第六十四話 誰のために
運んでやっているというのに、白衣野郎は実験のデータがどうのこうのと騒いで暴れる。破壊音はそれなりに遠ざかったので、結芽は白衣野郎をぶん投げた。
白衣野郎は受け身も取れずに床に叩きつけられるが、なおも来た道を戻ろうと這いずる。結芽はガラ空きの腹を蹴飛ばし、叫ぶ。
「やかましい! 暴れるな! 私はお前が死のうとどうなろうと知ったことじゃないけど、仮にもあの子の親なんだろ!? それなら戦いやすいように避難するべきでしょ!」
「こ、この施設の建造に、この研究に、我々がどれだけの時間と金をかけてきたと思っているんだ!」
「それがどうでもいいって言ってるの! 無駄な死体を増やすつもり!?」
「無駄なんかじゃない! 俺も、彼女たちも、いずれは多くの魔法少女の命を救う! 世の礎には、血と屍が必要なんだ!」
「誰かの犠牲ありきの世界なんて、滅びてしまえ!」
「今の世界も同じだろう!? リリィは最初から完璧だったわけじゃない! 今だって完全無欠ではない!」
「そのためにこの子に死ねって言うのか!!」
「ああそうさ!!」
結芽にとっては、一葉を悲しませないことと透葉に手を出させないことだけが、今重要なことだった。
一方で白衣野郎は、自分の命よりも研究の成果を未来に残すことが最優先だった。
自分の娘が黒奴の足止めをしていることは、白衣野郎にとってどうでもいいことなのだ。娘のクローンがいくら死のうが、構いやしないのだ。
結芽だって大概まともな倫理観をしていないが、狂っているわけでもない。お姉ちゃんが大好きで、友達は大事で、年下の子供は守るもの。そのくらいの常識は持っている。
「はあ……お前、本当に平和が目的なの?」
「それ以外に何がある! 量産型魔法少女が完成すれば、もう魔法少女が戦う理由など――」
「一葉が戦わなくていいように、じゃなく?」
「――!」
時間でも止められたかのように、白衣野郎の動きがピタリと止まる。都合が良かったので、結芽は白衣野郎が大人しくしているうちに抱え直し、再び走り始めた。
結芽の肩の上で揺られる間に、白衣野郎の頭の中では、忘れていた記憶が蘇ってきていた。
波並 和樹はかつて、とある大学で教授をしていた。まだ若く、自分の才能を信じていたころのことだった。
そして九年前、黒奴が現れ、日常は様変わりする。非科学的な力で侵略してくる敵と、同じ力で立ち向かう少女たち。
和樹は魔力の研究に駆り出された。既存の物理が全く通用しない、未知のエネルギーの研究に。しかし、頑張らないとという選択肢は最初から無かった。
魔力は若い女性の体に馴染みやすい性質がある。歳が二桁にも届かない子供が魔法少女として戦わないと成り立たない世界になっている。
それはつまり、生まれたばかりの和樹の娘も、魔法少女にならざるを得ない可能性があるということ。
黒奴に殺された妻の残した一人娘が、命懸けの戦いに赴かなければならないかもしれない。
ゆえに、和樹は研究に没頭した。娘の面倒は適当に雇った人間に任せ、ひたすらに魔力や魔法について調べた。
だが研究は進まず、時だけが無為に流れた。そして五年が経ち、いつしか研究は間違った方向へと向かって行った。
『最強の魔法少女を作れば、一葉が戦う理由は無くなる』
手っ取り早く入手できた娘の細胞や、戦闘の跡から採取いした魔法少女の血などから、クローンは作られた。
初期の個体はモチーフを持たず、それどころか人間かどうかも怪しかったが、若い女性のサンプルにはなった。おかげで、魔力の研究はこれまで以上に捗った。
しかし、当時の和樹はまだ狂ってなどいなかった。娘そっくりの子供たちが毎日のように生まれ、消費され、消えていく。そんな日々に、彼は苦悩した。
後戻りできない所まで来ているというのに、心のどこかで誰かが叫んでいるような気がした。
