4 プリスは塩鉱山を目指す
草原に一条の土埃が延びる。南へ南へと、全速の馬よりも速く延びる。ちょうど塩鉱山へと続く街道の在る場所だ。街道とは言え、馬車の轍が折り重なって出来た道に少し手を加えただけのものでしかない。定期的に、馬が不用意に草を食まないように轍の間に生える草が焼かれ、深くなりすぎた轍が埋められるだけの道である。
その街道の轍の間を踏み締めて、プリスが走る。抉ってしまわないように、極力慎重に足を運ぶ。それでもプリスの踏み込みに地面が耐えかねて巻き上がるのが土埃であった。
街道ではない草原を行くことは難しくない。だが、思わぬ穴に足を取られたり、見当違いの方向に行ってしまう可能性を否定できない。多少――プリスにとって――ゆっくりになっても、間違いの無い道を選んだのである。
そうして、セントラルスを発してから二十分も走った頃、プリスの目は前方に人影を捉えた。一人二人ではない。大人数だ。プリス自身が速すぎて彼らがどっちへ進んでいるかは判然としない。だから最初に思ったのは、南の買取所から塩鉱山へと救援に向かう冒険者だった。
プリスは状況の共有を図るべく速度を落とす。しかしあまり急に止まったのでは街道に深刻なダメージを与えるため、徐々にだ。
ところがその途中、彼らが幾人かを残して蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う。
どうして!?
喫驚する間にも相手と擦れ違った。相手の動きに気を取られて止まり損ねてしまったのだ。
プリスが微妙に気まずさを感じながら振り向くと、逃げなかった幾人かがやはり奇妙な気まずさを漂わせながら振り向いていた。
相手と目が合う。見知った顔だった。
「あ! あなた達!」
「姐貴……」
プリスを「姐貴」と呼ぶように、彼らは冒険者だ。塩鉱山の作業員として働いている。その中の一人、顎に濃い無精髭を生やした冒険者が街道脇の草原に振り返って声を荒らげる。
「ほら見ろ! やっぱり姐貴じゃねぇか!」
「何言ってやがんだ! ビビって動けなかっただけの癖しやがって!」
悪態を返しつつ、草むらに潜んでいた細面で長髪をポニーテールにした男が街道へと戻る。長い髪は別に心が女な訳でもなく、無精なだけだと一目で判る。長くても荒れ放題の髪は全く手入れされていない様子で、無精髪とでも言った風情だ。
他にもぞろぞろと、二十人以上が出て来た。彼らは迫って来る土埃に、怖ろしい魔物の襲来を予想して逃げたと言う。その土埃の正体がプリスだと看破した者は居たが、この街道をプリスが走る可能性はかなり低かった。魔物と考える方が現実的な予想だ。だからバラバラになっての逃亡を試みた。
結果的にバツの悪いことになった訳だが、致し方ないのである。
プリスの方もちらほら聞こえる「魔物じゃなくて良かった」と言う呟きには、嘯くように空を見上げた。
しかしお互い、そんな事で時間を浪費してもいられない。
「そんで、姐貴はどうしてここに?」
「塩鉱山で何か起きたって知らせが入ったのよ」
「知らせ……ですか?」
無精髭が首を傾げる。その脇から声がする。
「もしかしてあいつらが知らせたんじゃねぇか?」
「そう言うことか?」
無精髭はまたまた首を傾げるが、プリスには何のことやらだ。
「あいつらって?」
「さてはあの護衛どもめ! 役目をほっぽり出して逃げたのか!」
別の声が割り込んだ。白シャツにスラックスと言う、鉱山にはかなり似つかわしくない身形をした男だ。オールバックにしていただろう前髪が力無く垂れている様子が男の疲れを如実に顕している。プリスは塩鉱山の責任者だと推察した。面識が無いのもそう推察する理由である。
しかし白シャツの正体より気に留めるべきは、話の内容だ。
「護衛って何? 知らせを届けて来たのは運び屋よ?」
明らかに臆測で語られたことに、プリスは冷ややかな視線を向ける。口調も少し冷たくなっている。臆測は判断を鈍らせる。ここで必要なのは事実のみなのだ。
この時プリスが抱いたのは呆れに近い感情だけだったが、プリスの上級冒険者として、あるいはいざの時に最後の希望ともなる治療術士としての立場が、彼らの心胆を寒からしめるには十分だったらしい。無精髭もポニーテールも白シャツまでもが背筋を震わせた。
ただ、そうしながらも無精髭とポニーテールは、「誰のことだ?」と言う顔をする。彼らの予想した人物は運び屋に程遠い。
