第七十四話 日常の終わり
何の説明もされずにルーペが退席させられた後、ドールたちは治療を受け、それから協会の一室を借りて休むことにした。
一般的なリビングのような構造の部屋につくなり、ドールはソファに寝転び、ファンは窓を全開にして黄昏れ始める。
ボウとガンは珍しく身を寄せ合って部屋の隅に縮こまっており、アイアンは不機嫌そうに椅子に座って頬杖をついている。
ジェードは玄関にあたる部分から部屋には入らずに、その様子を見ていた。
「……アンタも入って休みなさいよ。知ってて黙ってたってだけでしょ? 誰だってそうするわ。アタシがアンタならそうしてた」
「それは……口止めされてただけで……」
「なら猶更黙って正解だったのでは? アイアンが余計なことをしたから拗れてるんですよ」
「ボウ、ちょっとは空気読もう?」
ガンはボウのあんまりな言いぐさを咎めるが、アイアンも掴みかかってしまったことについて思う所があったらしい。
アイアンは申し訳なさそうに椅子から立つと、玄関で俯いていたジェードを無理矢理引っ張って隣の席に座らせた。
「……オレはテメェを責めたかったわけじゃねェんだ。ただ……その、冷静じゃなかったってだけで……」
「……うん、分かってる。殴られても文句は言えない状況だったもん」
「アンタを殴ったやつがいたら息の根を止めてたわ」
「ドール、一度寝るかい?」
「さっきもう十分寝たわよ」
黒奴の正体は、何らかの過程を経て変異した人間だった。その事実は、これまで積極的に黒奴を討伐してきた黒奴殲滅委員会にとっては特に重い事実だった。
裂け目の向こうがどうなっているのか、なぜ人間が黒奴になるのか。それはコンピュータたちにもまだ分かっていないらしい。
しかしだからといって、これまで黒奴殲滅委員会が討伐してきた黒奴が無くなるわけではない。
「……黒奴の正体が何であれ、アレが今の人類の敵ってことに変わりはない。……違うかしら?」
「そうは言ってもドール……できるのかい?」
「……」
ドールとファンは、黒奴への復讐を原動力として活動してきた。それは今も変わらない。友達のためだとか、仲間のためだとか、他の要素が混じっても軸は変わらない。変えられない。
それが今、揺らごうとしていた。
黒奴との戦いは、最初に黒奴が現れてから九年経った今も終わる気配を感じられない。
人間が黒奴になるなら、もしかしたら、人類が滅びない限り戦いは終わらないのかもしれない。
魔法少女をやめるという選択さえも、ドールの頭には浮かんでいたのだ。
「い、一度帰ってから考えるべきじゃないですかね! 皆さん疲れていますから、ぐっすり寝てから明日のことを考えましょう?」
ガンが努めて明るくそう言うと、ボウが袖を引いて言った。
「……帰るよりはここに泊まった方が落ち着くんだけど」
「じゃあ私もここに泊まる! そういうことですから、ね!」
半ば追い出されるような形で、ドールたちは協会の建物を後にした。一人で泊まるつもりだったボウは最後まで抵抗していたが、ガンには敵わなかった。
翡翠と鉄子とは路線が違ったので、美音たちは二人と駅で別れる。駅のホームで電車を待つ間、美音は千風の手をずっと握っていた。
「……これから、どうすればいいのかしらね」
「……今は考えることじゃないよ。帰って、休んで、君に関して言えば消耗した理性を回復させてから、ゆっくり話し合うべきだ」
「――ああ、やっぱり何かあった感じなんだ」
聞きなじみのある声が、後ろから聞こえる。今日の騒ぎの中心とも呼べる人物の声だ。駅は避難先から戻ってきた人々の話し声で騒がしいが、聞き間違えるはずがない。
「結芽さん!?」
「結芽、アンタ――何でそんなにボロボロなのよ!?」
振り向いた先にはやはり、泡沫 結芽がいた。ただし体中に土埃が付き、服には木の枝や枯れ葉などが引っかかっているのだが。しかも、眠っている見知らぬ子供を小脇に抱えている。まるで意味が分からない。
しかし結芽は森から来たとしか説明せずに、逆に二人に何があったか尋ねてきた。確かに、手当を受けたとはいえ二人は服の所々から包帯や湿布が覗いており、明らかに何かがあったという様子だ。
だがこちらも結芽と同じく説明できることとできないことがあるので、新都心で色々あったとしか言えなかった。
「ジェード……翡翠が慌てて飛び出したものだから何かあったんだろうとは思ってたけど、相当色々あったみたいだね」
「えっ、翡翠とって……一緒にいたの?」
「翡翠、墓参りとか言ってなかった? そこにちょうど私のお父さんの実家があって、この子絡みでお世話になったんだ」
「……ちなみにその子は?」
「厄ネタの塊」
「そんな中臣鎌足の聞き間違いみたいに紹介されても分かんないわよ」
透葉のことを説明すると変なことに巻き込んでしまいそうだと思った結芽は、それ以上は語らずに都合よく到着した電車に乗った。
電車に乗ってからしばらく無言で揺られていたが、不意に結芽が口を開いた。
「それで、何を聞かされたの?」
「っ……アンタ、知ってるの?」
「さあね」
「アンタも知ってたっての!? 黒奴が元は人げ――」
美音が口走りかけてすぐに千風が認識阻害を発動させ、物理的に口を塞いだが、結芽の優れた聴力はしっかりと聞き取っていた。
当然ながら結芽は、新都心で起きていたことなど知らない。だが何かがあったとすれば、美音が理性をすり減らしてきていることくらい容易く推測できる。
適当にカマをかければ、簡単に口を割ってくれるだろうと考えたのだ。まさかそんなことを知らされていたとは想定外だったが。
衝撃の事実にも関わらず、黒奴と似たようなものになったことがあるからか、結芽は案外冷静だった。
「結芽さん、今のは……!」
「そっか」
結芽はそれ以上何も言わなかった。誤魔化すのは不可能だと理解した千風はジェードやアイアンに連絡を取ったが、知られてしまったことに変わりはない。
ドールは状況を理解すると、これ以上余計なことを言わないようにと、自分に人形操糸を使って強引に気絶した。
しかし、それは悪手だった。この状況で二人は、結芽から目を離すべきではなかった。
電車に透葉を残したまま電車を下りた後、結芽は行方知れずとなった。




