8 治療
「はあはあはあ……、っはあ……」
アトスの息が上がって足が止まる。東外門まで走り、治療術士を捜して走り回った後にまた走ったことで脚の疲労が限界を超えた。
「アトス君大丈夫?」
「だ、大丈夫。それより早く行かなきゃ……」
ペコラが心配そうに尋ねるのを振り払うようにアトスは脚を前に出そうとするが、一度止まった脚はなかなか前に進まない。
するとペコラがアトスの前で背を向けてしゃがみ込んだ。
「さあ、おぶさってください。大丈夫。わたしはこれでもかなり体力付いたんですから」
ペコラは先回りして答えを言った。いくらアトスが小柄な子供でも背負えばそれなりに重い。背負うことで逆に遅くなりはしないかとはアトスでなくとも湧く疑問だ。
しかしアトスは先に疑問に答えられてしまったためか、ついつい本音を口に出す。
「で、できるかよ! そんなかっこ悪い!」
「一刻を争うんでしょう? 恰好を気にしている場合ですか!」
「! ……わ、判った」
アトスはペコラの叱責によってワナッシの姿を思い出したのか、羞恥に顔を歪めながらもペコラにおぶさった。
ペコラは立ち上がって走る。これがもしセントラルスに来たばかりの頃のペコラなら歩けたかも怪しかっただろう。それがそれなりに走れているのだから彼女自身の主張通りに体力が付いたのは間違いない。
しかし小柄な子供であってもそこは人一人分、体重はそれなりにあって、重さが肩にのし掛かる。あまり時間を置かずに息が上がる。それでもペコラは走った。
間もなくして獣道に分け入った。ワナッシの待つ場所は直ぐそこだ。
「あの辺り!」
「ん? 黒い塊みたいに見えるけど、あれでいいの?」
アトスが少し先を指し示すと、カリンが黒っぽい塊を発見した。ワナッシとは似ても似つかない。
しかし目を凝らせば黒っぽい塊ばかりではなかった。
「脚が突き出てます!」
「師匠!」
ペコラが気付き、アトスが叫んだ。黒っぽい塊はワナッシを覆うように蠢いている何かだ。
「一気に吹き飛ばすわ!」
これを危険と判断したカリンが動いた。黒っぽい塊の正体で最も考えられるのが魔物だからだ。
しかしアトスが待ったを掛ける。
「待て! 師匠が巻き込まれる!」
「ちまちま倒してたって危険なのは変わらないわ!」
「……」
カリンの反論も尤もだったためか、アトスが反論を躊躇する。
この隙にとばかりにカリンは手の平に魔力を溜める。
「行くわ!」
「!」
カリンが足を止め火魔法を放つ。広範囲に火炎が広がって行く。アトスは息を呑んだ。魔物と一緒にワナッシまで焼いてしまいそうに見えたのだ。
「弱すぎたぁ!」
だが火が落ち着いてみれば派手なのは見た目だけだったらしい。カリンがかなり威力を搾ったようで、火炎が魔物を包み込んでも表面を炙るに過ぎなかった。
それでも魔物はびっくりしたと見え、群れていた魔物のほぼ全てが散り散りになって逃げて行く。一、二体残っているのは逃げる方向に迷ったようにキョロキョロと周囲を見回している。
しかしそれも間もなく逃げた。この場に魔物はもう居なくなった。
「師匠!」
アトスはペコラの背から降りると、ワナッシを呼んで駆け寄った。しかし直前で足を止める。
ペコラもまたその傍に寄る。そしてただならぬ様子のアトスの視線の先に目を向けた途端、ビクンと身体を跳ねさせてたじろぎ、小さく悲鳴を上げた。
「ひ、酷い……」
ワナッシは魔物に至る所を齧られたらしく全身血塗れだ。あちこち肉が抉られてまでいる。
一刻を争う状況だ。
魔法を撃つのに足を止めていたカリンが追い付いて動揺するペコラを叱咤する。
「ペコラ! 何やってるの! 早く治療して!」
「あ! はい!」
ペコラは弾かれるようにワナッシに駆け寄り、治療を開始する。
だが傷が深いこともあり、動揺する心では思うようには治療が進まず、気ばかり焦る。
「ど、どうして!?」
焦れば焦るほど治療が進まない。治療が進まないから気が焦る。そのループだ。
その手にふっと誰かの手が添えられた。
「落ち着いて。しっかり見ればどう治せばいいか判るから」
声と同時にペコラの手にじんわりと暖かい何かが通り過ぎて行く。
「は、はい!」
頼もしい声に励まされ、通り過ぎて行く何かに意識を向ける。するとその何かが跳ね返って来て脳裏に像を結ばせる。
「こ、これは……!」
この魔法のことはペコラも勿論知っている。診察魔法。これは治療術士の必須技能だ。ただこれを外部からの働きかけによって行われたことが、そしてその解像度の高さがペコラの理解を超えていた。
