第五十三話 空から来る
結芽は車椅子に乗った翠花を車椅子ごと背負って走っていた。雨が降っていたが、傘を差している暇などない。今は一刻も早く魔法少女の邪魔にならない場所まで逃げなければならない。一般人がいたら、魔法少女はそれを守りながら戦わなければならないのだ。
だというのに、避難しない連中がいる。
魔法少女の、邪魔をする連中がいる。
旅館からシェルターに向かう途中の、木々に挟まれた道。そこに、シェルターから遠ざかる方向に歩く集団がいた。
「何を……しているんですか?」
「よせ結芽、自殺志願者に構うな!」
「嬢ちゃんたち、逃げ遅れか? ならあっちのに案内してもらいな! 今からあのウロヌとかいうのをワシらが片付けてくっからよ!」
そう言った老人は漁師だろうか。手には銛を持っていた。そんなものが黒奴に通じないことくらい、少し考えれば分かることなのに、結芽たちの横を通り抜けようとする。
翠花には悪かったが、結芽は車椅子を叩きつけて道を塞いだ。
「私じゃなければ怪我しているぞ!?」
「それは謝りますが、まずは貴方です。そこのおじいさん。私は今、何をしているのかと聞いたんです」
「ああ? クロニウとかいうのを潰しに行くっつってんだよ」
「魔法の使えない人間が何人いようが魔法少女の邪魔になるだけです。さっさと避難してください」
「嬢ちゃん、旅行かい? 海水浴かな? お父さんお母さんとはぐれちゃったのかな? 心配しないでも、怖いのはおじちゃんたちがどうにかしてあげるからな」
子ども扱いして頭を触ろうとしてくる別の大人。状況が分かっていないのか、微笑ましいものを見るような目で見てくる大人。自分のしようとしていることが分かっていない、蛮勇と間違った正義感に溺れた大人。大人。大人。大人。全員、美音たちの邪魔をする、敵。
結芽は汚らわしい手で撫でてこようとする手を潜り抜け、力任せに足を持ち上げ、隣の銛を持った老人に投げつけた。重なり合った二人を持ち上げると、もっと大勢いる方へ向けてぶん投げる。
バカどもが混乱しているうちに、翠花が反応できないうちに、結芽は近くに刺さっていた標識を捩じ切り、アスファルトに叩きつける。集まっていたバカどもは、甲高い金属音に、たったそれだけのことに怯えた様子だった。黒奴の方がよほど恐ろしいというのに。
「お前らみたいなのが……お前らみたいなのがいるから、皆が苦労しなきゃならない……!」
「ちょ、ちょっと! それはオモチャじゃないのよ! 危ないから下ろして――」
「うるさい黙れ!! 黙って回れ右してシェルターの中で静かに怯えてろ!!」
ガンガンと叩きつける度にアスファルトは抉れ、車両進入禁止の標識が歪んでいく。力み過ぎて、掴んでいた金属製のポールがぐにゃりとねじ曲がって近代芸術のような形になっていた。
ついにはそれを投げつけようとしたところで、ようやく翠花が正気に戻って結芽を止めようとする。
「ま、待て! それはまずい!」
「どうせ死ぬなら誰がやろうと同じこと!! こんな奴ら、いない方が世のため人のためじゃないの!?」
「だとしてもお前が手を汚す必要はない! お前の言葉を借りるなら、こんな奴らなんだぞ!?」
魔力で強化して車椅子から立ち、どうにか結芽を羽交い絞めにする翠花だが、一度爆発した感情は並大抵のことでは鎮火しない。結芽の口からはバカどもに対する罵詈雑言が溢れ続け、流石のバカどもも黙って聞いていられなかった。
「だ、黙って聞いてりゃ、俺たちゃ漁師だぞ!」
「そうだ! これまでだって力を合わせてどんなことも乗り越えてきた!」
「なら真っ先に魔法少女に協力しろ!! お前らみたいなカスを生かすためなんかに私の友達が戦ってるわけじゃない!!」
結芽は翠花の力が一瞬弱まったタイミングを逃さずに拘束を抜け出す。逃げられたが、翠花に再び羽交い絞めにする気力はなかった。結芽の言葉は、まさにこの町で長年戦ってきてずっと思いながら口にできずにいたことだったからだ。
ライフセーバーズという枠組みを作って、それをある程度育ててしまった後だからこそ、翠花にはライフセーバーズにこの町を捨てるように直接言うことができなかった。だからわざわざ真帆に頼み、海防魔法少女に敵対してもらったのだ。
「お前たちみたいなのがいるからいけないんだ! 特にお前だ、そこのお前!! 反魔だな!? お前、反魔だろう! 消えろ! この町から、この国から、お姉ちゃんの守るこの世界から!!」
