1 失踪しました
馬車は盆地を囲む山の谷間を進む。谷間は広いものの、それを囲む山肌が崖とまで行かずとも急峻。そのせいで少々圧迫感がある。だからと別の道が在るわけではない。最寄りのセントラルスの町とここを抜けた先とを馬車で行き来するなら、ここ以外に無い。
峠を越えると特徴的な景色が広がる。
「ここはいつ来ても真っ白だ」
白は塩の色だ。山肌の表面をうっすらと覆っている。この先に在る塩鉱山の塩が雨粒に飛ばされるなどして降り積もったものだろう。所々黒や茶色に山肌がが覗く。
目的地はここを下った所に在る。
「そろそろだよな……。建物が見えてもいい筈なんだが」
目的地は山肌に隠れてはいるが、坂を下り切る前に建物が見える筈だった。ところがその建物が見えないから道を間違えたのかと不安になる。間違えようのない一本道。それが判っていても何となく不安になるのが人情なのだ。
ところがその不安は坂を下り切った所に別の形で横たわっていた。
「な! 滅茶苦茶だ! 跡形もねぇ!」
横たわっていたのは建物の残骸である。
◆
昼には少し早い時間。冒険者ギルドに人影は少ない。
人が居ないのだから、注意を向けなければならない相手も居ない。注意を向ける対象が無ければ、いつしか視線もぼんやりになる。
ただ、そんなプリスの様子に落ち着かない者も居る。
「プリスさん、ここお邪魔しますよ」
早めの昼食をテーブルに置き、ココットがプリスの目の前に座る。
「はい?」
有無を言わせず同席してしまうその姿に、プリスは嘗ての知人である受付嬢を幻視した。彼女はとある大男の冒険者に懸想して、何を思ったのか強引にその冒険者と相席するようになったのだ。
「プリスさんは今日も昼間からお酒ですか。そんなことでは、他の冒険者に示しが付きませんよ」
「ココットったらまたそれ?」
幻は一瞬で消えた。
プリスはグラスを持った腕を開いて、やれやれとばかりに頭を振る。
プリスが示しが付かなくなりたくないのはその大男の冒険者くらいのものなのだ。彼も昼間から酒を呑む毎日だったので、このことで示しが付かなくなったりはしない。むしろ彼と同じように振る舞うことで、彼の思いが少しずつ解って来たような気がしている。誇らしいくらいのものだ。
ただ、この冒険者ギルドの受付嬢と同じことを、彼を師匠と呼んだ少女――今はもう三十路を過ぎた大魔術士――が言ったなら、少しは誤魔化しの言葉を返すかも知れない。しかしそうなる可能性は低い。きっとお小言ではなく、溜め息混じりの笑顔を向けられるだけだろう。
それはともかく、かの受付嬢も大男にお小言三昧の時期があった。だから、このココットのお小言も思い出の光景に似ていると言えば似ている。それなら幻視が続いても良さそうなものだが、そうならないのは他でもない。この件ばかりは思い出す度にもどかしさばかりが募るのだ。
もう一つ、かの受付嬢と目の前の受付嬢との違いを見出すなら、かの受付嬢はお小言の時に立ったままだった。あまり良い結果にならないことが判っていたのだろう。大男の目の前に座るようになってからは取り留めのない話ばかりをしていた。
そして、そうなってからのその二人はとても自然に見えたものだ。
それもこれも全てはかの受付嬢には強い思い故だろう。
「もしかして、あたしのお嫁さんになりたいのかしら?」
大男の妻になることがそれだ。プリスは彼女が幸せになるものだと思ったし、願いもした。
「な!」
尤も、そんなプリスの内心がココットに判るはずもなく、ココットは文字通りに受け取って一瞬絶句した。
「わたしはノーマルです!」
「冗談よ」
プリスとて、かの受付嬢のお小言の発露が大男への懸想故だと理解したのは受付嬢の思いの強さを知ってからのことだ。しかしそれを一旦理解した後は、お小言の形が違って見えるようになった。具体的には友情を超えた感情だ。同性であれば少々倒錯じみてしまうので、ちょっとばかり釘も刺したくなるのである。
「もう……」
ココットは少し口を尖らせた。
「でも何か最近、ココットのお小言でギルドに居るのを実感するようになったわ」
もしかすればかの大男も同様だっただろうかと考える。受付嬢のお小言が始まったら面倒そうに退散するのがいつもの光景だったが、それを理由に冒険者ギルドから足を遠退かせることもなく、受付嬢を避けて通ることもなかった。
大男のその時の心情をはっきりと推し量ことはできない。しかし存外大きく外れてはいないようにも考える。
尤も、それ以上に推し量れようがないのが、ココットによるプリスの心情である。ヒントも何も無しに推し量ることがどだい無理な話だろう。
「そんなので実感しないでくださいよ」
勢い、膨れっ面だ。