像に意識を向ければグロテスクなまでの今の怪我の状況と、怪我をする前のものだろう姿が重なって見える。それも直接は見えない身体の内部までだ。
「見えているのは怪我の状況と患者が認識する本来の姿よ。今は差し迫ってもいるから見えてる本来の姿に戻すように治療して」
余裕があるなら本来の姿の不都合まで精査して治す場合があるが、今はそんな悠長な作業をしている場合ではなかった。
「あ、あの、プリスさんが治療した方が……」
「つべこべ言わずに治療をしなさい」
「は、はい……」
ペコラはプリスがあくまで自分にさせようとしていると理解し、恐る恐る治療を始めた。すると魔力が治療するべき場所へと流れて行くのを感じた。
「プリスさん、これって……」
「いいから集中して」
「はい!」
ペコラは導かれるままに治療を進めた。
時は少し遡る。プリスは最初、アトスを真っ直ぐ追い掛けようとした。ところが城壁を登ってみればそこには多数の重傷者が呻き声を上げて横たわっていたのだ。これを放置もできず、プリスが治療しなければ命が危うい者二〇人余りを治療した。
プリスでなくても間に合う者達は治療していない。重傷者の治療の機会はそれ程多くないため、他の治療術士の治療技術向上のためにも可能な限り任せたい。
また他にも治療しなかった者達が居る。いや、居た。既に手遅れだった者達だ。
「ロエタさん……」
親しかった初老の冒険者もその中に居た。
だからと言って今は悲しんでは居られない。必要な治療が済んだところで直ぐにアトスを追う。アトスの方が心配なのもあるが、あまりここに長居するとあちこちから治療を求められて切りが無くなってしまいかねない。こうした魔物の襲撃の際には治療費を求められないとなると、誰もが上級治療術士であるプリスの治療を望んでしまうのだ。
城壁を離れ、街道をセントラルスの中心に向かって駆ける。人の気配を頼りにアトスとペコラを捜す。
そうして駆け付けると、ちょうどペコラが治療を始めるところだった。明らかに遅い。彼らはどうして遅れたのか。しかし今はこれを追及している場合ではなさそうでもあった。ワナッシが瀕死のためだ。直ぐに治療しなければ命が溢れてしまう。
だがプリスはワナッシには悪いと思いつつも、これも折角の機会だとも考えた。ペコラの治療術の向上のためだ。彼女は勇者のサポート担当。この先も勇者と共に歩むなら治療術の向上も必須だ。
ところが自信が無いのだろうか。ためらいが見える。だからペコラの手に手を添えた。治療を彼女に任せても自身がここに居る限り死なせない自負に裏打ちされた行動である。
そうしてペコラの治療を誘導しつつ、彼女では間に合わなそうな場所には保存処置を施してワナッシの延命を図る。今ワナッシは生きているのだから是が非でも生き残らせる。とっくに死んでいてもおかしくない傷を負いながらまだ息があるのだからワナッシもしぶといものだ。しかしそのしぶとさにも感謝もする。
親しい知人にこれ以上居なくなられれば哀しいのだから。
ペコラには重傷者の治療の経験が乏しかった。ほぼネッケート専属なのが主な原因だ。何せネッケートは殆ど傷を負わない。日頃の狩りがネッケートから見れば格下の、ペコラやカリンの実力に見合った魔物を対象にしているためもある。
尤も、大怪我をするようでは修練の進捗を遅らせることになるので、ネッケート自身に合わせる場合でも見極めていることだろう。
そんな経緯もあって、ペコラは今のワナッシ程の重傷者の治療は初めての経験だ。だから自信が持てず、躊躇もした。いざ治療を始めても最初はプリスの誘導頼みで、その誘導に付いて行くのに必死。
それでも治療を続ける内に治療に没頭できるようになり、次第に次に何をするべきかが判るようにもなった。自信を持って進められる部分は導かれる前に次へと進む。
そうする内にワナッシが如何に重症かも見えて来た。ここまでのペコラの治療速度ではいつ死んでもおかしくない状態。にも拘らずにまだ息がある。これの意味するところは如何なるものか。
想像はできる。しかし今は口には出さない。その意味を無駄にしないためにも治療に集中する。
ところがそう心懸けようとしていても気が急いて先走ったり雑になったりすることがある。そんな時は都度「ゆっくり丁寧に」とプリスから窘められる。「精一杯頑張ってもできない時もあるから、それを後悔しないためにも可能な限り正確に」とのことだ。
