24 そう簡単には行かんさ
アトスが初めて罠を仕掛けた翌々日。最初に仕掛けを任された箱罠の傍に、その姿は在った。
箱罠を横の隙間から覗き込み、入り口からも覗き込む。
「何にも掛かってない。来なかったのか?」
アトスは心底残念そうに口をへの字に歪めながら言い、それから心の安寧のためには最も気楽な可能性を口にした。獲物が全く来なければ罠に掛かろう筈もない。
しかしワナッシは指摘する。
「いや、よく見てみろ。罠の近くに足跡が沢山有る。警戒されたんだ」
アトスには何も無いように見えている。殆ど爪の跡だけで、初見では見分けの付かない足跡だからだ。しかしながら、罠猟師暦二十年に近いワナッシにははっきりと判る。
アトスは怪訝な顔をする。それでもワナッシに見分け方を教えられれば理解した。だが、獲物が近くを彷徨いたのが判っても、罠に入らなかった理由が判らない。
そして判らなければ聞く。この辺りは実に素直なアトスである。
「どうして?」
「ボウズはこの罠にやたら時間を掛けてただろ? 罠の近くにボウズの臭いが染みついたんだ」
問いに対するワナッシの答えは明確だ。前に「碌な事にならない」と言った通りになっているのだから、明確でなかったらどうかしている。
問題なのは、人には認識できないほど仄かな臭いのところだ。説明されたアトスも絶望的な声を出す。
「臭いなんてどうすりゃいいんだよ」
付いているのか、いないのか、嗅ぎ取れないから判別もできない。それでどうやって臭いを付けないようにするのかが判らない。
しかしこれもワナッシにとっては一度通った道だった。
「まずは時間を掛け過ぎないことだな。それと、罠の近くだけじゃなく、その周りにも臭いを付ける」
「臭いを付けたら駄目なんじゃないのか?」
「罠の傍だけってのが駄目なんだよ。そこら中にうっすらと臭ってたら判らなくなるものだ」
木を隠すには森の中、のようなもので、辺り一面が臭っていれば、殊更罠だけが警戒されることも無くなると言うことだ。ワナッシはこれを視覚で説明した。人には視覚の方が判り易い。罠の目印を罠の場所にだけ付けていれば、注意深い人なら誰にでも罠の場所が判る。しかし罠以外の場所にも目印をばらまけば、罠がどこか判らない。そしてその目印の全てを回避することができなければ、そのどれかを選ばなければならないのだ。
これをアトスが理解したところで、次の罠に向かう。
「餌だけ取られてる……」
「うまく動かなかったんだ。仕掛け線が緩かったな」
がっかりするアトスに、ワナッシが仕掛け線を引っ張って見せる。仕掛け線を張る時に紐が伸びているのに気付かなかったらしい。
「こんな失敗も経験の内だ。どうやったら失敗するか知っていた方が次から失敗を避けられる」
罠を仕掛け直したら、括り罠の様子も見に行く。これには獲物が近付いた様子も全く無かった。
「ちぇ……。一つも獲れてねぇよ」
「そう簡単には行かんさ」
期待外れだと言ってふて腐れるアトスを、ワナッシは苦笑いしながら宥めた。罠猟師を始めた頃の自分もアトスと同じようなものだったと思い返してしまい、笑うしか無かったのである。
日が変わって早朝。ネッケートは宿屋のペコラの部屋のドアをノックした。
目を擦りながら顔を出したペコラは、目の前に立つのがネッケートだと判るや否や、深く眉間に皺を寄せる。眉間の皺が癖になったらどうするのかと、ネッケートが内心で心配するほどだ。
「ネッケート……、こんなに朝早く何かな?」
ペコラは不機嫌を余すところ無く表情に出して尋ねた。寝不足は美容の大敵だとでも思ったかは判らない。
問われたネッケートは腰に手を当てて言い放つ。
「今日からまた走るぞ」
「えー……」
盛大に顔を顰めるペコラ。
「ごめんなさい。無理。カリンちゃんが一緒に走るなら考えるけど……」
言うだけ言って、ドアを閉めてしまった。
ネッケートは口を一瞬だけへの字に結んで直ぐに元の表情に戻り、踵を返してカリンの部屋に行く。そしてドアをノックした。
カリンもペコラと同じく不機嫌そうな顔を出した。そしてネッケートと判ると、不満そうに口を尖らせる。
「もう何?」
「今日からまた走るぞ」
問われたネッケートはまた腰に手を当てて言い放った。
しかしカリンはそれを一刀両断。
「絶対無理」
バタンと少しばかり大きな音を立ててドアを閉じてしまった。
アトスはふて腐れつつ、前回不調に終わって仕掛け直していた箱罠を睨んだ。
「また餌だけ無くなってる」
「仕掛け線が引っ掛かって、落とし戸が落ちなかったみたいだな」
仕掛け線が途中に引っ掛かって、落とし戸のストッパーを引けなかったらしい。
