26 馬車は揃っておるよ
魔物が視界に映らなくなって数分後、四台の馬車は駈歩混じりの速歩だった馬の足を常歩に落とす。それからまた数分。テランは先頭の馬車から飛び降り、最後尾の馬車の後部に乗り込んで、後方を注視する。
不穏な気配は何も無かった。
「魔物は追って来ていない。ここらで一度馬を休ませる!」
テランはまた先頭の馬車まで走りながら指示を出す。
「馬に水と餌だ! 馬が飲み食いしている間にわしらも食っておくぞ!」
冒険者達は黙々と作業をこなす。口を開かず、いつもより真剣に手早く進める。
そんな中で一人だけ手持ちぶさたのテビックが「何をぐずぐずしているんですか!」「魔物が来ているかも知れないんですよ!」「早く出発しましょう!」などと、コビアやテランに頻りに言い募る。当然の如く、二人は適当に往なすだけで取り合わない。丁寧に付き合ってやれるだけの心の余裕が今は無いのだ。それでもあまりにしつこかったために、テランがテビックの胸ぐらを掴んで「縄でグルグル巻きにされたいか」と脅しつけるに至って漸くテビックも静かになった。
速めの速歩だったこともあって、休憩は普段より長い。休めるのは馬だけだ。特に護衛の四人は魔物が追って来ているかも知れないと考えると、警戒を解くことはできず、気の休まる暇が無い。
人にとっては名ばかりで、一昼夜にも感じられるような休憩時間はゆっくりと過ぎて行く。運び屋達は馬の状態にずっと気を配る。
そして馬が歩けそうになったところで慌ただしく出発の準備を始めた。
「そろそろ出発する。馬には無理をさせるが、今日と明日だけは耐えて貰おう」
ところがここでテビックが気付かなくて良い事に気が付いた。
「ちょっと待ってください。馬車が一台足りません」
「馬車は揃っておるよ」
コビアは間髪を容れずに返答したが、テビックが譲らない。
「そんな筈は! 空荷の馬車がもう一台有ったではありませんか」
「あの馬車はもう来ぬよ」
「ま、まさか置き去りにしたのですか!?」
テビックが愕然と目を見開いた。
詰め寄られる形のコビアは目を伏せ、口を引き結ぶ。
「何て寝覚めの悪いことをしてくれたんだ!」
テビックは根が善良だ。それが冒険者だろうと、自分のために他人が犠牲になったら後ろめたさを感じてしまう。冒険者を低く見てはいても、人として見ていない訳ではないのだ。
コビアがテビックの依頼を請け続けていたのも、それが理由だ。
しかし今は議論などしていられない。できるだけ遠くに行くのが先決だった。
「今はそんなことを言っている場合じゃない。先を急がんとな」
「出発する」
テランが手伝ってコビアの馬を馬車に繋いだところで、テランは号令を発した。
その横で、コビアが眉尻を下げながらテビックに言う。
「カーワーさんも早く乗ってくだされ。理由を知りたければ道すがらに話すからね」
「判りました……」
テビックも「魔物がまた来るかも知れないから」と言われれば、頷かざるを得なかったらしい。
「出発だ!」
コビアの馬車の横から発したテランの号令で、馬車が動き出す。テラン自身も最後尾の馬車の荷台に素速く乗り込む。動く馬車の後部から後ろを注視する。
魔物が追って来る気配は無い。
そのまま数分間進んだところで、テランも漸く一息吐いた。
その頃のコビアの馬車では、テビックが我慢の限界とばかりに身体ごとコビアに向けて、コビアを問い詰めようとしていた。
「さあ、聞かせてください。どうしてあの老人を置き去りになんてしたのですか?」
「お守りだからだよ」
答えは酷くシンプルだ。
「何なのですか? そのお守りって」
「こうなっては話した方がいいんだろうね。だけどもう大方想像できているんじゃないかい?」
