第五十一話 感情の乱高下
三日目の朝、二日ぶりにまたしても海に黒奴が出た。灰冠で魔術も使わない大したことのないやつだったが、万が一ということもあるので、結芽はシェルターに避難しておかないといけなかった。
そう、この町の中央に設置されたシェルターに、である。当然ながらそこには町の漁師や学生も数多く避難してきていた。
「抑えろよ泡沫 結芽。お前がここで騒ぎを起こしたとしたら、誰がその責任を負うか分からないお前じゃないはずだ。抑えろよ」
「でもあいつら、魔法少女をバカにした」
「安い言葉に乗るんじゃない。奴らは何も分かっちゃいない。残酷な現実も、魔法少女のことも、自分たちの恨みの理由すら」
周囲から聞こえてくるのは雑音だ。聞くに堪えない雑音。耳を傾ける価値もない雑音。そう思い込もうとしても、結芽の怒りは収まらない。
誰かが言う。魔法少女が黒奴をおびき寄せるのだと。
誰かが言う。協会が黒奴をけしかけているのだと。
誰かが言う。彼女たちは協会に利用される哀れな被害者だと。
誰かが言う。誰かが言う。誰かが言う。誰も何も言うな。もうそれ以上その口を開くな。魔法少女はお前たちを生かすためにいるんじゃない。魔法少女がいるからこの国は、この世界はまだ存続しているのだ。それをお前たちは――結芽は一歩踏み出そうとするが、翠花に止められる。
魔力で強化された腕力には、結芽の身体能力でも敵わない。枕投げや徒競走のような形であれば、まだやりようがあるかもしれない。しかし魔力で強化された手を振り払うことはできない。結芽が魔力に干渉できないからだ。
行き場のない怒りだけが蓄積されていく。
「……あれを見ろ」
「……高校生ですか?」
「六葵たちの通う高校の生徒だ。あの中には、昨晩話していた先輩もいるかもしれんな」
「聞いてたんですか?」
「私はな。でもコーラルは聞いてないと思うぞ。そこまでの技量はまだ無いはずだ」
翠花ほどの魔法少女になれば、魔力の痕跡や魔法の気配を隠蔽する方法の一つや二つは身に着けているものだ。魔力の感知は魔法少女になれば簡単に身につく技能だが、それを意識して鍛えている魔法少女はそれほど多くない。実際、翠花は魔法で会話を盗み聞きしていたが、六葵たちは全く気付かなかった。
結芽の意識が漁師たちから高校生に向いている間に、ライフセーバーズと黒奴殲滅委員会、そして海防魔法少女も含めた十五人の連携により、黒奴はあっさりと倒された。
車椅子ごと担いで翠花と共に避難してきた結芽だが、そこまで急ぐ必要はなかったかもしれない。遅く来ておけば、シェルターの中で要らないことを聞くこともなかった。
そうして、朝から嫌な気分で一日が始まってしまうことになった。
「だから気晴らしに散歩に来てただけで、まさかそっちと鉢合わせになるとは思ってなかったんだよ」
「ふうん、その言葉を信じろって?」
「……うさんくさい」
「気持ちは分かるケド、多分マジで何となく散歩してただけよそいつ」
夏休みの課題は夏休みに入ってから合宿に来るまでの間に終わらせていた結芽は、本当にやることがないのだ。今日はのんびり読書でもしようと思っていた所に朝から黒奴が現れ、シェルターであんなものを聞かされてしまい、完全に気力が削がれてしまった。
昼食を作って気分転換にしようかとも思ったが、まだそんな時間でもない。配信を見ようかとも思ったが、黒奴のせいでそれも中止になっていた。そこで昨日と同様に散歩に出たわけだ。
高台の方に行ったらまた海防魔法少女と遭遇してしまうかもしれなかったので、今日は町から離れる方向に歩いた。海岸から離れるとすぐに山になっているので、そこなら誰もないと踏んだのだ。結局、木々に隠れて魔法の訓練を行っている海防魔法少女と遭遇してしまったのだが。
「君、ちょっとこっち来て」
「え? あ、はい」
昨日と同じようにメガホンとブルドーザーには完全に警戒されていたが、またしてもコーラルがどうにか仲裁してくれる。その間、結芽はボムに呼ばれて隣に立たされた。意図がよく分からなかったが、その後のボムの言葉ですぐに分かった。
