第五十九話 幼女誘拐
気づけば朝になっていた。冷房を強めに設定していたので、二人で引っ付きながらでもそこまで暑くはない。翡翠はうなされているが。
「……ご飯作ろうかな」
結芽は翡翠を起こさないように、器用に布団から這い出る。作ると言っても、この部屋にあるのはレトルトか冷凍食品だけなのだが。
少し考えてから、これでは少し物足りないと思った結芽は、近くにコンビニでも探しに行くことにした。コンビニが無くとも、野菜の無人販売所くらいならあると思ったのもある。調味料はいくつかあったので野菜炒めくらいなら作れるだろう。
歯を磨き、顔を洗い、着替えて日焼け止めを塗ったら、虫よけスプレーを使って、書き置きを残して出発だ。外に出てみると、朝だというのに既に地獄のような暑さだった。
田畑の広がるザ・田舎という風景は見ているだけでどこか懐かしいような気分にさせてくれるが、この暑さではそんな気分も長持ちしない。さっさとコンビニを見つけてしまおうと、結芽は携帯を取り出して検索する。
しかし、検索結果に挙がったのは昨日立ち寄ったコンビニだけ。新都心なら少し歩けば二軒も三軒も見つかるコンビニも、ここらではそう多くはないのだ。
見える範囲に無人販売所のようなものも見当たらず、結芽は早々に帰ろうかと思い始めていた。だが時刻はまだ朝の七時。今の暑さで音を上げて引きこもるようでは、あとの数日をずっとあの部屋で過ごすことになりかねない。
携帯のマップで、コンビニよりも近くに川があることを知った結芽は、とりあえずそこで魚を獲って来ようと決めた。
「ちょっと遠いけど、翡翠はあの様子じゃまだしばらく起きそうにないし……大丈夫だよね」
協会の支部には、結芽たちの他に宿泊客が増えたような様子は無かった。つまり、おそらく昨日の「彼岸花」の魔法少女は帰っただろうということ。
一人で出歩いても、この山に結芽を害せるような存在はいないと判断した結芽は、書き置きに川へ行くとは書き足さずに出発した。
結芽自身が早く朝ごはんを食べたかったので、気持ち早めに足を動かした。獣道すら無い山道も、普通に道路を歩くのと同じくらいの速度で駆け抜けた。それを見たイノシシは逃げ出した。
「……そういえばこの川、魚なんていたっけ? というか、どうやって獲ろう」
川までたどり着いた結芽は、自分がノープランでここまで来たことを思い出した。川を覗き込むと、小さなカニや魚が見えた。水質は問題なさそうだが、朝食にできるようなやつがいるかどうか。
「石でも投げつければいけるかな?」
「みずきりするの?」
「魚を獲るの」
「つりざおは?」
「持ってきてないし、用意できそうな場所も知らないかな……ところで、君は誰?」
結芽の独り言に、いつの間にか誰かが割り込んでいた。茂みの奥からやってきたそれを、足音などから結芽は猿か何かだと思っていたが、どうやら人間のようだった。
茂みから四つん這いの姿勢で現れたのは、まだ歳が二桁にも届いていなさそうな幼女だった。こんな山の中だというのに靴も履かずに、パジャマのような浴衣のような、病院の患者衣のようにも見える服を着ている。
足は土まみれで、途中で木の枝や葉に当たったのか、腕などの露出した肌には傷がついている。しかしそれを除けば、見た目の印象から何かおかしなものは感じられない。ただの家出幼女と言えないこともないだろう。逃げ出した先がこんな山の中という違和感に目をつぶれば。
「私は泡沫 結芽。君は?」
「……とおは。はなみ とおは。きゅうさい」
「はなみ……刃波? いや、たまたまか」
とおはと名乗った幼女の苗字に一瞬引っかかりを覚える結芽だが、そのくらいは偶然の一致だろうとすぐに可能性を切り捨てる。よく見れば顔立ちも全然似ていない。
「こんな所でどうしたの? 迷子? 家出?」
「しいていうなら、いえで」
「そっか。ご両親は心配してる? してないなら、保護って選択も視野に入れるけど」
「わかんない」
「じゃあケースバイケースで」
結芽は石ころを拾い上げ、川に向かって全力で投げる。弾丸のような石ころに綺麗に射貫かれた魚は臓物と血を川の水で洗い流され、射貫かれた勢いのまま対岸に打ち上げられた。そしてその調子で、続けざまに二匹ほど仕留めた。
橋なんて便利なものは無かったが、都合よく川の真ん中に岩があったので、結芽はそこに向かってジャンプし、対岸に渡って魚を拾い、またジャンプして幼女のもとへ戻って来た。
「たいそうせんしゅみたいだった」
「金メダルくらいなら余裕かな」
まだ世界のことを知らないのか、それとも純粋だからか、とおはは結芽の動きを見ても拍手して褒めるだけだった。驚いてはいるが、怯えた様子は見られない。
その姿に、かつては身体能力をひけらかしても怯えられるばかりだった結芽は気分を良くして、遠くから聞こえる複数人の足音を無視してとおはを抱き上げた。ちなみに魚はその辺のツタで作った即席の縄で縛り、もう片方の手で抱えている。
「とりあえず、私が泊まってる所まで来る? ここにいたらイノシシとか熊に食べられちゃうし」
「くまこわい」
「じゃあ、そいうことで」
これは誘拐に入るのだろうかと呑気に考えながら、結芽は足音から遠ざかる方向に逃げながら協会の支部を目指した。
「……で、連れ帰って来たのがこの子だと……」
「はぐはぐ」
「魚は逃げないからゆっくり食べな」
「私にどうしろってのよぉ……!」
とりあえずとおはを風呂に入れて土を落とし、部屋にあった救急箱から消毒液や絆創膏を取り出して傷の手当をした結芽は、獲ってきた魚を朝食代わりに焼いた。米はレトルトのやつだ。
魚の焼ける匂いでようやく目を覚ました翡翠は、結芽に説明されても状況がうまく呑み込めず、パニックだった。それもそうだろう。
さらっと誘拐してきておきながら悪びれる様子もない結芽は、幼女の口を拭きながら一緒に朝食をとっている。翡翠にはそんな余裕がなかったので、割り箸も割らずに頭を抱えるばかりだったが。
「というか保護者の気配があったならそっちに渡してきなよ……魔法少女が罪を犯すとめんどくさいんだよ……?」
「あれ多分保護者じゃないよ。複数人って言ったでしょ」
「近所の人とかと結束して探しに来てたんじゃないの?」
「奴ら、妙に統率のとれた動きだった。それに、探すならもっと名前とか呼ぶものじゃない? ただ黙って黙々と、山に入るにしても重装備で、何を探してたのやら」
そこまで聞いて、結芽がその探しに来た連中に敵意を持っていることに翡翠は気づく。
「……えっと、つまり?」
「この子、多分かなりワケ有り」
「はぐはぐ」
「……そっかぁ」
「そう。あの連中の事情を確かめて、この子をどうするか決めないと」
「そっかぁ」
結芽は重装備とは言ったが、金属の擦れる音や火薬の臭いがしてきたことまでは黙っていた。とおはが来てすぐに追うように現れたのだから、おそらくとおはが目当てなのは間違いない。
だが、こんな普通の小さな子に武装した大人が複数人で押しかける意味が分からなかった。今はまだ、この子が相当なワケ有りということしか分からない。
翡翠のようにあからさまに頭を抱えるわけではなかったが、結芽も結芽なりに悩んでいた。これからどうするべきかと。