「それで? ただ何となくここに来た訳でもないのでしょう?」
いくらココットでもお小言のためだけに座り込むような暇人ではないことをプリスも知っている。
「何となくじゃ駄目ですか?」
プリスはジト目で黙って睨んだ。
「……冗談です」
ココットは一瞬で降参。先の意趣返しには程遠かった。
「実は一応お耳に入れておきたいことがありまして」
ココットの視線が打って変わって力強い。
ところが膝に手を突いて肩を怒らせるような姿のせいで、迫力不足が否めない。傍目には相談を持ち掛けているように見えてしまうこともさることながら、仕草の一つ一つがチャーミングだからだろうか。
ともあれ、この愛らしさは明らかに生来のもので、真似しようと思ってできるものではないとプリスは思う。もしも真似しようとすれば無様を晒すだけだ。それでも過去には「こうありたい」と思ってしまう人が幾人か居た。
一人は微妙に下世話さを覗かせつつも、不用意には他人の心に踏み込まず、それでいて全ての人を包み込むような陽気さを持ち合わせた、プリスの上司でもあった稀代の治療術士。プリスがこの町に移り住むために故郷を出立した時には矍鑠としていたから、それからほんの二、三年で訃報を受け取った時には酷く驚いた。
しかし高位の治療術士の最期とはそう言うものだと、訃報に添えられた手紙で知った。寿命を迎える日まで元気に働き、ある日いつものように就寝した後、二度と目を覚まさなくなるのだ。それこそ蝋燭の炎が掻き消えるかのような突然さらしい。
その手紙には、プリスの最期も同様だろうと記されていた。この点ばかりは「こうありたい」と思った相手と同じになるらしい。
もう一人は、一人の男を一途に思い続けた受付嬢。真似ができる筈もないと解り切っているだけに、純粋な憧れ以上のものは持ち得なかった。
何よりこの二人は生来の性格に拠っていたために、真似したくてもできない。しかし後天的行動なら話は別だ。
だから世界の状況が一段落したのを見計らって、ある人物の真似をして昼間から酒を呑んでみた。
すると、妙に馴染んだ。繰り返す度に当たり前の日常になって行った。
「プリスさん、聞いてますか?」
「ごめんなさい。聞いてなかったわ」
思索に耽るあまりのぼんやりだ。プリスはココットから問い質されて現実に帰った。
「塩鉱山で作業員一名が失踪しました」
ココットの話は意外なものだった。鉱山作業員は重労働ではあるものの、皆それを承知で従事している。現場監督も誰かに辛く当たったり、逆に誰かを身贔屓したりの話は無く、事務的に接していると専らの評判だ。この辺りは失踪する理由にならないだろう。
尤も、現場監督は事務的なだけに、作業員同士のいざこざの仲裁もしないらしい。すると一つの可能性はある。
「作業員同士のトラブルかしら?」
「それらしい話はありません」
失踪するほどのトラブルとなれば監督責任を問われかねないため、事務的に仕事をしているなら余計に原因を究明するだろう。もしも隠蔽して後で発覚すれば、更迭だけでは済まなくなる。隠蔽の危険を冒すとは考えにくい。
「それなら崩落でも起きたの?」
「いえ、そんな形跡も無いとのことです。仕事が嫌になって逃げ出したんだろうと言われてはいるのですが……」
「こんな場所でどこに逃げるのよ……」
セントラルスより東は大陸西部としては比較的安全になっている。とは言え、大陸西部はまだまだ魔物の跋扈する土地。いつ襲われるか判らない。安全なのは人が建設した町や駐屯地とその周辺が精々だ。加えて、魔毒を持つ草も多い。魔毒草のように魔毒を発することはなくても、魔毒のある土地では魔毒を帯びてしまう。だから大陸東部なら常食にしている野草であっても安易には食べられない。そして何より大陸東部までが遠い。
魔物に怯え、食べるものも無く、徒歩なら数十日掛かる大陸東部まで逃げおおせるものではない、と言うのが大方の見方である。
「ですよね」
ココットもそれを判っているので、語尾を濁してしまったのだ。
何にせよ、疑問があってもここで話して何か解決する筈も無い。二人は話を切り上げ、ココットは昼食に手を伸ばした。
「この酒場のご飯は美味しくて助かります」
ココットは一口食べる毎に表情を綻ばす。少し冷めてしまっているが、その程度で美味しさが損なわれたりしない。むしろセントラルスの陽気の下では少し冷めたくらいでちょうど良い。
プリスはと言うと、美味しいことは良いことだと、ココットの表情を肴に酒をちびちびと呑む。
いつも通りのまったりとした時間が過ぎて行く。……かのように見えた。
「た、大変だ!」
バタンと大きな音を響かせて扉を押し開いて、男が冒険者ギルドに飛び込んで来た。




