17 魔物が来ておるかも知れんの
二度目の休憩を終え、三十分ばかり経った頃。オーボの馬がブルルンと小さく嘶いて、首を振った。
馬としては十分老いぼれになったこの馬と、オーボとの付き合いは十五年に近い。今や気心の知れた仲とも言える。
そんな塩梅だから、オーボは馬の仕草で馬が何を感じ取ったのかを察することができるのだ。
「魔物が来ておるかも知れんの」
「どっちに?」
警告を聞いたテランは警告そのものの真偽を問い直したりはしない。実績にも裏打ちされた信頼だ。
そして打てば響くように答えは返る。
「右かの」
テランは御者台に立って、右方に目を凝らす。すると遠くに蠢く姿を捉えた。
「居た。魔物だ。サイズ三が四体ってところか……」
魔物はキメラ化等の影響で、姿形や大きさが元になった動物から懸け離れていることが多い。下手に姿で表現しようとすると、分別に迷って伝達が遅れたり、伝えられた姿に囚われて大きさを見誤ったりと言ったことも起きる。これらを避けるために大きさのみで表現する。
そしてその大きさの分類は、体高が人の足首程度ならサイズ一、膝ならサイズ二、腰ならサイズ三、頭ならサイズ四とされている。目測だからかなり大雑把な分類だ。サイズ三なら大きめの猪、大型の犬、小型の熊などが含まれる。
「少し厳しいかの?」
これには被害を出さない前提が付いている。護衛の四人は歳を取って衰えたものの、中級下位に相応しい実力を持っていた時代に慣らした腕で、この大きさの魔物と一対一なら相手取れるのだ。不覚を取らない保証もできないが、そうなる可能性は高くない。
しかしテランは安全を優先する。もしも魔物に後続が居たら危険だ。
「この程度なら何とかなるさ。しかしまだ遠いから、できれば逃げを打とう。ちょっと前に伝えて来る」
「行ってらっしゃい」
テランは御者台に上り下りするステップに足を掛け、身体をできるだけ低くして横っ飛びに飛び降りる。そして馬車の横を先頭に向かって走りながら護衛の仲間に状況を伝える。
「右に魔物だ。逃げるぞ」
「おう」
それから足を止め、馬車が通り過ぎるのに合わせて御者をしている運び屋の仲間にも声を掛ける。
「合図をしたら速歩だ」
「心得た」
オーボの馬車が来ると、手摺りを持って併走し、ジャンプ一発でステップに足を掛けて乗り込んだ。
「準備は出来た」
「お帰り」
そしてまた御者台に立ち、高く上げた手で払うような仕草をする。
「行ってくれ」
声までは届かないが、ここら辺は気持ちだ。
前を行く馬車の護衛達も御者台に立ち、後ろからの合図を確認したら、同じ合図を前の馬車に送る。護衛が乗っていないコビアの馬車は飛ばすことなるが、これはもう致し方ない。テビックに手綱を預けるのも、合図の伝達に加わって貰うのも不安しか無いのだ。そのテビックは落ち着かない様子で右を左を忙しなく見回している。
そうして先頭まで合図が伝えられたところで先頭の馬車が速度を上げ、後続もそれに合わせる。コビアは予め聞いた方針に従って心構えをし、前の馬車に合わせるだけだ。
馬車は走る。護衛達は右後方を望める場所に移って魔物の動きを注視する。馬車より魔物の足の方が速い。
「クソっ。追い掛けて来る。迎撃しなきゃならんらしい」
テランが苦々しげに言った。
「止めるかい?」
「そうだな。それでも先にクロスボウを試す。これで数を減らせれば、後が楽だ」
迎撃するなら早めに止まった方が準備の時間が取れる。テランはクロスボウの準備をしてから停止の合図を送る。最初の指示とは違って、皆が指示を受け取れるように後ろにも注意を払っているので、馬車を降りる必要は無い。
「止まれぇ。迎え撃つぞ」
合図が伝わり、先頭からゆっくりと速度を落とす。いきなり落としたら追突しかねない。特に前に合わせるしかないコビアが危険だ。
その速度を下げて行く馬車から、テランはクロスボウで魔物を狙う。大きめのクロスボウは比較的有効射程も長い。その有効射程いっぱいの辺りで一射。命中した。矢の当たった魔物が倒れ臥す。
「っしゃ! 一体仕留めた!」
「そりゃ、いい腕だ」
「ははっ! たまたま目に当たっただけだがな」
テランは話ながらも矢を番え直し、更に射る。胴に命中。しかし、弾かれた。
「胴体は全く歯が立ちゃしない」
「やっぱり凄腕だ」
テランは舌打ちしたが、揺れる馬車から走る魔物に当てるだけでも難易度は高い。だからオーボは素直に賞賛した。
「一体は共食いを始めた。二体はまだこっちに来る」
馬車の速度が常歩にまで下がったところで、護衛達は槍を手にして馬車を飛び降りる。テランを始めとして、オーボの馬車に併走しながら合流する。
馬車は護衛全員が合流した先で停まった。
「二人で一体だ」
「「「おう」」」
テランの指示に仲間が応じる。魔物が間近に迫る中、四人の護衛は横一列に並んで槍を構える。そして間合いに入ったところですかさず突く。
「ふぬっ」「たっ」「はっ」「てやっ」
それぞれに気合を籠めた突き。その一本が致命傷とまでは行かないまでも片方の魔物を貫いた。魔物が甲高い悲鳴を上げて暴れるが、その魔物を狙って一突き目を外したもう一人が再度突きを放ってその魔物に止めを刺す。