「そんなの有りかよ」
「有りも無しも落ちなかったものはしょうがない」
ここら辺は有りの儘を受け入れるしかない。そして何が悪かったのかを調べ、改善して行くしかないのである。
「ちぇ……」
どうやらそれが判らないアトスではないようだ。
日が変わって早朝。ネッケートは宿屋のペコラの部屋のドアをノックした。
またも普段より早い時間に起こされたペコラは目を擦りながら顔を出す。そしてネッケートを目にするや否や、肩を落とした。
「ネッケート、また?」
「プリス殿から教授される機会をみすみす逃して良いのか?」
嫌そうな声音で問われても、ネッケートはめげない。走れと言うだけで駄目だった反省を生かし、今度は少し搦め手で迫った。
しかし無駄だった。
「それは残念だけど、ごめんなさい。一時間走り続けるなんてできないよ……」
「為せば成る!」
「ごめんなさい。それはネッケートだから言えるんだよ……」
ペコラは端から諦めていた。やればできると言われても、できるとは考えない。肉体的鍛練を考えるだけで、地に根が張ったように動きたくなくなるのだ。そしてそっと部屋のドアを閉めた。
ネッケートは閉められたドアを見て、少しだけ口を歪める。しかし直ぐに踵を返してカリンの部屋に行き、ノックする。
ドアから眠そうに顰めた顔を出したカリンは、相手がネッケートだと判ると、更に顔を顰めた。
「もう何?」
「走るぞ」
ペコラには引き合いに出せたプリスの言葉も、カリンには通用しないので言葉は簡潔だ。それでもペコラの「カリンが一緒なら」の言葉に希望を求めてカリンを誘う。
しかしやはり無駄だった。
「そんなことして疲れたら、狩りに支障が出るじゃない。だから嫌」
バタンと少し大きな音を立てて、ドアは閉まった。カリンの肉体的鍛練に対する忌避感も筋金入りだった。
ネッケートはまた少しだけ口を歪めた。
仕掛け直した箱罠を前に、アトスは目を吊り上げた。
「クソがっ!」
どうにもならないと判っていても叫んでしまうのは人の性であろうか。
頭から湯気を上げそうにしているアトスの姿に苦笑するワナッシだが、直ぐに口をへの字に曲げる。獲物が何も通り掛かっていないのなら問題無い。しかし通り掛かった痕跡が有るのだ。その何かが農地を荒らしていたら目も当てられない。農地を荒らされる懸念を払拭するためにも自ら罠を仕掛けるべきかと考える。
しかしそれではアトスが挫折しかねない。失敗しただけでその先に成功が無かったら、失敗の経験が心の澱になる。
だから腹を決めてアトスに任せることにした。
「イライラしながらじゃ、余計にミスするぞ?」
腹立ち紛れに作業をするアトスに、忠告だけをして。
日が変わって早朝。ネッケートは宿屋のペコラの部屋のドアをノックした。
ペコラは予想していたとばかりに、ドアから半分だけ顔を出して半眼で睨む。
「またなの?」
「うむ。今がチャンスだ!」
ペコラの問いに頷き、ネッケートは言い放った。
「ごめんなさい。意味判んないよ」
そりゃそうだ。何せネッケート自身が何を言って良いのか判らないまま出任せを言ったのだ。意味が判る方が怖ろしい。
ネッケートがペコラやカリンを力尽くで走らせるのは容易い。しかしそれでは駄目なのだと、本能的な部分で感じている。だから促し、励ます以外に思い浮かばない。
閉められたドアをほんの瞬き二回分だけ見詰め、ネッケートはカリンの部屋に行ってドアをノックする。
「しつこい」
カリンはドアを開けるなり言った。
「ここが踏ん張りどころだ!」
最早万人に意味不明だ。しかしこれはネッケートが自身に言い聞かせたようなもの。踏ん張りどころなのはネッケートなのである。
勿論カリンには伝わらない。
「独り言なら余所でやって」
カリンが冷たく言い放って閉めたドアを、ネッケートは少し哀しげに見詰めた。
アトスは箱罠を前にぼやく。
「全然入らねぇ。何でだよ……」
「別に悪くは無さそうなんだがなぁ」
アトスの飲み込みは意外に早く、拙さは残るものの、ワナッシが見ても問題の無い仕掛けになっていた。
しかしその仕掛けが全く動いていない。たまたま獲物が来ていないのか、はたまた避けて通られてしまったのかは、判断の付かないところである。
日が変わって朝。ペコラとカリンが起き出したところで、ネッケートは今日の方針を二人に告げた。
ペコラがネッケートをぽかんと見やる。
「え? ネッケートだけで狩りに行くの?」
「うむ」
ネッケートはいつになく神妙な面持ちで頷いた。
しかしカリンが黙っていない。カリンは、ペコラもだが、「ネッケートは自分が居ないと駄目だ」と考えている。プリスに言わせるならどっちもどっちの関係だが、当事者は意外と足下が見えていない。