コビアは根が善良なテビックには伏せたままにしておきたかったが、ここに至っては話さざるを得ない。
「囮……ですか?」
テビックは言い難そうに答えた。最後が疑問形になったのは、そうでないことを期待してのものか。いや、無意識な拒絶だろう。
コビアは黙って頷きを返した。
その、さも当然とばかりの風情にテビックが目を瞠る。根が善良なこの男には囮の在り方が堪えられない。
「ですが、犠牲にするためにメンバーに加えるなんて、あんまりじゃないですか!」
「だけど、そうしなければオーボさんは生きられなかった」
コビアは目を伏せ、苦しげに言った。
その酷く苦しげな表情に、テビックの沸騰していた頭が冷える。真っ赤にしていた顔色が、むしろ青くなる。
「……どう言うことですか?」
テビックは声を少し震わせて、絞り出すように尋ねた。
「オーボさんは杖無しじゃ歩けないほど身体が弱っていた。それじゃ罠猟師も運び屋もできやしない。お守りをする以外に稼ぐ方法が無かったんよ」
コビアは淡々と答えた。
お守りなら、馬一頭の世話と御者ができるだけで良い。少し身体が不自由になっていて、一つ一つの作業に時間が掛かったとしても、一日で一日に必要な作業をこなせれば良い。そこまでできれば自分の命を担保に収入を得られる。そんな話だ。
だが、テビックは納得しない。
「だったら他の冒険者が面倒を見れば良いではないですか」
これは正論のようで、単なる錯覚だ。冒険者全てが単一の何かのように見えている。
だからコビアも呆れた声になる。
「あんた、何か勘違いしてないかい? 冒険者同士ってのは家族じゃない。ただの同業者だよ。あんただって知り合いってだけの同業者を助けたり、逆に助けられたりなんてしないんじゃないかい?」
「……」
テビックは押し黙った。テビックも同業者と助け合いをしたことなど無かった。もしも誰かが助けてくれるようだったら、今頃はセントラルスではなく大陸東部のどこかの町で店を開いていたに違いない。
「だからって何も思わないなんてことは無いよ。もっと護衛が充実しておれば、さっき程度ならお守りに頼らずに済んだろうからね」
これはある意味で当て付けだ。もしも護衛が充実していたら、逆にお守りが不要になる。脂が乗った護衛十人で敵わないような魔物の群れに遭遇した時には、お守り一人を置いて逃げても殆ど意味を為さない。
だからお守りを置くのは今回のテビックの依頼のような低人数で低報酬の仕事の場合になる。人一人の命を掛け金にして道中の無事を担保しなければ報酬が割に合わないような仕事こそ、お守りの出番なのである。
そしてそんな仕事が無ければ、オーボのような老人は生活することができないと言う、不都合な現実も有った。
「……」
テビックは冒険者の不都合な現実を知らない。それ故に、コビアの言葉を額面通りに受け取って沈黙するだけだった。
テビック一行はもう一夜の眠れぬ夜を過ごして、明くる日の早くに出発する。そして昼過ぎにはセントラルスに無事、帰着した。
真っ直ぐテビックの店に向かった一行は、店に仕入れの荷物を下ろし、テビックから確認のサインを受け取ったところで解散する。運び人や護衛の老人達が多くを語らず去って行く。
テビックも荷物の整理を簡単に済ませただけで帰宅した。その顔には陰りが見える。
「ただいま」
「おー、お帰り。なあ、父ちゃん。この前俺の仕掛けた罠に獲物が掛かったんだぜ!」
先に帰っていたらしいアトスの弾んだ声に、一瞬驚かされたテビックだったが、直ぐに表情を和らげる。そして優しげな声で言う。
「そうか。それは嬉しかったな」
「そして今は罠を作ってる。見てろ。俺が作った罠で獲物を捕ってやるからな」
「そうか。それは頑張らないとな」
今度も声もまた優しげだった。