一方、白シャツは息を詰まらせながらも、どうにか声を出して問い直す。
「運び屋……です……か?」
「そうよ? だけどその護衛達がどうしたのかしら?」
無精髭とポニーテールが顔を見合わせて、首を横に振り合う。話に加わるようなものは何も持ち合わせていないと、プリスは見て取った。他の作業員達も似たようなものだ。だから白シャツの答えを待った。
その白シャツはと言うと、どう言ったものかを悩みながらも結局は事実だけを話す選択をする。
「示し合わせた合流地点に来なかったのです。そのために護衛を欠いたまま移動することになりまして……」
こうは言っても、護衛が全く居なくなった訳ではないし、作業員もそこそこ戦えないでもない。狼の二、三頭は撃退可能だ。そしてこの街道沿いは、魔物が出ても殆どがその程度のため、然程の危険は無い。
ここでプリスは、運び屋と彼らが擦れ違うことになった合流地点がどこなのかも気になったが聞き流す。聞き返すべきは事件の発端だ。大元の話をしなければ始まらない。
「ふーん。それで、こうしてみんなでセントラルスに向かわなければならなくなるなんて、一体何が起きたのかしら?」
口調も表情も緩めながら尋ねた。臆測が語られなければ表情を厳しくすることもない。
すると白シャツが安堵と意外が入り交じったような顔をする。
「え……? お聞きになったからここにお出でなのでは?」
全ての経緯を知っている人物と言うものは、一部しか伝わっていなくても自らが知っている事の全てが伝わっているかのように錯覚しがちだ。ついでに白シャツは第三者の関与の可能性を失念していた。念頭にあったのは塩鉱山に滞在していた運び屋だ。
しかし知らせを運んだ運び屋は、発端となる事件が終わった後に塩鉱山を訪れた。プリスはその状況を聞いた過ぎない。
「聞いたのは建物が跡形も無かったと言うだけよ?」
プリスが改めて経緯を話せば、白シャツは誰かと擦れ違っていたことに酷く喫驚を顔に出した。
「そうだったのですか……。解りました。お話しします」
白シャツは記憶を手繰るように視線を移ろわせた後、恐る恐るそれを繋ぎ合わせるように話し出す。
「……一昨日の昼前のことですが、突然、採掘場が白い巨人の襲撃を受けました。その巨人に宿舎などが全て破壊されたのです。そのためセントラルスまでの撤退を決断しました」
居残ったとしても再度の襲撃の懸念がある。撤退が妥当な判断だろう。プリスは一度頷いた。
「その白い巨人とはどんなものなのかしら?」
推測は可能だが、プリスはそれをしない。これには白シャツの方が躊躇った。
「それが……、白い巨人としか言い様が無いのです」
口から出る言葉もただの繰り返しだ。
プリスは白シャツの記憶が曖昧なのだと判断する。突然のことでパニックに陥っていたに違いないのだ。その状況ではっきりした記憶など望むべくもない。周りの冒険者達も口々に何か言い合うが、内容は白シャツと大差ない。精々「雪のように白かった」と言っているのがプリスの耳に届いただけである。
だからあっさりその件を取り下げる。
「そう。それならそのことはいいわ。それより経緯をもう少し詳しく話せるかしら?」
むしろあっさりしすぎだったようで、白シャツが肩透かしを食らったとばかりに目を瞬かせた。
とは言え、白シャツも拘泥はしない。曖昧なものを思い出そうとするのは苦痛を伴う。それよりも概要を話すことで思い出した事があるのだ。軽く息を吐いてから、その思い出した事を含めて話し始める。
「巨人は地響きと共に現れて、採掘現場の施設を破壊し始めました。
私達は慌てて避難し、その様子を遠くから見るしかできなかったのですが、施設を壊し終わった巨人は次に私達に狙いを定めて来ました。巨人の足はゆっくりのように見えて思いの外速く、そのままでは皆が逃げ切れそうにありません。だから護衛の一部に巨人の対処を指示し、作業員達にはバラバラになって塩鉱山から退避するよう、命じたのです。
ところがその護衛は大した時間稼ぎもしないまま失踪し、巨人も直ぐに作業員を追い掛けて来ました。
ただ、巨人は山の上までは追って来なかったもので、谷の道を通らずに山を越え、山頂付近で合流後に皆で山を降りるよう指示しました。
そして合流後にセントラルスに向けて出発したのです」
「なるほどね」
プリスは小さく一度頷いた。
「それで運び屋が通り過ぎても気付かなかったのね」
「はあ……。そうなりますか……」