「サンドバッグ、どう?」
「えーっと……どう、とは?」
「あたしの身長とこいつの身長! どっちが上で下かって聞いたの!」
「ほんのちょっとだけボムが上だなァ……」
「っし! っっっし!!」
結芽は特段この身長のことで悩んだことは無かったが、ボム的にはコンプレックスだったのだろう。自分より下を見つけて安心した、という喜び方をしている。それを見せられた結芽は少し複雑だったが、ボムが友好的に接してくれるようになったので、プラマイゼロと思うことにした。
「悪いわね! ちっとも悪いと思ってないけど、おわびにこっちで自己紹介してあげる!」
「……! 不用心!」
「きへっ、そう言うなメガホン。ボムはようやく見つけたんだ……同格のダチってやつをなァ」
「すっごい複雑」
「ごめんなさい……悪い子たちじゃないんだケド……癖が強いのよね」
「爆弾」の魔法少女ボムは山の中に自分たちしかいないことを確認すると、変身を解いた。メガホンの言うように不用心過ぎる。結芽は何もする気がないが、人によっては何か悪用する可能性もあるというのに。
「柴倉 沙魚よ。あんたとは仲良くできそうね!」
「……さっき、コスチュームの安全靴で身長ちょっとだけ誤魔化してなかった?」
「気のせい気のせい! それより、散歩って言ったって何でこんな所まで? もしかして迷子? 良ければ浮遊使って宿まで運んであげるわよ?」
「すっごいグイグイくる」
「きひひっ、その辺にしとけ、ボム」
「何よぉ! あの子はあたしの仲間なのよ! ちょっとくらいいいじゃない!」
ボムは引きはがしてもらえたが、それはそれとしてカメラにも若干警戒されていた結芽は、ここまで来た理由を話した。あくまで偶然だったということを伝えるために、今朝のことも含めてだ。ついでにその今朝の件についての愚痴も話した。
話が終わる頃にはカメラも警戒を解いてくれたが、今度はメガホンがグイグイ来た。何なら結芽を抱きしめてきた。
「……そうだったんだ……辛かったね……大丈夫……私たちが、どうにかするから……」
「この人も距離感狭まるの早いなぁ」
「メガホンは一度、応援要請受けてこっちまで来て、住民に石投げられてるものね。結芽の気持ちも分かるのよ」
先ほどまでの態度から一転し、無言で結芽を抱きしめながら頭を撫でるだけの人形と化したメガホンは、コーラルが引っぺがして回収した。髪の触り心地がそんなに良かったのか、名残惜しそうにしていたが。
その様子を見ていた、残る二人の海防魔法少女メンバーのうち、サンドバッグの方は既に結芽のことを警戒することをやめていた。
「うへへ……いいじゃないですか、ブルドーザー……」
「何がかしら」
「NTRってやつですよぉ……仲良くしてた友達が、ぽっと出の子に取られて……ふへへっ」
「ちょっと何言ってるか分からないわね」
サンドバッグは変態だった。一言で言い表すのなら、彼女はドMだった。あらゆる苦痛を快楽に変換し、全てを受け止めた上で幸福のおすそ分けと称して反撃に出る、前衛の魔法少女としては申し分ない能力を持っているために、誰もそれを改善するように言えないのだが。
一人残されたブルドーザーは、嘘を見破ったり隠し事を見抜けるほど鋭くなかった。普段の戦闘スタイルも、敵に突っ込んで行ってぶん殴るというシンプルなもの。細かいことを考えても自分では分からないことを、彼女は知っていた。
「でも……そうね。こういうときの解決策なんて、簡単なことでいいのよ」
「……腕相撲かぁ」
「魔法なんか使わないわ。こう見えて鍛えてるもの……さあ、勝負よ!」
ブルドーザーは変身を解除し、魔力防壁を空中で水平に展開してその上に肘を乗せた。ぱっと見ではか弱い少女にしか見えない結芽と違い、確かにブルドーザーは生身でもそれなりに強そうだ。
この後、結芽はブルドーザーから姐御と呼ばれるようになった。