「仕留めた!」
「避けられた!」
しかしもう片方の魔物に向かった突きは二本ともさらりと躱されていた。
「通すな!」
一撃目を外した護衛が間髪を容れずに再度の突きを放つが、これをまた躱される。
「抜かれた! 真っ直ぐ馬に行きやがった!」
「弓だ!」
運び人も元はと言えば魔物相手に戦っていた冒険者だ。クロスボウの扱いも手慣れたもの。こうなることも想定して予め準備もしていた。そしてオーボを除く四人が、仲間を射線に入れないように矢を放つ。
ドスドスと鈍い音。小さく響く魔物の悲鳴。当たった矢は二本だった。しかし刺さりが浅く、致命傷には程遠い。それでも一瞬だけ魔物の足を止められた。
「よっしゃ! 怯んだ!」
「どっせい!」
四人の護衛が駆け付けて一斉に突きを放つ。深々と突き刺さった槍は魔物を沈黙させた。
「やった!」
喜ぶのも束の間、後続を警戒して周囲を見回す。しかしどうやら後続は無いようだ。何人かが額を腕で拭う。
「はあぁ、何とかなったな」
目先の危機を回避したことで、皆が安堵の息を吐いた。テビックだけはまだ落ち着かないが。
「もう一体は?」
「まだ共食いに忙しいようだ」
「いや、食い終わったらしい。向こうに行った」
共食いをしていた一体は腹が満ちたのだろう。去って行く。それと一緒に当面の危機も去ったことになる。
テランは言う。
「そんじゃ倒したのを片付けよう」
「撃退できたのなら、死体なんて放っておいて先に進みましょう! いつまでも止まってられません!」
動揺から立ち直りつつあったテビックが声を荒らげた。ここで既にかなりの時間、足止めされている。それに危険と遭遇したこの場にいつまでも居たくはないのだ。
「そうも行かんのだ。せめて街道からは離れた場所に離さねばな」
テランは諭すように言った。街道に魔物の死体が転がっていたら、通り掛かった人が驚くだろうと説明すれば、テビックも反論を持ち合わせていないらしい。不承不承とばかりに小さく頷く。
「……手早く願います」
「おう」
言われずとも手早く済ませるつもりのテランだが、テビックへの返事を惜しみはしなかった。
「脚に縄を掛けて……。せぇので行くぞ」
テランが呟く間にも仲間が手早く魔物の脚に綱を掛けており、テランは号令を出すだけだ。そして皆まで言わなくても護衛の仲間達は綱を手にして号令を待つ。運び屋達は馬車から不用意に離れる訳にも行かないので、これには参加しない。
「せぇの!」
一斉に力を籠める。ところがサイズ三でも大きなものだと人の倍の重さだ。ずしっと腕に負荷が掛かる。歯を噛み締めた顔が真っ赤に染まる。
「重い!」
更にぐいっと力を籠めると、魔物の骸が動き出した。
「止まるな! 止まったらもっと重く感じる!」
テランは自身にも言い聞かせるかのように皆を鼓舞した。皆もそれに応えるように力を籠め続ける。引き摺られる魔物の骸がずるずると音を立てる。
「ここまでだ!」
テランの号令で皆が力を抜いた。
「うひぃ。ほんの何十歩かが応える」
声に出したのは一人だが、骸を牽いた他の三人も頷いた。
しかしまだ終わりではない。
「さあ、もう一つだ」
「おぅ」
応える声は、少し元気を無くしていた。
そしてどうにかこうにか魔物の骸を街道から離し終える。できれば埋めた方が良いのだが、そこまではやっていられない。一旦は居なくなった魔物ががまた戻って来るかも知れず、そうなった時にそこに居るのは一体だけとは限らないのだ。向かった先で軍に報告して、処理されるのを期待するのが精々である。
「これでいいだろう。出発だ!」
「早くしてください!」
テビックが叫ぶように言うが、ここから早く離れたいのは皆同じだ。言われなくても早くすると思わないでもない。
そのためか、護衛達が馬車に戻ると同時に逃げるように出発した。
そしてその夜。野営するのは魔物に遭った場所から五時間程度進んだ場所だ。近すぎるように感じられても、馬に無理をさせる訳には行かないのはこんな時でも変わらない。
近く感じるところに不安を抑えられないのも有るのだろう。テビックは終始落ち着きが無かった。ところが野営の準備が整い、寝床に落ち着いた途端に眠ってしまった。かなり疲れていたらしい。
そんなテビックを護衛の一人が愚痴る。
「あん人も何をカリカリしてるんだか」
いつになく落ち着かないテビックを訝しく感じていたのだ。しかしこの話題は仲間達に全く興味を与えなかった。
「カリカリと言ったら、タイモンのヤツを思い出すなぁ」
「あれか? 娘が恋人を連れて来たって言ってた」
一瞬で話が逸れた。そしてテビックを話題に上げた本人も、逸れた話に乗った。一言愚痴れば十分な程度にしかテビックに興味が無かったのだ。
「そうそう。『あんなヒョロヒョロに娘はやれん!』なんて言ってよ」
「確かにあれは傑作だった」
当時を思い出して笑い合う。しかしその笑いには少し羨望も混じっているようだ。少し苦みを含んでいる。自身に向けた苦みだ。
しかしそれを振り払うように言う。
「いやあ、所帯を持ったら持ったで、苦労が有るものなんだな」
「わしらには関係無いがな」
「違いない」
彼らの声音は少しだけ寂しげでもあった。