和樹は研究方法について提案したが、パトロンはこのまま続けるようにと言うだけだった。
娘を戦わせたくはない。一人の娘を持つ父として、他所の子を危険に晒すのも嫌だ。クローンなら何をしてもいいなんて、そんなのは間違いだ。死に際のあの子たちの目が今も忘れられない。
だがやり直すには、あまりにも殺し過ぎた。もう後戻りなどできない。殺し続けるしかない。成果を挙げられなければどうなるか分からない。成果を挙げたとしても、どうなることか。
やがて、和樹は壊れた。彼はマッドサイエンティストになるには、あまりに平凡な男だった。
『平和をもたらすには、最強の魔法少女を作るしかない』
手段は目的となり、元の目的であった一葉は手段の一部として使われるようになった。心のどこかで誰かが叫んでも、もう和樹には届かなかった。
「……ジェード、どうにかできない?」
「無理。私はそもそも防御系の補助要員だから、火力には期待しないで」
「だよね」
「わ、私は、まだ……!」
「ルーペちゃんはじっとしてて。応急処置だから、無理に動いたら傷が開いちゃう」
和樹が意識を取り戻したころ、結芽たちはピンチに陥っていた。出現した黒奴が銀冠で、ジェードと一葉――「虫眼鏡」の魔法少女ルーペだけではどうにもならなかったのだ。
魔力兵器ごときでは歯が立たないので大人たちは当てにならず、クローンたちにはまだモチーフに選ばれた「成功作」すら存在しないので、本当に大ピンチだった。
崩れた地下研究所の袋小路に追い詰められた五人は、声を潜めて黒奴が別の道へ行ってくれることを祈るしかなかった。
「……わたし、じゃま?」
「邪魔なんかじゃないよ。透葉なら軽いし。邪魔なのはこっちの無駄にデカいゴミ」
「……捨てて行けばよかっただろう」
「うわっ、急に正気に戻らないでよ」
「捨てちゃダメだからね?」
「捨てないよ。意地でも死なせない。死なせてやらない。生きて償わせる」
ウツボ・黒奴の攻撃で行動不能な怪我を負ったルーペと、結芽に庇われて無傷だった和樹の目が合う。
今更どんな顔をすればいいか分からず、和樹はすぐに目を逸らした。しかしルーペは和樹をじっと見つめていた。
「……私、パパがおかしくなっちゃったこと、知ってた」
「……」
「お手伝いさんは『そう』なる前からパパと知り合いだったから……でも、何もできなかった。何も……パパにも、透葉たちにも……ずっと知ってたのに……」
「違う! それは一葉の責任ではない! 俺がっ……俺がこんなバカげたことをしなければ、最初から……!」
「今更悔やんで、それで状況が良くなるの?」
結芽の冷たい言葉に、全員がドン引いたような目を向ける。だが状況を打開しなければどうにもならないのは事実。
施設を破壊しながら近づいてくる黒奴の音に怯えて祈るしかないなんて、結芽は嫌だった。かといってできることがあるわけでもないが。
「……私が注意を惹いてる間に皆で逃げてもらうくらいしかない……かな」
「クラゲのときみたいに食べられたりしない?」
「さあ?」
「……」
結芽にはそれがはっきりと見えていた。ジェードが気づかなかったので幻覚か何かかと思ったが、転がってきたそれは、たしかに指先に触れた。
魔力を発さずに現れた裂け目から、黒奴の灰色の冠状器官が転がってきたのだ。
あのとき、それを使った後のことを、結芽は覚えていない。怖くて調べられてもいない。しかし、美音たちはまだ生きているし、ライフセーバーズも活動を続けていることは調べた。ならば、これを使うのも手ではなかろうか。
抱きかかえたままの透葉にも気づかれないように、そっと結芽はそれを拾い上げようとし――
「それはダメだ。姐御も悲しむ」
――その寸前に、バラバラに砕け散った。




