第六十五話 緊急事態
引き裂かれ、砕け散った冠状器官。視線を上げると、そこには見覚えのある魔法少女が立っていた。
「『鋏』の……!?」
「おっと、それ以上は言わないでくれたまえ。これでも必死に表に出ないよう気をつけて活動しているんだ」
「だ、誰!?」
「……ふむ、ジェードさんは知らないのか」
巨大な鋏の片割れを床に突き刺した、ゴスロリ調のコスチュームの魔法少女。「鋏」の魔法少女シザース。以前冠状器官を使ったときは手出ししなかったのに、なぜ。
ジェードはシザースがリリィに雇われ、秘密裏に結芽の護衛をしていることを知らない。ゆえに、結芽の困惑を新手の魔法少女への警戒と受け取ったのか、すぐさま翡翠輝石を発動して二人の間に薄緑色の石柱を生やし、分断する。
「おっと、びっくりした。実際に見ると発動速度に驚かされるね」
「っ……!」
しかし、僅かな魔力の反応と同時に、シザースはジェードの後ろに回っていた。それを見て動揺はするが、ジェードは専用武器の大盾を即座に生成して殴りかかる。
それを前に、シザースは動かない。
「……敵対の意思はない、と言って信じてくれるかな?」
「……貴女、誰?」
「黒奴を倒しにきた、ごく一般的な魔法少女さ。火力が足らないなら、早くそこから逃げるといい。幸い、私の魔法は黒奴と相性がいいんだ」
そこ、と言ってシザースが指さしたのは、天井に空いた穴だ。どうやら地上から強引にここまで入り込んだらしい。
ルーペを抱えて、ジェードは後ずさるようにシザースから距離を取る。それは追わないが、代わりに結芽の抱えていた和樹の白衣を鋏の先で引っかけて攫った。
当然ルーペは何か言おうとするが、痛みで声が出ない。和樹は抵抗せずに、鋏に吊るされる。
「……これが、ねぇ」
「君は……そうか」
和樹は一葉と透葉に視線を向け、何かを言いかけて、やめた。代わりに結芽に、一言だけ残した。
「……頼む」
「っ……」
その言葉に結芽が答える前に、シザースは空間を切り裂き、どこかへ行ってしまった。
少しして、黒奴の暴れる音は段々と遠ざかって行った。シザースが本当に黒奴と戦い始めたのだろう。
地下施設は崩れるのも時間の問題だったので、ジェードはすぐに結芽たちを抱えて地上へ出た。地上は普段とあまり変わらない様子だったが、地下の音は絶えず聞こえてきた。
見上げてみれば、雲一つない空にぽつんと、白い何かが浮かんでいた。
「……お姉ちゃん」
ジェードは結芽たちを抱えたまま、リリィに見つからないように森の中を飛んだ。
結芽の目でもリリィの姿が判別できないくらい十分に離れると、リリィが手を地面に向けた。その直後、山と森は地下の研究施設ごと更地になった。
多分、シザースはうまいこと逃げた後だったのだろう。しかしポッドで成長途中だった子たちや、施設に残された子たちはどうなったのか。
同じことが心配なのか、あるいは父のことが気がかりなのか、ルーペは呆然とリリィの所業を眺めていた。
「……リリィがこんな近くの施設を見落としてたとは思えない」
「……お姉ちゃんがわざと見逃してたって?」
「そうする価値があるなら、まるで未来でも見てるみたいに黒奴でも何でも利用するのがリリィだよ、結芽。魔法少女としての、貴女の姉」
確かに、あのときの結芽はまるで導かれたように金冠を使わされた。未来が見えているかどうかはともかく、妹である自分ですらリソースの一部として考えられている可能性はある。
それが事実なら悲しいが、世のため人のためであるなら我慢できる。だが、本当に世のため人のための行動なのか。
世のため人のためと称するなら、非人道的な研究所で無数のクローンを消費し続けるのをなぜ容認したのか。なぜあのとき冠を使わせて、今回はダメだったのか。
結芽には、姉のことがもうよく分からなくなっていた。
「……あ、ごめん。ちょっと下りるね」
しばらく無言で飛び続けていたジェードだったが、突然ブレーキをかけて地面に降りた。どうやら着信があったらしいのだが、携帯を開いたジェードは見たこともないような顔をしていた。
そして、怪我と疲労で変身も解けてしまった一葉だけを抱えて、再び魔法で飛び上がる。結芽たちは地上に置いてけぼりだ。
「ごめん。ちょっと大至急で新都心に行かなきゃいけなくなった。ルーペを病院に連れてくのが最優先だけど、二人を運ぶ余裕は無さそう」
「急いでるなら余計なおしゃべりもいいよ。透葉は私が送り届けるから」
「任せる!」