「させられる訳無いじゃない。そんな危ないこと!」
「この勇者、独りで試さねばならぬことが有る」
ネッケートは毅然として言った。何を言われようと決意は揺るがないと示すように、腕を組み、二人を交互に見据える。
それはペコラに伝わったらしい。ペコラは止めるのを止め、何をしようとしているのかを尋ねる。
「それって、何?」
「秘密だ。では温和しく待っているのだぞ」
ネッケートは答えなかった。答えれば、二人にとって都合の悪い事実を告げなくてはならなくなるから。
アトスは感極まって叫ぶ。
「や、やった! 掛かった! ざまぁ見やがれ!」
誰が様を見るのかは、さっぱりである。失敗したのは獲物なのだが、恐らく獲物に向けた言葉ではない。きっとアトス自身にも判っていないだろう。
「やったじゃないか。それも二体一度だ。こんなのはなかなか無いぞ」
ワナッシは不敵に笑おうとして失敗していた。不敵と言うには口角が上がり過ぎて、にやけてしまっている。教え子の仕事が上手く行くのを見るのは不思議と嬉しいものだったのだ。
しかしまだ猟は終わっていない。獲物に止めを刺して、冒険者ギルドに持ち込んでこそ完了だ。
「それじゃあ、仕留めてみろ」
「おう!」
アトスは槍を手に、威勢の良い声を上げた。
ネッケートは草原に居る。ペコラとカリンに告げた方針通りだが、普段よりも町から離れた場所だ。これは無理をしてのことではない。むしろ逆。日頃は二人の歩く速さに合わせていることで来れなかっただけである。
町から離れれば、町の近くでは殆ど見られないサイズ三――人の腰の高さくらいの体高――以上の大きさの魔物を頻繁に見る。町の近くで見られないのは、猟師が大型の獲物を優先して狙うからに他ならない。同じ狩るなら大きな獲物で、街から近い方が良い。これが繰り返されることで町の近くから大型が減った。今となっては大型を狙おうと思えば町から離れることになるが、こればかりは自然の成り行きだろう。
ネッケートはそのサイズ三の魔物を危なげ無く狩った。これなら三人分の宿代と食費を十分賄える。普段、ペコラやカリンと一緒の時には宿代にも厳しい、もっと小さな獲物しか狩れないが、これはペコラやカリンの実力云々の前に、町の近くでしか狩れないためだ。二人の体力の無さが足を引っ張っているのである。
「決断せねばならんか」
ネッケートは大きく息を吐きながら呟いた。
アトスは獲物を抱えて冒険者ギルドの買取所に来た。この様子は居合わせた冒険者にとっては恰好の冷やかしの的だ。
「小僧、大荷物だな」「何だ? 扱き使われてるのか?」「子供にだけ荷物を持たせるなんて、ひでぇ師匠も居たもんだな」
「ちげぇよ! 俺が仕掛けた罠に掛かった獲物だから、俺が持ってるんだよ!」
からかっていた冒険者達はアトスの口答えを聞いて笑みを強くする。単純な男達にとっては、冗談を見抜いて狡猾に返されるよりも、素直に返される方が心地好い。ワナッシを庇うようでもあり、自分の仕事に誇りを持っているようでもあるなら尚更だ。
ワナッシが苦笑しながら冒険者仲間に報告する。
「ああ、初獲物だ」
それを聞いた冒険者達が歓声を上げる。
「そっかそっか初獲物か」「そいつはすげぇな」「よくやった!」
「止めろよ! こんなの何でもないだろ!」
アトスは顔を真っ赤にして叫んだ。誰が見ても、初めて受けた純粋な褒め言葉に照れたのだと判るが、口にしたのは照れ隠しだ。これを見逃す冒険者達でもない。
「おっ、やっぱり生意気だ」「口だけはいっちょ前だ」
アトスがますます顔を赤くして口をパクパクさせる。ワナッシは苦笑が深くなるばかりだ。
「ほら、こんなおっさんらなんか放っておいて、窓口に行くぞ。手続きもアトスがやれ」
「おう」
ワナッシが声を掛けたことで、アトスも自身が優先させるべき事を思い出したらしい。顔の赤みも引いて行く。
そしてワナッシは「なんかとはなんだー」とか何とか、棒読みの抗議を聞き流しながらアトスに言う。
「今日の代金はアトスが全部受け取れ。ワッシからの初獲物のお祝い込みだ」
「あ、ああ! ありがと、おっさん!」
目を一杯に見開いて、アトスは感謝を口にした。いつもの、少し斜に構えていた方が格好良いと言いたげな雰囲気を微塵も感じさせない。案外これがアトスの素なのだろう。
これを感じて、ワナッシの頬が緩む。そして次なる課題を言うのだ。
「仕掛けるのにもう少し慣れたら罠作りも教えるからな。そのつもりでいろよ?」
「おう!」
この返事も素直で元気一杯なものだった。