これに違和感を抱くのがアトスだ。
「父ちゃん? どこか具合が悪いのか?」
「どうして?」
テビックはどこかそう見える所が有るのかと疑問に思った。体調には悪い所が無い。
「『冒険者なんて辞めろ』って言わないから」
「あ、ああ。そうだったかな」
アトスの答えは明確だったが、何故かアトスの言った言葉を繰り返すことさえ憚られた。
「ほんとに変だぞ?」
眉根を寄せるアトスに、テビックは力無い笑顔を返すことしかできなかった。
コビア達運び人は、それぞれ自宅に戻って馬車の後片付けと馬の世話を済ませてから、冒険者ギルドの酒場に集まった。護衛達も先に集まっている。
お互いに軽く挨拶をして席に着き、静かに酒を酌み交わす。しかしその表情は、酒を呑んでいると言うのに、影が差したように暗く沈んで晴れない。
そんな老人達を、プリスは見咎めた。
彼らが無事に帰って来ていることを一瞬だけ喜んだが、あまりの静けさに引っ掛かりを感じずにいられない。騒ぐような老人達ではないが、いつもならもっと陽気な会話が飛び交っている筈だ。よくよく見れば一人足りない。
「あれ? オーボさんはどうしたの?」
胸騒ぎの予感がした。その予感を否定して貰いたくて尋ねたのかも知れない。しかし、尋ねたのを切っ掛けにして、予感は胸騒ぎに変わった。自然と右手を胸に添える。ゆっくりと振り向く老人達の表情に、右手を握り締めた。
コビアが老人を代表するように、居住まいを正してプリスを見据える。
「オーボさんはお守りを全うしたよ」
ぽつりと、それでいてはっきりとした声。望んだ答えは返らなかった。
息が詰まった。有らん限りに目を見開いた。視界が歪み、ゆらゆらと揺れる。頬を熱いものが伝った。
「そう……なんだ……。ふえ……」
自分の口から漏れた変な声で、自分が涙を溢れさせていることを自覚した。
こんなことではいけないと、必死に堪えようと試みる。
それが老人達にも伝わったのかも知れない。
「嬢ちゃん。嬢ちゃんはオーボさんを褒めてやってくれ。その方がきっと、オーボさんが喜ぶ」
トショルの優しく、プリスの努力を後押しするような言葉。プリスは俯いて小さな声で答える。
「うん……」
そしてお辞儀するだけの挨拶をして踵を返した。向かうのはいつもの席だ。
その一方で、プリスを見送る老人達の表情からは少しだけだが影が薄れていた。
「さあ、わしらはわしらで呑もう」
コビアの声も少しだけ明るい。それは少し嬉しかったから。
自分達より若い世代のプリスがオーボを忘れないで居てくれる。それも良い思い出としてだ。ただ消えるのではなく、形は無くとも残るものが有る。これだけでオーボの人生に意味が有ったのだと信じられる。
勿論これは想像だ。他人の胸の内を知ることなどできよう筈も無い。だけど何となくそう思える。それだけで良い。それだけで老人達は少しばかり心が軽くなって、救われたのだから。
プリスはいつもの席に着き、グラスを傾ける。目頭には涙が零れないように力を籠める。老人達の言う通りにオーボは涙を望まない筈なのだ。
知らず知らずの内に寄った眉間の皺。これに触れて思い出されるのは、今はもうどこにも居ない、師匠のようでもあった大男の冒険者のこと。彼の眉間には深い皺が刻まれていた。
その皺の意味は、近くに居た時には気付かなかった。気付いたのは、彼と同じように日がな一日酒を呑んで過ごすようになってからだ。気付いていただろう女性は居た。彼をずっと思い続けたその女性はきっと、皺が刻まれて行く様子を見詰めていたに違いない。その彼女を思うとまた切なくなる。
だけども彼と彼女を思うのは今日は止めだ。今日はオーボに聞いた話を思い出そう。
プリスはそう考えながら、少し多めに酒を呷った。