方角さえ分かれば、ここからでも家まで走って帰るくらい結芽には容易いことだった。協会の支部に置きっぱなしの荷物は、後で姉に頼めばいい。
「……わたし、これからどうすればいい?」
「とりあえずうちに来なよ。一葉が退院するまでは面倒見るし……頼まれた以上は、一葉のことも何とかする」
結芽は不安そうにする透葉の頭を撫でながら、携帯でネットニュースを調べる。ジェードが急いで向かわなければならない事態ということは、美音たちに何かあったということのはず。
となれば担当地区である新都心がまたしても大惨事になっているのは確実なので、調べれば出てくるだろうと結芽は考えたのだ。
予想通り、検索サイトに「新都心」と入力しただけで、「黒奴 最新情報」と出てきた。
予想外だったのは、「コンピュータ 情報統制」のサジェストまで表示されたことだが。
「あっちは始まったみたいだね……ジェードが着く前にダイヤモンドが合流してくれると、私としては嬉しいけど」
「……姐御、妹たちはどこですか?」
獣の気配すら感じない森の奥に、リリィとシザースはいた。リリィが複製でアンブレラの転移を発動させたので、シザースには今自分がどこにいるか分からない。
そして、和樹を回収してすぐに空間を切って撤退したので、黒奴と研究所の子供たちがどうなったのかも分からなかった。
「んー、想定よりも黒奴が近くにいたし、ポッドの電源とかも考えないといけなかったから、ちょっと雑に飛ばしちゃったんだよね。どこに飛ばしたんだっけな……」
「誤魔化すのなら、私は手段を選びませんが」
リリィが相手でも有効打を与えうる鋏の片割れを突きつけてシザースが問いかけるが、リリィは曖昧に微笑むだけ。
シザースは鋏のもう片方も手元に生成し、合体させて切りかかるが、どれだけ強力な魔法も当たらなければ意味が無い。
転移でも使ったのか、気づけば背後に回っていたリリィが、手刀で二回シザースの背中を斬りつける。
腕ごと胴体を切断されたような感覚の後、傷口を切り取られたことで無傷に戻されて、シザースは地面に倒れ込んだ。
「ッ……妹たちを保護すると、研究を止めさせると、貴女は約束した……!」
「そうだっけ?」
「ふざけッ――!?」
シザースは、リリィの指先から伸びた一本の魔力の糸を見た。それが何か理解する前に、シザースの意識は闇に包まれてしまったが。
「人形操糸……なかなか便利な魔法だね。気絶した人が起きるのを待つ必要もなければ、起こすために水をかけて溺れさせちゃう心配もないし」
「ぐあっ!? ここは……ゆ、『百合』のリリィ!?」
「要らないことに魔力を浪費したくないから、大人しく正直に質問に答えて」
「っ……わ、分かった」
リリィは専用武器である、百合の花弁をイメージしたようなデザインのグローブをつけて、何度か拳を握ったり開いたりを繰り返して見せた。
リリィの強さは、今やこの星に生きる人間ならば知らない者はいないほどだ。狂っていた時期の和樹ですら、その強さには恐怖を禁じ得ないほどだ。
正気に戻った彼からすれば、リリィは罪人を自発的に処刑しに来た断頭台のようなものだ。今はただ要求を呑み、祈ることしかできない。
「まず最初の質問。パトロンは魔法少女支援委員会?」
「……そうだ。最初は違う名前で近づいてきて……いや、何でもない」
魔法少女支援委員会。支援だの委員会だのと称しているが、実態は魔法少女を崇める宗教じみた組織だ。
随分と前にリリィがそれとなく黒奴を本部に誘導し、半壊させた組織でもある。しぶとく生き延びているのはコンピュータの情報網で察知していたが、実はここまでやるとはリリィも思っていなかった。
「罪は何が何でも生きて償ってもらうけど、次の質問。技術提供は誰に受けたの?」
「技術提供? 委員会は金と隠れ家をよこしただけだ。後は俺が……いや待て、俺はいつ、クローンの作り方なんてものを編み出した……? 裂け目を人為的に作り出すのもそうだ……何がどうなって……」
「ああ、無理に思い出さなくていいよ。どうせ全部反転させられてるから」
リリィはめんどくさそうに、人形操糸で再び和樹の意識を落とす。シザースも気絶しているので、木々が風で揺れる音だけが残った。
森をざわめかせる風に意識を集中すれば、微かに魔力を感じるような気がした。最強の異名を持つリリィでも、微かにしか感じ取れないほど微弱な魔力だが、確かにそこにある。
「……『黒百合』のブラックリリィ……てっきり死んだと思ってたんだけどなぁ……」




