ない? この無意味な戦いを終わらせたいとは思わない?」
「結芽ちゃん、耳を貸しちゃダメ。戻ってくるって言って」
「……無意味って、どういう意味なんですか。いい加減私の質問に答えてください」
「結芽ちゃん!」
舞は結芽の手をしっかりと握るが、結芽は下へと引っ張られてしまう。百合はほくそ笑みながら、ようやく結芽に説明を始めた。
「裂け目のこっち側は、あの世って呼ばれるような場所なんだ。この世界に生きるものが生まれ、還る場所。それがここ」
裂け目とはつまり、あの世とこの世の境目が曖昧になってしまった結果生まれるものなのだと、百合は語る。
舞が口を挟まないということは、おそらく事実なのだろうと結芽は判断する。それと自分が置かれた状況に何の関係があるんだと、結芽は無言で睨んで百合に話を続けるように催促した。
「……人類は進化の過程で、この世界のバランスを崩し過ぎたの。あるとき――九年前に、ついに世界の方がそれを修正しようと動き出した」
死んだ人間の魂を黒奴という形に変え、世界がそれを人類に仕向けた。俄かには信じがたいが、舞はやはり何も言わない。知っていた、ということだろうか。
モチーフの正体は、僅かに残っていた未練や、黒奴になることへの反発で、裂け目からこちら側に渡って来た魂が変化したものだとも百合は話した。
その話を聞いて、通りで魔法少女は悉く暗い過去を背負っているものだと、結芽は勝手に納得していた。
「それで、百合さんは私に何をさせようとしているんですか?」
「……はあ。もういいや」
しかし、続きが語られることはなかった。先ほどまでの熱心な勧誘は何だったのか、百合は結芽に背を向けると、傷だらけになりながら裂け目の奥から戻ってきたリコリスと合流する。
「結芽、最初から手伝うつもりなんてなかったみたい」
「貴女の見当違いだったと?」
「うん」
ようやく舞は結芽を裂け目から引きずり出すと、奪い返されないようにしっかりと抱きしめた。変身し、その身に秘めた膨大な魔力で威嚇しながら。
結芽は残念そうに見つめている……と思われる百合を冷淡な目で見下ろしながら、舞の体温を確かめるように体を擦り寄せて言い放つ。
「当たり前じゃないですか。私はお姉ちゃんの妹ですよ?」
最早結芽は百合のことを見向きもしていなかった。舞と正面から抱き合い、そのままうたた寝でもしそうな勢いである。
怒涛とシスコンアピールに、リコリスはドン引きだった。そしてドン引いていることがバレて、再び舞に撃墜されていた。
百合はその姿を見て、悲しそうに問いかける。
「……その感情が、元は憎しみだったとしても?」
反転なる専用魔法があるらしいことを、結芽はあの港町でロータスに教わった。それについてあれこれ考えてみたこともあった。
おそらく百合がその魔法の使い手なのだろうと、今日一日の旅の中で予想はできていた。過去に使ってもらったことがあったのだろう。
だが、あの港町で三十秒ほどじっくり考えて、結芽は結論を出していた。
「それが何か? 今だって少なからず憎んでいますが、それはつまり元から多少は愛していたということでしょう?」
過程がどうあれ、愛憎の実態がどうあれ、今の泡沫 結芽は心の底からお姉ちゃんっ子なのだ。舞が自分のことをどう考えているのかすら、結芽にはどうでもいいことだった。
その返事に満足したのか、舞はさらに強く結芽を抱きしめる。幸せそうに、結芽もそれに答える。
そこに、かつて姉との関係に悩んでいた少女の姿はなかった。百合はつまらなさそうに後ろを向き、リコリスの手を取る。
「行きましょうか」
「リリィ……覚悟しておいてね」
「結芽ちゃん、今日はお風呂一緒に入ろっか!」
「えー、お風呂は流石に恥ずかしいというか、流石に狭いというか……」
「リリィ!」
「あーあー聞いてる聞いてる。ま、せいぜい足掻いて見せなよ」
舞の適当な言葉に怒ったのか、それとも舞らしいと諦めたのか、百合は何も答えずに、裂け目と共に消えていった。