結芽が指さしたのは、集団の中央付近で他の大人を煽っているスーツの男。その男に結芽は見覚えがあった。真帆と初めて会った日に反魔の建物の中にいた男だ。なぜ覚えていたのか、なぜ思い出せたのか、そんなことは今はどうでもよかった。
それが敵だということが、それがこの状況を作り上げた本人だということが、今の結芽にとって重要なことだった。
「お前だけじゃない! その口車に乗ったゴミどもも同じだ! 生きる価値が無い! 存在する価値が無い!! 守られるほどの価値が無いんだ、お前らは!!」
結芽は叫ぶ。感情のままに憎悪を吐き出す。雰囲気だけで気圧されて、バカどもは指一本動かせない。心の底からこみあげてくる衝動のままに、叫ぶ。
「お前ら皆、消えてしまえ!!」
その叫びに呼応するように、それは空からやって来た。
草木の一本も揺らすことなく、それは水滴が落ちてくるように結芽の背後に現れた。夜の闇と雨で全体像はぼやけていたが、街灯はしっかりとそれの頭に乗せられた金色の冠を照らしていたので、正体はすぐに分かった。
それはおおまかに言えば全長十メートルほどの人型をしていたが、頭部はタコを乗せたようになっており、口からは無数の触手が生えていた。発達した手足には鋭く巨大な鉤爪が生えており、アスファルトを引き裂いて握っている。肥え太った胴体は鱗に覆われ、背中からは蝙蝠に似た翼が生えている。
僅かに匂う磯の臭いから、翠花はそれが海からここまで飛んできたことを理解した。
黒奴は基本的に何らかの生物の姿を模している。理由は分からないが、そういうものだ。稀に複数の生物が混じったキメラのようなやつも現れるが、今目の前にいるそれは、どちらにも当てはまりそうになかった。
「……最悪だ」
翠花はそう呟いて変身した。大人たちの意識は完全に黒奴に奪われていたので、認識阻害をかけるまでもなかった。
「蓮」の魔法少女ロータスはチーム百合園の前身であるチーム花園の元メンバーであり、ジェードを差し置いて最硬の魔法少女という異名を持つ、国内でも有数の実力者だった。一年前の黒奴との戦闘でほぼ失われた足の機能を魔力で補っているので多少は弱体化しているが、それでも今も金冠黒奴の一体くらいなら倒せる実力がある。
しかし今回は相手が悪かった。
黒奴の中にはごくまれに、架空の生物を模して現れるやつがいることをロータスは知っていた。海外との通信がまだ生きていたころ、ユーラシア大陸を半壊させた黒奴は、龍の姿をしていたという情報もあるくらいだ。
クトゥルフ・黒奴。名づけるならばおそらくそうなるであろう黒奴が、そこに立っていた。
「う、うわあああ!?」
「嫌だ、いやだいやだいやだ死にたくない! 死にたくない!!」
「助けてえええ! 助けてよ魔法少女おおおお!!」
恐怖を理解した大人たちは武器を放棄して我先にと逃げ出すが、黒奴に視線を向けられた結芽とロータスは身動きが取れない。警戒すべきは触手か、爪か、翼か、それとも胴体に隠れて見えない尻尾か、あるいはその全てか。いずれにしても、ここで殺されるという確信だけがあった。
特に結芽は、自分が生き延びるビジョンが全く見えなかった。魔法は使えず、ロータスも最悪と言う相手。どうしろというのか。
「……これは秘匿されていることだが、黒奴は近くにいる魔法少女を襲う習性がある」
「……え?」
「出現地点には関係ないし、探知できるのはほんの数百メートルくらいらしいが……とにかくアレはお前よりも私を優先的に狙うはずだ」
「な、何を言ってるんですか……囮になるとでも言うんですか!?」
「ああそうだ! ……心配するな。これでも全盛期にはリリィと殴り合えるくらい、耐久力には自信があるんでな」
元々ロータスがコーラルたちと一緒に戦うのではなく、結芽の護衛についたのもこういう事態を想定していたためだ。戦力は分散されてしまうが、背に腹だ。
結芽に何かあれば、リリィがどうなるか分からない。それはこの国の終わりを意味する。
専用武器の蓮の盾を構えたロータスは、クトゥルフ・黒奴が少しでも自分に意識を向けるように魔力を放出する。そして視線が自分に向いた直後、結芽を全力で道の横の森の方へ投げ飛ばし――
――クトゥルフ・黒奴はロータスには目もくれず、結芽に向かって飛び掛かった。