白シャツ自身、プリスの言う運び屋を見ていないので何とも言えないのだ。プリスの言葉も問い質すようなものではなかった。
「それで、足りない護衛は山頂に現れなかったのね?」
「その通りです」
「他の集まらなかった人は?」
「幸いなことに居りません。皆揃っています」
「大体の状況は判ったわ。治療したい怪我人は居る?」
プリスは質問を切り上げた。後は実際に見て判断するしかないのだ。
ここで一つ懸念があるとするなら、ここに居る彼らが無事にセントラルスに着けるかどうかだ。歩けない、あるいは歩けなくなりそうな怪我を負った人が含まれていたなら、魔物に襲われなくても自力で辿り着ける見込みが薄くなる。その懸念は払拭しておかなくてはならない。
そしてそんなプリスの申し出は白シャツには暁光に映る。
「宜しいのですか?」
「ええ。料金は取るわよ?」
プリスは余程の差し迫った危険があるのでもなければ無償での治療はできない立場にある。今の彼らの状況は差し迫ったものとは考えられないから有償にせざるを得ないのだ。
「それは勿論です。おーい!」
白シャツが作業員達に声を掛け、幾人かが集まって来るが、幸いなことに深刻な傷を負った者は居なかった。
それでも幾人かの治療は行う。深めの裂傷など、普段なら薬草を擂り潰しただけの薬を塗って包帯を巻くか、ポーションを少しだけ垂らすだけで済ますような傷だ。しかしこの場にそれらは無く、セントラルスまでは丸一日歩く距離がある。不測の事態が起きる可能性を否定できない。
ただこんな時、怪我人の足下を見たような料金を請求するのが一般的だが、プリスは通常の相場通り、つまり一般的な治療術士が町中での治療の際に請求するのと同じ料金を請求する。これはプリスだけに着目するなら却って安い。プリスの立場上、普段には料金の上乗せがあるところを、上乗せ無しに請求するためだ。緊急と見なされる場合にはある程度の裁量が任されている。
しかしこのことは、一般的な治療術士がぼったくっていることを意味しない。それと言うのも魔力には限りが有り、一日で治療できる人数も限られるのが普通だ。その限られた中に誰を含めるかはお金のみぞ知ることになるのである。
そしてそんな事情が当て嵌まらないのがプリスなのだ。魔力に限りが無いと言っても良いほどのため、相手の懐を心配してやる余裕もある。しかしそれなら無料にしてしまえば良さそうなものだが、そこまではできない。そんな立場でもあるのだ。
「なあ、姐貴、少し負からねぇか?」
「無理よ」
「だよなぁ」
それでも大多数の冒険者にとっては高額だった。
一通りの治療を終えたのは、ほんの数分後のことである。
「それじゃ、あたしは採掘場の様子を見に行くから、あなた達はこのままセントラルスに向かうか、じっと助けを待つか好きになさい。くれぐれもバラバラにならないようにするのよ?」
「はいっ!? プリスさんが護衛してくださるのではないのですか!?」
プリスが立ち去ると聞いて、白シャツが素っ頓狂な声を上げた。
しかしプリスはにべもない。
「それはあたしの仕事ではないわ」
「そんな! 見捨てるって言うのか!」
動揺して言葉遣いまで乱れる白シャツである。プリスが来たことで安心しきっていたのも手伝って、捨てられたように感じてしまっているのだ。
ただ、そうしても良いような年齢や立場ではない。プリスの視線も冷ややかになる。
「いい歳して甘えないで欲しいものね」
「あ、甘っ……!」
白シャツは血が上りすぎたが、口をパクパクさせて言葉を失った。
プリスは白シャツの様子に肩を竦めてみせるだけだ。直ぐに踵を返し、塩鉱山に向けて走り出す。
が、数歩で足を止め、振り返った。
「言い忘れたけど、みんな無事で良かったわ!」
右手を大きく振りながら、無精髭他の冒険者達へと笑顔を向けた。無事が確認できたのは全員ではない。しかし今し方彼らに会う前までは全員が絶望的であることも視野に入っていたのだ。それからすれば、殆どの人の無事が確認できたのはどれ程喜ばしいことか。
そしてまた直ぐに塩鉱山に向けて走り出す。
そんなプリスを見送る無精髭の顔に浮かぶのは困り半分の笑顔だ。
「まったく姐貴はずりぃや」
別にプリスは何も悪くないのに、そう言いたい心情なだけである。
普段のプリスは無表情か緩い笑顔以外を顔に浮かべない。しかし今し方振り返った時は違う。これで幾人の冒険者の男が心を射抜かれたも知れない。
この時のプリスの笑顔は太陽のように輝いていた。