綱渡りのような治療は長く掛かった。四時間あまりが過ぎただろうか。日はもう大きく傾いている。
「終わり……ました……」
ここに来る前にも城壁で治療していたペコラは魔力の使いすぎでもう顔面蒼白だ。
「ちょ、ちょっとペコラ大丈夫!?」
「だ……大丈夫……」
ペコラはカリンの問い掛けに答えはしたものの、そのまま気を失った。
「よく頑張ったわ」
プリスは気を失ったペコラに労いの言葉を掛ける。ワナッシには傷痕が残りそうではあるが命は取り留めた。プリスなら傷痕が殆ど目立たなくもできたのだがペコラの経験を優先させた結果だ。内心でワナッシに詫びた。
だが傷痕は快復後でも頑張れば消せる。少し痛い思いをして貰わうことになるので、ワナッシの希望を聞いてからだ。
それよりも今はここからどう撤退するかが問題だった。宵闇が近くに迫っていて悠長にはしていられない。ワナッシとペコラが気を失っている現状、三人で運ぶか誰かを呼んで来るかしなければならない。
三人で運ぶとした場合、プリスがワナッシをアトスとカリンでペコラを運ぶことになる。つまり誰も手が空かない。小型と言えど魔物が多数徘徊している中を無防備で歩くのは危険だ。
誰かを呼んで来るとした場合、誰が行くかが問題だ。アトスやカリンを単独で行かせるのには不安がある。かと言って二人をワナッシとペコラの護衛に残すのもまた不安。
「アトス、カリンちゃん、二人で誰か人を呼んできてくれないかしら。冒険者ギルドなら魔物迎撃に参加してない人が残ってると思うから」
冒険者ギルドには運び屋などの戦闘に向かない職種の者も在籍している。そんな彼らも冒険者ギルドで待機している筈だ。
「そんなの俺一人で十分だぜ。ペコラねえちゃんだって俺一人で呼んで来たんだ」
アトスは胸を張るが、プリスは頭を振った。
「それはそうする以外に無くて、運良く魔物にも遭わなかっただけでしょ。今からじゃ行って戻って来る間に暗くなるから、あんた一人が往復するのだって危険だわ。ましてや今連れて来れるのは戦えない人達なのよ? 守れないでしょ」
カリンとアトスの二人でであっても不安なのだ。一人では行かせられない。二人なら悪くしても向かったまま行方不明と言う事態を避けられる可能性が高い。
「……」
「判ったら二人で行って来て」
アトスは苦虫を噛み潰したようにしながらも頷き、カリンは嫌そうにしながらも状況が見えているようで何も言わなかった。
二人は冒険者ギルドへと向けて走り出した。
息も絶え絶えに冒険者ギルドに駆け込んだアトスは真っ直ぐ受付けに座るココットに訴えた。
「頼む! 人を貸してくれ! 怪我人を運ばなきゃいけないんだ!」
「それは魔物の襲撃に関係する怪我でしょうか?」
「そうだよ!」
アトスはココットの事務的な問いに苛立たしげに返事をするが、魔物の襲撃に関係するかしないかで扱いが異なる。主に料金の有無だが、護衛の必要性の判断なども異なる。
今回の訴えは魔物の襲撃に関係すると言うことで諸々無料の扱いで手続きになる。だからココットも料金についての注意事項を省略した。
「では場所と怪我人の数をお願いします」
「場所は東の農地で、一人だ」
「違うわよ。怪我人は一人だけど、治療したペコラが魔力の使い過ぎで気を失ったから運ぶのは二人よ。あ、でも怪我の治療は終わってるから本当に運ぶだけよ」
建物に入ってからは受付けまで歩いたカリンがアトスの後ろから補足した。
「カリンさんも同じ用件でしたか?」
「そうよ。プリスさんに言われてね。まったくあたしは肉体労働向きじゃないのに……」
カリンはここまで走らされたことで疲れてしまい、言葉に投げ遣り感が滲み出ている。
「プリスさんの!? しかしプリスさんなら今は外壁の方では?」
ココットは意外な名前にびっくりするが、直ぐにプリスがどこに向かったかを思い出し、問い質した。
「農地だよ!」
答えたのはアトスだったが要領を得ない。ココットは視線でカリンに水を向ける。
「えーと、ワナッシさんとアトスが農地に入り込んだ魔物を討伐していたら群で来られてワナッシさんが大怪我をしたらしくて、ペコラが治療を始めたところにプリスさんが来たって訳」
ココットは一つ頷いた。
「判りました」
状況が判れば動きが早い。
カン。カン。カン。カン。
ココットが緊急依頼の鐘を鳴らすと待機していた冒険者の注目が集まった。




